今日は学ちゃん、鎌田学の命日でした。

いつも明るく、楽しく、オートバイに乗るのが誰より上手かった。

知り合ってからの時間は長くなかったけど、親友と呼べる存在だった。

 

MOTO NAVIのイベントで。

学ちゃんも、松ちゃんも、いなくなっちゃうなんてね。

思ってもみなかったよ。

 

学ちゃんが亡くなった、2010年4月に発売された「MOTO NAVI」の復刊号。

その記念すべき号に、学ちゃんへのお別れの記事を掲載するのは、

本当に悲しくて、つらかった。

 

学ちゃん、またいつか会おう。

 

以下は、そのときMOTO NAVIに掲載した記事です。

 

追悼 

鎌田 学さん

 

 4月8日、午後7時15分、レーシングライダー、鎌田 学さんが、つくば市内の病院で息を引き取った。3月12日に筑波サーキットをオートバイで走行中、転倒。意識不明の重体となり、入院中だった。享年39歳。あまりに月並みな言葉だが、早すぎる死だった。

 北海道・札幌出身の鎌田さんは、1990年に地元「北海道スピードパーク」でSP400クラスの年間チャンピオンとなった後、地方選手権や鈴鹿4時間耐久レースに参戦。94年に国際A級に昇格すると、全日本ロードレース選手権へと戦いの場を移す。99年に全日本RR選手権S−NKクラスチャンピオン、2001年と2003年には鈴鹿8耐でウィナーに輝いた。また2000年からはホンダレーシングHRCのテストライダーとしても活躍し、MotoGPマシン、ホンダRC211Vの開発も担当した。2009年からホンダとの契約を離れ、“ラージモーター・ソムリエ”として、雑誌をはじめさまざまなメディアへの出演、インストラクター、イベントMC、番組パーソナリティーなどの仕事をこなし、モーターサイクルの魅力を広く伝えるため、業界の垣根を越えて活躍し始めていた。

 鎌田さんの明るいキャラクターは、多くのモータースポーツファン、バイク好きを魅了した。責任感が強く、真っ直ぐな性格は先輩、後輩を問わず強い信頼を集め、とくに若い世代のライダー達にとっては兄貴分的な存在だった。そして誰もが認める、業界を越えた交友関係の広さも、鎌田さんの人柄を表していた。二輪業界にとって、彼はまさになくてはならない存在だった。

 

 

requiem

学ちゃんへ

 

 学ちゃん、と呼ぼう。いつもの様に。学ちゃんと初めて会ったのは、2002年の秋、ツインリンクもてぎで行われたモトGPマシン試乗会の後、ホテルで行われた懇親会だったと思う。僕はまだモトナビを始めて間もなく、二輪業界にも知り合いが少なかった。学ちゃんはそんな僕に、親しげに話しかけてくれた。

 学ちゃんはいつも明るく、前向きだった。話せばいつも笑いが絶えなかった。だが日本のオートバイ業界やモータースポーツ界について語るときには、口調が厳しくなり、ときに苛立っているようにさえ感じられた。いちばん大好きな、愛することだからこそ、現状に満足できなかったのだろう。そして学ちゃんはメーカーや業界を越えてさまざまな人たちと付き合い、活動の幅を広げながら、二輪やモータースポーツの魅力をたくさんの人に伝えようとしていた。

 とても個人的なことだけど、2年ほど前、学ちゃんが僕の家近くに引っ越してきてから、僕らはすごく頻繁に会うようになった。「門前仲町ミーティング」と称して、二輪、ファッション、メディア、いろいろな業界の友人を招いては、よく飲み会を開いた。「門仲から二輪業界を変えよう!」なんて言って。じっさいにモトGPや鈴鹿8耐でのイベント、MOTO NAVIサーキットカフェなどのアイデアは、みんなでワイワイと話した中から生まれた。そして僕らはオートバイという乗り物を通じて、仕事を越えた“親友”になった。

 

 学ちゃんに、僕はいつか、言おうと思っていたことがあった。

 2003年の鈴鹿8耐に、僕は雑誌の取材で行っていた。学ちゃんは「桜井ホンダ」のライダーとして、生見友希雄さんとペアを組み出場していた。僕と学ちゃんはその秋に行われる予定の「DE耐」に一緒のチームで出ることになっていて、ときどき会っていたけれど、そのときはまだ今ほど親しい付き合いじゃなかった。

 だから8耐出場ライダーの学ちゃんは、僕から見れば別世界の人であって、気軽に声をかけるのもはばかられる気がしてた。そしてその年の8耐で、なんと学ちゃんと生見さんのペアは、絶対的優位が予想されたワークスチームを退け優勝してしまったのだ。

 レースの興奮醒めやらぬサーキット。学ちゃんは間違いなく、その熱気の真ん中にいた。僕はレースのリザルトを入手するために、プレスルームに向かっていた。そしてメディアセンターに入ろうとしたとき、レース後のインタビューを終えたツナギ姿の学ちゃんがいきなり扉から現れたのだ。僕は反射的に道を空けた。この日のヒーローを目の前にして、一瞬、声をかけるのをためらった。素っ気なくされたらイヤだな、なんて気持ちも正直、あった。

 「おお、相方じゃないすかぁ!」

 学ちゃんは僕を見るなりそう言った。いつものあの笑顔で。僕は、本当に嬉しかった。と同時に、「おめでとう」と声をかけるのをためらった自分が恥ずかしかった。そしてそのとき僕は、学ちゃんと一生の親友になりたいと、勝手に決めたんだ。

 いつも堂々としていて、ちゃんと言いたいことを言って、明るくて、頼りになって、バイクの運転がメチャメチャ上手い。そんな学ちゃんは、僕にとっての憧れだった。

 学ちゃん、あのとき声をかけてくれてありがとう。いつかそう言おうと思っていたのに、いつも照れくさくて言えなかった。僕らがもう少し歳をとったとき、二人で酒を酌み交わしながら、さらっと言えたらいいなと、そう思っていた。学ちゃんはあのときのこと、覚えてる? そう聞いてみたかった。だけどもう、言えなくなっちゃったな。

 学ちゃん、君がいなくなって、僕らは困っているよ。そして心に空いた穴をどう埋めればいいのかも、今はまだ分からない。だけど学ちゃんが、大ちゃんやノリックの死を無駄にしないようにと、前向きな活動を続けていたように、僕らもまた学ちゃんの志をつないでいくために、前を向いて歩いて行かなければと思う。

 学ちゃん、いつかまた会おう。君は僕の大切な、一生の友達だから。

 

MOTO NAVI編集長 

河西啓介