いろいろあって大阪に。
千葉生まれ東京在住の僕にとって、大阪はほぼ海外。
なんといっても関西弁という言葉が異国情緒を醸し出す。
放送・出版業界は比較的関西弁を堂々と繰り出す方が多い、と思う。
だから普段聞き慣れてはいるものの、全員関西弁となると圧倒される。
近所のコンビニで買うエヴィアンをフランスの源流で飲む…
そんな感じ。
関西弁はひとつの技術というか武器である。特に業界においては。
会議やら打ち合わせやらで、詰まった状況を一変させるのは
やはり関西弁。ふとした一言が空気を変える。
もちろんツッコミも。「なんでやねん!」とか「しらんわ!」とか
コミュニケーションツールとして関西弁は優秀だ。
「なんでですか?」「しらないよ!」だと、まったくダメである。
そもそも「ボケ」と「ツッコミ」というフォーマットが存在するのが
凄い。僕は仕事をするまで知らなかった。
今や、テレビ界の常識である。子供ですら知っている。
関東のモードで言うなら、「ボケ」は単なる「ふざけ」であり、
単なる「間違い」ととらえられても不思議じゃない。
「ツッコミ」は「注意」であり「叱責」となってしまう。
以前、関西の小学校の映像が流れていて、日直の子供が
「起立! おちゃづけー!」とボケた。
すると、先生を筆頭にクラス全体がつっこんでいた。
これ、関東では成立しないと思う。少なくとも僕の時代は。
「おちゃづけー!」なんて言った瞬間に、こっぴどく怒られるだろう。
どっちがいいかといえば、関西弁のほうが楽しいにちがいない。
「ボケとツッコミ」というフォーマットは、ある意味生きる上での
知恵であり技術である。
でもですね、なかなか使えないです。「なんでやねん!」も言った
ことない。関西弁はひとつの特権である。
で、今回の大阪行きで、乗り換えに迷ったときがあった。
案内板を見て確認していたら、そこにいたおじさんに
「国鉄に乗り換える?」
と言われた。普通に「はい」と答えたら、親切に教えてくれた。
おじさん、ボケたんだね。
きちんと「JRな!」とかツッコミ入れるべきだったなと反省。
千葉生まれ東京在住の僕にとって、大阪はほぼ海外。
なんといっても関西弁という言葉が異国情緒を醸し出す。
放送・出版業界は比較的関西弁を堂々と繰り出す方が多い、と思う。
だから普段聞き慣れてはいるものの、全員関西弁となると圧倒される。
近所のコンビニで買うエヴィアンをフランスの源流で飲む…
そんな感じ。
関西弁はひとつの技術というか武器である。特に業界においては。
会議やら打ち合わせやらで、詰まった状況を一変させるのは
やはり関西弁。ふとした一言が空気を変える。
もちろんツッコミも。「なんでやねん!」とか「しらんわ!」とか
コミュニケーションツールとして関西弁は優秀だ。
「なんでですか?」「しらないよ!」だと、まったくダメである。
そもそも「ボケ」と「ツッコミ」というフォーマットが存在するのが
凄い。僕は仕事をするまで知らなかった。
今や、テレビ界の常識である。子供ですら知っている。
関東のモードで言うなら、「ボケ」は単なる「ふざけ」であり、
単なる「間違い」ととらえられても不思議じゃない。
「ツッコミ」は「注意」であり「叱責」となってしまう。
以前、関西の小学校の映像が流れていて、日直の子供が
「起立! おちゃづけー!」とボケた。
すると、先生を筆頭にクラス全体がつっこんでいた。
これ、関東では成立しないと思う。少なくとも僕の時代は。
「おちゃづけー!」なんて言った瞬間に、こっぴどく怒られるだろう。
どっちがいいかといえば、関西弁のほうが楽しいにちがいない。
「ボケとツッコミ」というフォーマットは、ある意味生きる上での
知恵であり技術である。
でもですね、なかなか使えないです。「なんでやねん!」も言った
ことない。関西弁はひとつの特権である。
で、今回の大阪行きで、乗り換えに迷ったときがあった。
案内板を見て確認していたら、そこにいたおじさんに
「国鉄に乗り換える?」
と言われた。普通に「はい」と答えたら、親切に教えてくれた。
おじさん、ボケたんだね。
きちんと「JRな!」とかツッコミ入れるべきだったなと反省。