語りえぬものを語る | Neutral Blog

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Written by “NEUTRON”

決して言葉や写真では伝えられないけれど、
そういうものこそが美しいのだろう。


僕が今日見たこれを、この美しさを、他の誰かに完璧に伝えることはできない。
それは、僕の言語が完璧じゃないからではなくて
(もちろん、それが原因で完璧から少なからず遠ざかってはいるのだろうが)
言語そのものが世界を内包していないからだ。

数学的に言えば、それは世界が言語の部分集合ではないということで。
世界と言語の一対一対応が必ずしも存在しないということは、世界と言語が等しくないということだ。
世界は言語に比べて大きくひらかれていて、世界の中で起こる現象の中には言語で言い表しえないことがたくさんある。
むしろ、言語は世界のひとつだと考える方が正確なのかもしれない。

いや、総ての言語が表すものがイデアだとするならば、言語は世界の欠片も語りえない。
たとえば、あなたが今目の前に置かれたサイコロを見て『立方体』と言ったとして、この世界に完全な立方体は存在しないのであり
(たとえば、面と面の境界は少しの曲がりもない直線であり、角は原子一個分の丸みも許されずに尖っていなければならない)
その目の前のサイコロについても同じだ。

それでも僕は、完璧には共有できずとも、言葉や写真を使って少しでも共有したつもりになっていたい。
そういう思いから、言語やカメラが生まれてきたのだとも思うから。