本日より元号が変わって「平成」から「令和」になりました。

最近ではめっきり減ってしまいましたが、新元号が発表された当初は令和戦争があったように覚えます。

所謂、令和反対派と賛成派の対立です。

「令和には強制力があるからマイナスのイメージがある。」と「これだから頭の硬いやつは……」の対立です。

それらはやがてそれぞれの主張を繰り広げる人間の人間性や育った環境に対する攻撃の様相を呈していき、それはまさに関係ない事柄まで傷つけるまさに戦争のように思えました。

これはこれで問題でしたが、わたしは別のところで違和感を持っていました。

 

元も子もないことを言ってしまえば、わたしは元号にさほど興味がありません。

ですので、今回の発表の際も特に自分の中では盛り上がりを見せず、ただ知りたいからニュースを見ていました。

発表された文字は「令和」。予想に反して、素敵だ、と心から思いました。

生まれて始めて元号に対して感情を持ちました。

 

令和という文字を紐解けば、「和(を)令しむ」

 

今の日本は隣の庭は隣の庭といったような状態で、あまり他人に踏み込むことがないなと感じます。

SNSが発展した今、尚それが加速しているように思います。

その中で、「令」という有る種の強制力を伴った言葉で「和」に向かう。

孤立化が進む現代社会を変えていく、まとめていくきっかけになりうる素敵な元号だと思ったのです。

 

事件はその後に起こります。首相による「令和」の意味の説明です。

国書である万葉集からの引用。なるほど、それは面白い。

その後です。

「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」

から引用した、と。

いえ、この序文は素敵です。そこを否定したいわけではないのです。

令月と風和らぎから引用しているのが問題なのです。

 

令月とは令い月(よい月)ですね。

つまり「令和」の本当の意味は「和令しむ」ではなく

「令い和らぐ」

なんです。

例えば、平成であれば、「平らかに成す」で、意味が通じるのですが、令和は意味がわからないのです。

 

しかし、これは揚げ足取りとも言えます。

なので、一度忘れるとして、その後の首相の発言は更に波紋を呼びます。

令夫人や令嬢、令息などの『良い』『素晴らしい』『優れている』という意味で解釈している

落ち着いてほしい。令月の令と令嬢の令は意味が違う。

 

さらに、BBCが令和を「order and harmony」と訳すと、

政府は「Beautiful Harmony」と公式の訳をだしました。

違う、令月の令はBeautifulじゃない。

令という言葉に「よい」という意味はありますが、規律のような整っているところから派生した意味なのです。

ですから令月を「美しい月」と訳すのは結構ですが、それをBeautifulと訳すのには些か疑問です。

この場合の「美しい」は決してBeautifulではないでしょう。

 

わたしの一番の違和感はここでした。

 

政府やコメンテーターの振りかざす理論がおかしいのに、

なぜか彼らの間違った不十分な理論の正しさを証明しあって、反対派と賛成派による令和戦争が起きているのです。

初めにも申しましたが、令和、素敵な元号だと思います。

ただ、政府の説明はあまりにも不十分ですし、テレビに出る文学者の説明も満足の行くような説明でない。

その結果、令の意味が書かれているスクリーンショットを引っ張り出して素人が令にはこんな意味有るのだと専門家に負け戦を挑む。そこにさらに賛成だの反対だの議論が起こる。

せっかく素敵な元号なのです。政府はもう少しきちんと学んで適切に説明してほしかった。

テレビに出て批判役を買う方々、何が問題かを見定めて適切な批判をしてほしかった。

そんな彼らを批判する人も一度立ち止まって発言すべきだった。

たくさんの人が間違ったフレームで喧嘩をし、傷ついていった気がします。


昨今、このような令和戦争のようなものがたくさん起きています。

新しい時代がやってきました。

たかが新元号です、が、されどもです。

このような悲しい戦争は昨日までの時代に置いて、新しい時代を私たちの手でできる限り良いものにしたいな、と。

 

下平