先月あたりから、
僕はいろんなことを
せっせと受け取り直している。
  
なかでも、
僕が受け取り直しているのは、
父のことだ。
    
ときどき、
「まだこれは受け取れない」
とか、
「そういえば、あのとき……」
なんて思い出して、
フンガフンガすることもある。
   
それでも、
今の僕が受け取れることを
1つひとつ
ていねいに受け取り直している。
    
なぜ、そんなことをするのか?
   
一番の理由は、
僕の人生が
転換期を迎えていることにある。
   
人生をシフトさせるうえで、
僕は父と向き合うことを
避けるわけにはいかなくなった。
  
諸事情は割愛するけれど、
僕が父との関係性を見直すことは、
苦行に近いものがある(笑)。
   
そんななか、
気づいたことがあった。
  
父は、父なりに
僕のことを
愛してきたという事実だ。
  
  
今から約4年前。
  
父と昼ご飯を
食べたときのことだ。
   
そのとき僕は、
「いずれ海外で仕事がしたい。
自分の可能性にかけてみたい」
  
そんなことを、父に話した。
  
父は少し黙ったあと、
こう言った。
 
「それは、日本に居ても
できることなんじゃないか?
海外に行くなんて危険だろう」
 
この言葉に、
僕はめちゃくちゃ反応した。

また、反対された。

そう感じたからだ。

子どもの頃から、
ずっとそう。
  
僕が何か始めようとしたとき、
父は、反対するか、否定するか。
  
そのいずれかだった。

だから僕は、
だんだんと自分に自信が
持てなくなっていったのだ。

父はどうして僕のことを
応援してくれないのか。

反対ばっかりしやがって。

僕がこんな自分になったのは、
ぜんぶ父のせいだ。
  
もちろん、
父のせいにしたところで、
何の解決にもならないことを
頭では理解していた。

理解していたけれど、
感情が追いつかなかった。

どうしても父のことが
許せなかったのだ。

僕は「あばれる君」スイッチが入ると、
自分で自分の感情を抑えられなくなる。

あのときも、そうだった。
  
「危険かどうかなんて、
行ってみないとわからないよ。
父さんに迷惑はかけない」

ぷんすかしつつ、
その一方で、理解してもらえない
哀しさを感じながら、
僕は無理やり会話を終わらせた。

それから僕は、
父と連絡を取っていない。


今回、父のことを
受け取り直していたとき、
この4年前の出来事を
久々に思い出した。
  
そして、
「ああ、そういうことだったのか」
と感じたのだ。

たぶん父は、
僕のことをずっと気にかけ、
愛情を持って
接してくれていたのだろう。

その愛情表現の仕方が、
あまりにもぶきっちょすぎて、
わかりづらいだけだったのだ。

以前なら、
そんなふうに考えることは
できなかった。

でも、僕が自分と
向き合うようになってから、
考え方が変わっていった。

あの、これは、
ほんとうに恥ずかしいと言うか。

しばらく
認められなかったんだけれど。

僕、自分で笑っちゃうくらい、
父にそっくりなのだ。

「それ、俺じゃん!」って、
父に対して何度思ったことか(笑)。

そのことに気づいたとき、
未だに許せないところもあるけれど、
父のことを受け入れていこうと思えた。

父が僕に言った
言葉の表面を受け取るのではなく、
その奥にあるものを受け取る。

今の僕なら、
それを受け取れる気がする。

ていねいに、
受け取り直せる気がするのだ。