お母さんが安置所に行ってしまってからも、毎日実家へ行きました。

葬儀センターの方々との打ち合わせや、葬儀後の家に飾る祭壇の場所を片付けたり、結構〜やる事ってあるんですね。

お母さんは何でもノートとかにメモしたり、カレンダーに書き残してたりしていたので、お悔やみにいらして下さった方々のお名前や、先にお香典を頂いた方々、枕花を送って下さった方々、湯灌に来て下さった方々のお名前を一冊のノートにまとめておきました。

ここ一年位は自分の名前を書くのがやっとだったみたいで、お母さんの書いたメモが見つかったりすると嬉しくなりました。

そして、1日に1回はお母さんの顔を見に面会に行きました。
10分程度の短い時間と決まっていて、本当にお線香あげて、少しお話しして、すぐ帰る感じでした。

それでも、毎日行かないと気が済まない感じでしたね。

祭日には、うちの家族と行きましたが、弟は一人で行ったみたいです。


家族葬と言っても、親戚にコロナ感染者が出てしまい、その一家は濃厚接触者にもなる為、お通夜もお葬式も参列を辞退してきました。

一軒が5人、もう一軒は10人近くだったので、親戚のお席に座る人が少なそうでした。

母からすると姪っ子や甥っ子でしたから、最後にお別れが出来ない事をとても悔やんでいました。


本当にコロナって、怖いです。



そして....台風が発生しました。

ちょうどお通夜の日です。

特に、午後6時から8時の間が雨が強く降る予報でした。

家族は早めに行ったので、まだ小雨程度でした。

お母さんのメイクをして下さる方がもういらして下さっていて、パックとかしてもらっていました。

左目もコットンを薄く貼ってからファンデーションを塗って、まつ毛も右目と同じ様な感じにマスカラをつけて下さいました。

お肌もめちゃくちゃ潤っていて、すごく可愛いお顔に仕上げて下さいました。

ありがとうございます😌


生花もたくさん頂きました。


感謝です。





受け付けはお母さんの甥っ子である私からしたら従兄のお兄ちゃんと、たくろーとあぱたんにお願いしました。

お通夜も町内会の回覧板でのお知らせはしなかったのですが、人伝で伝わったんでしょうか、思ったよりも参列して下さる方が多くて....有り難かったです。

元サロンの社長、マネージャー、元スタッフの方々もいらして下さいました。


お母さんの同年代のお友達もお足元お悪い中、いらして下さいました。

とてもお元気そうで、嬉しくなりました。


遺影も2年前に金髪に染まってしまった時の笑顔の写真を髪色を暗めに加工して頂きました。

スマホで撮ったものですが、大きく引き伸ばしてもとてもキレイな画質でした。

着ていた洋服のシワもキレイにして頂き、バックもピンク系、額もピンク系のブラウンにしました。


皆さんからとても良い笑顔の遺影と、誉めて頂きまして、良かったです。




お通夜が終わる頃が一番雨が強くて、タクシーがつかまらないらしく、パピーの妹はたくろーとあぱたんに送ってもらい、従妹はうちの兄の車と、我が家のご近所に住んでる従妹はうちの車で送り、なんとか皆さん無事にお帰りになれた様です。

コロナ禍ですので会食はなく、ご僧侶、親戚の方々にはお弁当を用意して、持って帰って頂きました。


家に戻るとちょうど同じ頃たくろー達も到着。

久しぶりに4人でお弁当を食べました。


お母さん、ありがとうね〜





つづきます....