どんだけ泣いたでしょうか....
まだまだ介護が続くと思っていたので、お母さんとの事を思い出すと涙が溢れてきます....
弟はずーーーっと母と2人でしたので、介護もよくやってくれていました。
介護サービスを使う様になっても、自分なりにいろいろ勉強したり、トイレの介助も上手になってきた矢先でした。
私もシャワーの手際もよくなってきてて、その後の足のマッサージも片付けもスムーズに出来る様になってきたのに....
こんなにすぐに、その日がやってきてしまうなんて....
父の命日の日に、働いていたサロンのオーナーのお母様がお亡くなりなって、同じ日なんだな....と思っていたのです。
父の妹である叔母さんも3年前の同じ日に亡くなっていたので、ある意味7月31日は注意したい日でした。
お母さんも高齢で心配でしたが、猫のにゅうとんも心配でした。
でも、その日から5日....私の誕生日の前日に母は旅立ってしまったのです。
六畳の茶の間に母を寝かせ、エアコンを効かせてドライアイスで2日半。
お悔やみにいらして下さる方もいらっしゃるので、土日までが自宅に居られるギリギリでした。
その間に葬儀屋さんとの打ち合わせ、親戚やご近所さん達が次々とお悔やみにいらして下さり、朝から夕方まで実家に居ました。
棺に入れる着物や洋服を選んだり、お母さんがお家に居る間はなるべく実家で過ごしました。
弟もひとりになると寂しそうだったので、なるべく一緒に居てあげた方がいいかな?と。
ちょうど土日はわりと涼しい日でしたので、エアコン効いてる部屋に長く居ると寒すぎて😓
お母さんと一緒に居てあげたいけど、時々部屋の外に出ての繰り返し。
夕方になって私が帰っても、お悔やみにいらして下さる方も居た様で、弟もひとりで対応頑張ってくれていました。
月曜日には湯灌して棺に入り、安置所でお通夜の日まで預かって頂きます。
実家の家紋が入った色無地の着物、帯、帯あげ、帯締め、ブラウス、ズボン、ジャケット、あと弟が
「割烹着を入れてあげて」
とのリクエストがあったので、皆んなで入れてあげました。
ご近所の方々も集まって下さいました。
霊柩車に乗り、ホーンを鳴らして安置所へ向かうお母さん。
弟が一緒に乗り、最後のドライブです。
私達は兄の車で後から着いて行き、安置所でしばらくの間のお別れをしました。
「また明日会いに来るからね」
ひとりぼっちにして可哀想でしたが、何度もごめんね、と謝りました。
毎日会いに来る約束をして帰りました。
9時から4時まで面会が出来るので、従妹達を連れて行ったり、弟とは毎日一緒に行きました。
タケチ君とリリーさんの時は、家には戻らずに安置して下さるお部屋に寝かせてもらえる状態でして、24時間いつでも会いに行ける所でした。
そのお部屋にはリビングみたいにソファーとテーブルがあって、泊まっても大丈夫な様にブランケットも貸して下さいます。
リリーさんはわりとすぐに火葬の日が空いていたので数日でしたが、タケチ君の時は何日かあったのでエンバーミングをして頂きましたので、お顔の変化とかほとんどありませんでした。
母は左目だけが紫色に変色してしまい、とても気になりましたが、メイクして綺麗にして下さるとの事でしたので自然に任せました。
枕花もたくさん頂きました!
お花が大好きな母でしたので、とても喜んでいたと思います。
感謝です❣️
お通夜が土曜日、お葬式が日曜日に決まりました。
生前から
「家族葬は嫌だ」
と言っていたお母さん。
お葬式は普通にやって欲しいと言っていましたが、コロナ禍ですから家族葬で執り行うお家が多いです。
母はコロナが何なのか?よくわからない感じでしたから、意味がわかっていたかどうかはわかりませんが、コロナ禍だと家族葬も致し方ない事はそれとなく伝えてはありました。
隣町の斎場では大きな式場が一番早く出来るのと、やっぱり広いと安心だし、万が一参列してくださる方がいらっしゃった場合でも対応がしやすいですよね〜
参列出来る家族葬、コロナ禍ですのでご無理なくとお伝えして、町内会の回覧板では事後報告でのお知らせにして、特にご案内は出しませんでした。
葬祭センターの担当の方々はとても親切で、わからない事は詳しく説明して下さいます。
お寺のご住職へのご連絡やお布施の事やご挨拶の仕方、今後の相続の事とかも、わからない事だらけですが、いろいろ教えて下さいました。
やっぱり、寄り添って下さる事がありがたいです。
まだまだつづく....
