みなさんこんにちは。



久しぶりの更新です。


僕は普段からよく読書をするのですが、
今年は一日一冊という目標を立て、
一か月ベースで毎月達成しています。


つまり、各月30冊ないし31冊の本を毎月読んでいるわけです。


そのレビューを読書メーターというアプリを使って記録しているのですが、
先日読んだ『ジャック・ウェルチのGE革命―世界最強企業への選択』という本の最後にジャック・ウェルチの言葉が紹介されていて、
それが非常に参考になったので、
このブログにも書き留めておきたいと思います。


以下は「」内はすべて引用になります。





 「世界中を飛び回ってわかったことは、ほとんどの業種で需要と生産能力のバランスが崩れてきており、この状態があと数年続くであろうということである。つまり、価値の時代が到来しているのだ。

 どこに行っても人々は『どんな技術か知る必要がない。値段を言ってくれ』と言う。より安く買うためならば、以前は必要だと言っていたものさえ犠牲にするようになってきている。実際、多くの政府は財政赤字を抱え、人々はさまざまな問題で苦しんでいる。だから、とにかく価値の追求が大切になってきているのだ。

 一九八〇年代に経済がグローバルに拡大したとき、企業はコンピュータ、航空機、医療機器など、あらゆる分野で新たな工場や施設を設けることによって増大する需要に対応してきた。そして、世界経済が停滞しはじめると、今度はあらゆる企業は余剰設備を抱える羽目に陥ってしまったのだ。

 グローバリゼーションが、この問題を一層悪化させている。物流システムの発達によって、今日誰もが何にでもアクセスできるようになり、その企業がどこにあるかは問題ではなくなっている。生産設備は地球上のどこにあってもいいわけだが、どの先進国のどの業種でも生産能力が余っている。どこの国でも、状況は同じなのだ。

 この世界的な過剰設備の状態は、人々が不景気を漢字はじめたときにやってきたので、激しい価格競争が生じることになった。競争が激しさを増すにつれて、あらゆる企業は利益率の低下を余儀なくさせられるだろう。

 最も生産性の高い企業だけが、勝ち残れるのである。最高の品質の製品を世界で最も安く売れなければ、勝負は見えてくる。こういった環境下では、年率六%の生産性の改善では、もはや十分とは言い難い。八%か九%は必要になるかもしれない。この数字はどんどん上がるにもかかわらず、売上げはゆっくりとしか増えない。まさに、情け容赦のない世界なのである。

 あらゆる事業分野で、価値を生み出す製品に、我々は企業努力を集中させている。なぜならば、どこを見ても人々が求めているのは価値だからである。医薬品業界等のいくつかの例外を除いて、最新、最高級の製品に対する需要はあまりなくなっている。ヨーロッパの高級車や、スーパー・コンピュータの売上げをみればよくわかる。もはや顧客はそんな物を求めてはいないのだ。

 航空エンジン事業でも、顧客は二%燃焼効率が優れているというような最新のものを求めてはいない。彼らが知りたがるのは『それは、いくらか? ファイナンスはついているのか? リースを途中でやめてもいいのか?』といったことである。我々とボーイングは、ユナイテッド航空の一〇億ドル強の入札でエアバス社に敗れた。その原因を簡単に言うと、彼らの言う値段では元が取れなかったのである。

 技術は依然としてたしかに大切であるが、あらゆる業種で価値を提供することが大切になってきているのである。誰が、一番消費電力の少ない電球や冷蔵庫を作れるか? さまざまな分野で起こっているこうした現象の好例として、医療用画像診断機器事業が挙げられる。この市場の主導権は、ニッチの高価格製品をもつ『技術的リーダー』から、一般の使用に十分に耐えられる画像をつくりだす低価格、省機能で信頼性のあるシステムを提供する企業へと移行しているのだ。政府は、医療保険制度へのこれ以上の支出を抑制することを決定している。だから、いくら最新技術を使った機器を売ろうとしても、顧客たちは『また今度』と言って、そっぽを向いてしまうであろう。
 
 環境に優しいということも、また違った形の価値である。たとえば、我々はごく最近、スイス航空から我々の製品が最も排気ガスが少ないという理由でジェットエンジンを受注した。多国籍企業は、どこで事業展開しようとも、またたとえその知己での規制が緩くとも、その製品のみならず工場についても、世界的な環境規準の維持に努めなければならない。最後には、環境に関するグローバルな規準ができて、現在こうした努力を怠っている企業は、後でたいへんなつけを負うことになるであろう。我々が世界市民であろうとするならば、国ごとに違う規準を使い分けることはできないのだ。

 私は政府に対して、非常に大きな危険を感じている。マネジャーとしてあらゆることを正しくやったとしても、政府の財政赤字や金利政策などにより通貨の価値が三〇%も四〇%も変わってしまえば、一瞬にして事業は大きな打撃をこうむるかもしれない。GEの約六五%の生産拠点は、まだアメリカ国内にある。我々は、政府の政策がグローバルな規模でも競争に勝てるだけの生産性を我々に確保させてくれるかどうか、気をつけなければならない。

 これは、アメリカに限ったことではない。最近は、どこへ行っても皆政府に対する不安を抱くようになっている。有権者は、より多くのものを要求するものである。そして、より多くのものを得るために人々は、往々にして政府の権力拡大に対し寛容になるのである。私はその結果、規制強化と保護主義に逆戻りするのではないかと心配しているのだ。私は、政府が産業政策に干渉し、官僚が、どの産業が勝者か敗者を選別するようなことにはなってほしくない。政府は自らシリコンバレーをつくることを企てたが、結局は自動車免許交付所くらいしかつくれないのだ。
 雇用に関しては、政府は主要な成長産業になるかもしれない。EC共同体が編成されたとき、何千もの仕事が官僚機構のなかにつくりだされた。彼らは、いまやフランス人に対してこのチーズは良いが、あれはダメなどと言うようになった。何と恐ろしいことだ!

 世界での競争において、アメリカは非常に良い位置にあると思える。五年とか一〇年前と比較すると、我々はドイツや日本に比べ有利な状況にあり、アメリカ企業の多くは競争に勝てる位置にいる。我々は、産業構造を変革したのである。アメリカのビジネス界のリーダーたちは、かつてないほど優秀である。そして従業員は彼らの仕事の価値を認識し、企業が成功しつづけることが雇用を安定させるという基本原理も理解している。私がこれまでにみた従業員の生産性向上に関する最も情熱的な請願書のいくつかは、頑固なマネジャーたちによってつくられている。彼らはクロトンビルで、GEのマネジャーたちに生産性の向上について講義を行ったのである。そういった態度の変化こそ、私の知るかぎり最も価値ある成果の一つといえる。

 過去、たしかにアメリカ製品のなかには品質の劣るものもあった。しかし、我々は一九八〇年代に、その差を大きく縮めてきた。アメリカ製の自動車の品質は良くなり、コンピュータや半導体についても同じことがいえる。以前は、やがて日本勢が市場を独占するであろうと思われていたが、そんなことはなかった。J・D・パワーによる消費者の満足度調査によれば、いまやアメリカ製の自動車は外国製と比べほとんど遜色がないのである。ほんの数年前には、そんなことが起きるとは誰も想像だにしていなかったのである。

 チェコスロバキアのように、国が分裂するなどという深刻さではないが、アメリカもいくつかの大きな問題を抱えている。我々が今しなければならないのは、人々を教育することである。企業が金銭的にも労力的にも、教育システムのなかに踏みこんでいかなければならなくなってきている。GEでも従業員の技能を、中身の濃い継続したトレーニングにより向上させなければならない。企業は終身的な雇用は保証できなくとも、継続的なトレーニングや教育によって、生産にわたる雇用獲得の機会を提供することはできるだろう。従業員に、しっかりと投資することが重要なのだ。

 少なくともアメリカ企業にとって、グローバリゼーションはますます困難になってきている。文化的な側面からすると、ヨーロッパへの進出は比較的簡単であった。その後、日本市場が拡大したが、その文化的差異は大きく、アメリカ企業は多くの困難を経験した。将来を考えてみると、中国、インドネシア、タイ、インドなどのアジア諸国では、文化的差異はさらに拡大するであろう。しかし、そこには世界人口の半分以上が住んでいるのである。アメリカ企業が二一世紀に成功を収めるには、そういった文化に適応しなければならないのである。

 今後三~五年先に、何が起きるのかを正確に数量的とらえおうとしても、全くむなしい努力である。世界が速く動きすぎているからだ。では、企業はかわりに何をすればよいのであろうか?まず初めに、企業のビジョンとその運命を、大まかな、しかしはっきりとした言葉で定義することである。次に、生産性を最大限に引き上げる。そして最後にどんな大きな変化を余儀なくされても、それに対応し得るよう組織的にも文化的にも柔軟になることが必要である。

 グローバルな環境変化や不確実性のなかで、企業が自らの運命を支配する方法は簡単である。事業を展開する市場で、最も高い価値を提供する企業になることである。

 一九八一年以来、私が学んだことをまとめてみると、大きな教訓の一つは、誰も変化を望まないということである。人々は状況が変わらないことを望んでいる。人々は、昔そうであった状況が好きなのだ。変化が起こりだすと、昔のよき時代がますます見えてくるのである。

 変化を起こすには、非常に大きな抵抗を覚悟しなければならない。

 GEが行っているようなタイプの変革では、物事を徐々に変化させていくのでは効果がないのである。もし、変化の規模がそれほど大きくなく、また革新的でないとすると、官僚主義に押しつぶされてしまうのだ。

 ウィンストン・チャーチルとフランクリン・ルーズベルトを思い出してほしい。彼らは『こういう具合になるものだ』と言って、それを実際にやりとげてしまった。大規模、大胆な変化をはっきりとした言葉に表現したのである。人に気に入られることと、リーダーシップとをはっきりと区別できないリーダーは、物事に対して少しずつ手をつけるだけで、何の変化も起こせないのである。これらは、あらゆる国、企業に言えることだと思う。

 もう一つの大きな教訓は、ソフトであるためにはハードでなければならないということである。まず人々に、ハードでタフな決断、たとえば工場閉鎖、事業の売却、組織階層の削減等ができる人間だとわからせなければならない。従業員を減らしたり、官僚主義を除去したりしたことにより、好ましくないあだ名もつけられた。しかし、だからこそいま我々がソフト面の価値、たとえば誠実さ、公平さ、現実を直視すること等について語るとき、人々は耳を傾けてくれるのである。
 
 肥大化した組織のなかでは、ソフト面の価値を浸透させようとしても、あまり多くは望めないであろう。大きな官僚的組織のなかで、スピードやシンプルさ、またはワークアウトのようなプログラムを推し進めるのは、全くといってもいいほど不可能である。そんな状況に陥る前に、まず組織構造にメスを入れなければならない。組織階層を減らし、組織に絡まった雑草を取り除き、錆を振り落とさなければならないのである。

 どんな組織にも、価値は必要である。そして、引き締まった組織においては、その必要性はさらに高まる。スタッフや管理階層などの事業支援のシステムを取り除いてしまうと、人々はいままでの習慣や期待を変えなければならない。さもなくば、ストレスが彼らを呑みこんでしまうだろう。我々は、かつてより勤勉にそして速く仕事をしているのだ。ただし、我々がより大きな喜びを味わえなけば、企業変革は達成できない。こうした変化の過程を進めて行くなかで、従業員は価値により進むべき方向を見定めることができるのである。

 変化を起こしていくための方法として、私はクロトンビルやワークアウトの考え方の正しさを信じている。つまり、面と向かい合った双方向のコミュニケーションが大切なのだ。肩書きや地位の保護なしに、人々をあらゆるアイデアに触れさせるのだ。そして、こうしたアイデアをその長所によって判断するのである。人々の前に出て行き、どんなに飽きてこようが自分の言いたいメッセージを変えずに何度も何度も繰り返し、伝えなければならないのだ。

 そのメッセージは大きな考えだが、しかしシンプルでわかりやすく、社内全体に行きわたるようなものでなければならない。たとえば、我々は『ナンバー1か2になる』、『事業を立てなおすか、閉鎖するか、売却する』、『境界のない組織』というように、それがどんなアイデアであっても、見ず知らずの人にカクテルパーティーで話しても簡単にわかってもらえるようなものでなければならない。業界の専門家にしかわからないようでは、うまくいくはずはないのである。

 もう一つの教訓は、シンプルであることは、評価の規準としても効果的であるということである。あまりにもしばしば我々は、すべてのものを評価しようとするが、結果としては何も理解していないのだ。事業を運営するうえで、最も重要な三つの指標は顧客の満足度、従業員の満足度、そしてキャッシュ・フローである。もし顧客満足度が向上しているのであれば、その事業のグローバル市場でのシェアも伸張するはずである。従業員の満足度が高まれば、生産性、品質、誇り、そして創造力までが向上するはずである。そして、キャッシュ・フローは、企業の活力を知るうえでの重要な尺度である。

 もう一つ学んだのは、人々が可能と思うレベルよりもずっと高い目標を設定することによって、組織の力を最大限に発揮させることの価値である。社内で我々が使っている基準は『世界でナンバー1の企業と同じ程度のパフォーマンスを達成すること』というものである。そしてGEの従業員たちは、それを実現するための方法を模索中か、さもなくばすでにその方法に沿って活動中である。彼らはそれを夢み、到達し、また次の目標を追い求めるのである。大切なことは、少しぐらい失敗してもその人間を責めないことである。もし、彼らが何かの改善を実現していれば、たとえ目標に達成していなかったとしても褒めてやるのが大切なのだ。ただし、目標はあくまで十分に高く掲げていなければ、人々が実際にどこまでできるのかを見きわめることができない。

 私自身も多くの失敗をしてきた。なかでも大きな失敗は、十分に速く動かなかったということである。古い絆創膏を剥がすときには、ぐいっと一気に剥がすより、それについている毛を一本ずつ剥がすほうが、ずっと痛みを伴うものだ。もちろん、物事を破壊してしまったり、組織に無理強いをするのは差し控えるべきである。しかし、一般に人間の心理として、思い切ったことはなかなかできないものだ。人に好かれたいとか、物わかりのいい人間と思われたいからなのだ。だから、本来あるべき速さでは動けなくなってしまう。そうするうちに、痛みが激しくなるうえに競争力をも失うことになってしまうのだ。

 すべてを、半分の時間でやるべきだったと思う。GEのような企業を経営すると、まず最初は不安になってしまうものだ。会社をだめにしてしまうのではないか、と恐れるのである。リーダーはそんなふうには考えないと思うかもしれないが、実際にはそういうものなのだ。何かを運営している人は、夜、家に帰ると皆、同じ不安にさいなまれるものなのだ。『自分のせいで。うまくうかなくなってしまうのではないか?』思い出してみても、私は注意ぶかすぎたし、しかも臆病すぎた。私は、多くの賛同者を求めすぎていたのである。

 びくびくしていると失敗するものである。一九八〇年代初期、私が自分の信念を通す勇気をもっていなかったために、食品会社を買収することができなかった。その案件を検討し、クロトンビルで議論し、正しい戦略と判断したにもかかわらずである。私自身、GEはまだこうした買収をする準備ができていないと考えてしまったのである。もう一つは、セクターをただちに廃止するべきだったということである。そうすれば、社内で最も優秀な人材であるセクター責任者に、事業部門の運営という重要な仕事を任せることができたのだ。また、ワークアウトをあと五分早く思いつくべきであった。我々が境界のない組織についてよち詳しく、また早く理解していれば、どんなに良かったことかと思う。つまり、いろいろな事業分野のなかから出てくる多様なアイデアが、いかに有益なものであるかということに気づくべきであったのだ。

 いまや我々は、こうしたさまざまな手段を手中にしている。それがなければ、今ごろどうなっていたかと思うほどである。今日のGEがもっている大きな優位性は、我々はGEをさまざまなアイデアの実験室として運営できているということである。我々は互いに信頼し合うとともに、オープンなやり方で非常に優れた事例を共有化する手だてを、すでに見つけている。たとえばゼロックスに行って、あるいは向こうの人がこちらに来て意見交換をすることはできる。相互に良い事例を研究することはできるだろう。ただ、こういう短期的な接触ではほとんど概念的な理解しかできず、互いに問題をより深く掘り下げていくことは難しい。他方、我々は社内の家電部門で実施しているクイック・レスポンス・プログラムについて学ばせるために、社内のあらゆる部門から二人ずつの人間を一年間ルイビルに送り込んでいる。これにより、アイデアに対するより深い理解が得られるのである。彼らは、単なる旅行者ではない。つまり、彼らが自分の部門に戻ったときには、クイック・レスポンス・プログラムの熱狂的な支持者になっているのである。なぜなら、いまや彼らはそのアイデアを自分のものにしているからである。彼らはルイビルのチームのなかで、実際にそのアイデアが機能するのを経験しているのだ。

 我々は、スタッフや管理階層、そして組織のピラミッドを取り除いてはじめて、こうしたさまざまな機会があることに気づいたのだ。もし私が最初からもっと速く動いていれば、こういった機会にもっと早く気づき、今日の姿よりもずっと進歩していたに違いない。

 さらに生産性を向上させる唯一の方法は、従業員をより積極的に仕事に参加させ、彼らが仕事に対して熱意をもつようにさせることだ。一二〇%の努力をしないような人間を、工場やオフィスのなかに入れる余裕はない。私が言うのは、ただ走り回って汗をかいていればよいということではない。より賢く仕事をしているかどうかということである。何かを作って箱に詰めるのではなく、顧客のニーズを理解しているかということだ。また全体のプロセスのなかで自分の役割を認識するということでもある。

 ワークアウトの狙いは、従業員により良い仕事を与えることにある。もし。自分のアイデアが取り入れられるのを見れば、彼らは誇り高く感じるであろう。ロボットのように何も感じないのではなく、彼らは自分が会社にとって重要な一部であると感じるのだ。実際、彼らは重要なのである。

 満足感を感じている従業員は、生産性の高い従業員になると私は考えている。雇用が十分にあり、海外との競争もなかった時代には、人々は仕事場にいるだけで満足していた。しかしいまや、人々は全く違う目的のために会社に来る。競合他社は敵であり、顧客だけが雇用を保証してくれるということを十分に理解しているので、競争に勝ちたいという意識をもって会社に来るのである。彼らにとっては、弱いマネージャーは不要なのだ。一九七〇年代および八〇年代の弱いマネージャーたちのでせいで、何百万もの雇用が失われたことを知っているかである。

 ワークアウトと境界のない組織を通じて、従業員からできるかぎりの知識と創造力を得ることによって、我々はGEの競争力を差別化しようとしている。このことは、競争力のある企業ならば世界のどの金融市場でも容易に調達できるのに比べれば、はるかに困難なことなのである。

 企業において、信頼関係を築くことはきわめて大切である。従業員は、彼らが公平に取り扱われている、すなわち、えこひいきなどがなく誰もが誰もが成功するチャンスがあると信じないかぎり、最善は尽くさないものである。

 こうした信頼関係をつくりあげていく唯一の方法は、価値を示し、それを人々にも実践させることである。自分がやると言ったことは、継続的に時間をかけてやりつづけなければならないのである。

 しかし、これは全員の賛同を得なければならないというわけではない。私は、電機労働者国際組合代表のビル・バイウォーターとたいへん仲が良い。私は彼を心底信頼しているが、彼はある分野では私と徹底的に戦うであろうことを知っているし、またその逆も言えるのだ。

 彼はGEの非組合工場で中立協定を結びたがっている。また、組合員を増やすことも望んでいる。

 しかし私は、『そんなことは考えられない! 我々は組合以上のものを人々に与えられるのだ』と言うだろう。

 彼は私の立場を理解しているし、私も同様である。我々はいつも意見が合うわけではないが、互いに信頼しているのだ。

 これが、境界のない組織ということである。そのなかで人々はオープンで信頼し合い、そしてアイデアを共有するのだ。積極的に人の意見を聞き、議論し、そして最良のアイデアを見つけだして、それを実行に移していくのである。

 GEがその目標を達成するためには、我々全員が境界をなくすことを実践しなければならない。境界はばかげたものである。組合も一つの境界なのであり、顧客、サブプライヤー、海外の同僚たちとを分け隔てている境界を克服していくのと同様に、その壁を越えていかなくてはならないのである。

 我々は、境界のない組織からそう遠いわけではない。それは、非常に大きなアイデアであるが、まだ十分に完成した姿にはなっていないと私は思っている。我々は、従業員全員に、彼らが物事を正しくやりとげたときには、それは彼らの行動が境界のないものになっているからであることを、常に繰り返し知らせていかなければならない。彼らが『境界のない組織』というアイデアを、当たり前のものとして感じるようになるまでに、あと数年はかかるであろう。

 私がいつ引退するかだって? しかるべきときがやって来ればそうするさ。あまり長く居座りつづけないよう神に祈っているけどね。

 私はいつも自問している。『自分が再生されると感じているか? 新しい物事に取り組んでいるか? どんなときに新しい環境にいると感じるか? 根本的に違うやり方を考え出しているか?』と。これらは、テストなのだ。これに落第したときが、私の引退するときなのだ。

 私は年に三、四回は、飛行機に飛び乗り一五日間に七か国を回ったりしている。頭がおかしいんじゃないか、と言う人もいる。私は、気が変になっているのではなく、自分自身を再生しようとしているのだ。

 会長交代は、まだ先のことになるだろうが、そのことは毎日考えている。この地位につく人間は、会社全体としてのビジョンをもち、そのビジョンのもとに人を引っ張っていく能力が必要であることは明白である。グローバルな環境にうまく適応し、世界中のリーダーたちとやりあっていかなければならない。そしてまた、会社のなかのあらゆるレベルの人たちとも、うまくやっていかなければならない。人種、性別などにかかわらず、すべての従業員に対し、境界のない態度で臨まなければならない。また、非常に高い清廉さも必要である。人間がすべての鍵になること、そして変化は恐れるものではなく楽しむものであるという本能を信じること。社内のことにあれこれ気をめぐらしすぎる人間、顧客を大事にしない人間、そして変化に対しオープンでない人間は、GEのトップにはなれないだろう。最後に、誰が会長になろうとも、その人間は私の言うところの『エッジ』をもっていなければならない。それは成功し、成長しつづけることに対しての飽くことのない情熱である。

 つまり、私はこの『エッジ』とGEの企業価値にかんがみて候補者を選ぶつもりだ。」