2003年(18歳)
1月
・高校卒業も近づき、児童館でのプロレスごっこに限界を感じていた中、須永というメンバーの一人が個室を借りれる会場を見つけてきた。そして、キャンプ用のベッドのエアマットを導入。


2月
・ビデオカメラも購入したほうが良いだろうということで、須永というメンバーの一人が軽作業のバイトへ。「ホントつらいんだよ。」と愚痴られるが「まあまあ」となだめる。

3月
・深夜のG+で待ちに待っていた三沢さん対小橋さんのGHC戦を観る。断崖式タイガースープレックスはプロレス史上最もダメージが大きい技ではないかと…。興奮で眠れなくなった。

・さよなら児童館大会を行い、プロレスごっこで児童館卒業。

5月
・ZERO-ONEでは橋本真也、小川直也対武藤敬司、小島聡
新日本プロレスでは小橋建太対蝶野正洋
この頃はお金がなかったので2003年は熱い試合が多くても上半期は生観戦行かず。

7月
・ZERO-ONE両国、全日本プロレス大阪府立、プロレスリングノア大阪府立、全日本プロレス日本武道館、毎週、熱かった。

・プロレスごっこにも煽りVを作ろうということになる。作業は主に須永というメンバーの一人。


8月
・PRIDEに興味があるという友人と埼玉スーパーアリーナにPRIDEを初めて観に行く。ミルコ・クロコップ対イゴール・ボブチャンチン、田村潔司対吉田秀彦に燃えた。
この友人とはこの年の下半期からはプロレスへ一緒に行くようになる。

・この年のG1クライマックスが個人的には最も好きだ。

・プロレスごっこに使っていたエアマットが初めて割れる。年間、2〜4個買い替えることとなる。

9月
・小橋さん対永田さんのGHC戦がメインのNOAH武道館大会をG+で観たくて当時通っていた学校を早退…。

・須永というメンバーの一人が秋に学園祭での空手大会に、打撃経験がないのに出されることになったと相談を受け、空手をかじった経験のある自分がスパーリングの練習相手となる。僕のハイキックが入ってしまう。


・2回目の空手のスパーリング練習時に、今度は僕の放ったブラジリアンキックが須永の目に直撃してしまう。

・目にハイキックを受けた後、大学の合宿で山奥へいった須永から「目が真っ赤になった。」と写メが届く。焦って「病院へ行かなくては!」と返すが、山奥からあと3日は帰れないと。

・合宿後、病院へ行った須永。結果、大事をとって空手大会を欠場することとなる。

・怪我をさせてしまったことに申し訳なかったが、須永は記念にと負傷箇所を写真と映像に撮り、さらに「欠場会見を行いたい。」と要求し、雨の中の公園で会見を行った。


次回、2003年下半期、プロレスごっこのマンネリを打破するために行った行動により、プロを目指すきっかけの一つとなった出会いがあったり、様々な珍事件が起こることに…