高校生となりプロレス熱がさらに強くなっていった。しかし、「プロレスラーにはまずなれない。」と思っているのでまだ全く目指そうともしていない。ただ、プロレスラーになるための微かな下準備となった年となったかもしれない。


2000年(15歳)
・児童館でプロレスごっこをするようになる。主に技の写真撮影。注意されたり、気まずい思いもたくさんした。

・裏投げの写真がうまく撮れたことに興奮し、何を求めたかはわからないが、とりあえず週刊プロレスに写真を送る。


・中学卒業


・高校入学前に中学の同級生たちと会っていたが、橋本真也対小川直也が気になり、一人早く帰宅。

・週刊プロレスの試合結果を教えてくれる「テレフォンサービス」を聞くのが日課となる。

・高校入学

・毎週木曜日に中学時代の友人と本屋で待ち合わせ、「どっちが週プロをどっちがゴングを買うか」で相談。

・週刊ゴングの「ワンポイントトーク」「キャスティングごっこ」というコーナーにハガキを投稿し、何度か載せていただいた。

・プロレスごっこ団体を旗揚げ。児童館が主な活動場所。
3人からのスタートだったが参加者を集め、すぐにタイトル設立、G1などもやる。


・父親に連れられ、極真空手の見学へ。他の格闘技も見学しようと思っていたが、父親が「来週から息子がお世話になりますので。」と発言。入会。

・部屋にサンドバッグを導入。

・父親が僕の部屋にベンチプレスを置く。友人が遊びに来ているときもタイミングが合ってしまうと「少しベンチやらせてくれ。」と父親がベンチをやりにくるという友人呆然の時間があった。


・6月、東スポを見たという友人から「全日本プロレスが大量離脱するらしいよ。」と衝撃の電話。

・噂は本当で、全日本プロレス中継終了にもへこむ。


2000年のプロレス思い出はまだまだ続くパート4へ…