なぞのニューナンブ 4

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皆さまこんにちは。

少し反省しております。

間違った情報を発信しているのではないかと。

もしご不快だったり明らかに間違っていた時は、どうぞコメントをお寄せ下さい。



気になりましたのは2点。

ひとつは、ニューナンブはM10をモデルにしたのではないかという点です。

情報源は確かなところでしたが、あれからまた大量の資料をひっくり返しておりますと、

M36とM10をモデルにした、という資料が8割でした。そして、2割はM10を、という表記なのです。


実態はやはりなぞなのではありますが、M36を軽視したような表現は間違いであったと、
ここに訂正してお詫び申し上げます。

たいへん申し訳ございませんでした。


旭工房さんのサイトなどを拝見しておりますと、そこはプロだけあってたいへんなご努力で作品をお造りになっておられ、知識も情報も豊富でいらっしゃるところに、ぼくなんかが太刀打ちできるものではなく、たいそうに『なぞのニューナンブ』などと銘打っておはなしをするなどは生意気だったのかもしれません。

しかし、ぼくにとってニューナンブは人生においてもたいへんな命題であり、今後も僭越ながら続けていきたいものであります。

皆さま、どうかお許し下さい。



ふたつ目は、コクサイ金属M19について、たいへんに気にいっており、そのフィーリングが実物に近いと表現した点でございます。

これは主観であり、実物を手にした、できた瞬間に感じた、
グリップ感、重さ、

シングルアクション時のハンマー操作、ダブルアクション時のトリガープル、

実射時の反動における反作用などを述べたものであり、

この点でもしかすると疑問に思われる方がいらっしゃるのではないかと感じました。

30余年前の体験で風化しており、また実射における経験はたいへんに若輩者でありながら、

確定的な情報を発信しました事につきまして、ここに訂正し
お詫び申し上げます。

たいへんに申し訳ございませんでした。




さて。


ブレードランナーのデッカードブラスターとニューナンブです。

こちらは、留之助ブラスターと
マルシンポリスリボルバーになります。


この2つはぼくにはたいへんな
なぞでありました。

まだ昭和で、ネットなどない時代に、ひとつは架空、ひとつは実物という反するものであり、

情報源は反対方向にあるものでありました。

ブラスターについては、SF方面、ニューナンブについては現実方面に向かなくてはなりませんでした。


ブラスターについては、実物の延長線にあるものらしいという情報を得るまでには、

かなり時間を要したものであったと思います。

対してニューナンブは、実在するにもかかわらず、未だ実態が不明であります。

この点はたいへんに難しい問題であると思います。

自衛隊に置く、9mmけん銃の実態の現状、知る権利などを勘案しても、

早期の情報開示を望むものであります。


と、いうおはなしはまたにしまして、

原作では、デッカードは2丁拳銃持ちでした。

官給の38口径、という表記で
あり、ここはバックアップと
いう点、

原作が書かれた時代を考えると、M36なのではないか、と考えます。という点は以前述べました。

コンシールドを考えると、M49等もありえますが、官給という表記に置いては少し違う感があります。

また当然、コルトの38口径、S&Wの他の38口径も、またその他も当然ありえます。

しかし、原作の表記をよくみますと、ブラスターを使って尚、反撃を受け、

狭い車内での抜き撃ちという表現であることまでも考慮に入れ、また、

P.Kディックの他の作品を読み、ディックの発言などを聞いたり読んだりしますと、

性格的にも、ディックは直球的なところがありますので、

ここはM36の2インチであったのではないかと考察致します。


当然主観でありますので、ご不快に思われたり、ご意見ございましたら、コメント等をお寄せ下さい。


で、こちらはぼくが、たいへんに追いかけました、3丁です。

上から、
なぞの架空の銃。

なぞではないが、架空の銃。

なぞであり、架空ではない銃。

の3点です。


これはたいへん刺激を受けました。

ぼくはどうも、架空というか希少性に惹かれるところがあるように思います。

いろいろな事象やコレクション、女性に対しても、希少性にどうも惹かれる点があるように感じます。

まあ、女性、家内はさておき。


で、こちら。

マルシンのM92Fのエアガンです。申し訳ありません。

昭和60年頃に、米軍のトライアルがありましたよね。

古いGUN誌や、CM誌を見てみますと、やはりその頃であったようですね。違ったらごめんなさい。

米軍トライアルは鼻をならして興奮していました。

SIGのP220やグロック?H&K?などがあったと思います。ここも違ったらごめんなさい。

で、米軍はM92SBを、自衛隊はそれに落ちたSIG P220を選定しましたね。

これに、また、愕然というか唖然というような感慨を持ちまして、

ベレッタといえば 1934で、
イタリア製を選ぶなんて、なんとワールワイドなんだろうというところとか

またなぜ自衛隊は落ちたSIGを選んだのか、など、また多いにぼくのなぞ探求心を刺激したのであります。


このエアガンは 1985年12月のCM誌上において、マルシンの新発売予告が載りました。

『次期米軍主力拳銃』というキャッチコピーと、その原型モデルの写真に、おしっこを漏らしました。


エアガンかあ、とは思いながらも、高校生だったぼくは、くる日もくる日もベレッタに侵食されていきました。

ああ、ベレッタが欲しい、ベレッタを握りたい、いちもつより。ベレッタ様、などと夢うつつ状態であったのでありました。

この頃、スズキのベレッタM92SBがいつ発売になったのかを、ぼくは知りません。
スズキはあんまり広告を出していなかったのでは?

ちょっと記憶にないのですが、スゲエ田舎暮らしだったぼくは、スズキなどは入手がたいへん難しかったのです。

またこのマルシンエアガンは、たいへんにコマーシャルで、たいへん入手しやすく、

街の模型屋などには容易にマルシンの組みたてモデルガンなどが入手でき、

毎月の小遣いを工面して、毎月順当に組みたてていっていたのであります。

そういうバックグラウンドもあり、いかにモデルガン派といえど、マルシンベレッタ92エアガンを入手するということは、甚だ妥当であったのです。

当時は、たいへんなエアガンブームで、マルゼンからのカート式エアガンなどが発売されていて、

ああ、これならエアガンも
火薬ガスで回転するモデルガンに比べて、清掃する手間などを考えれば、

なるほど気楽だなあ、と思ったものです。すみません。

果たして、マルシンベレッタを入手した暁に、ぼくはもう漏らしたのでした。


そのマルシンベレッタは、当時のマルイの一連のプラプラなエアガンに比べて、たいへんしっかりしており、

その素晴らしいABSの地肌は今にしてもたいへん素晴らしい文鎮度をほこります。


今思えば、あのマルシンベレッタの広告の原型モデルは、六人部さんの手によるものであったでしょう。手にしたマルシンのベレッタはちょっと違いましたが。




大学受験で、運良くなのか悪いのか、名古屋の某私立大への推薦を受けたぼくは、

たったひとりで、福岡の試験会場にいくことになりました。


たいへん不安で、3科目だったかな、福岡の駅の裏のビジネスホテルに前日入りになり、

多いに地理不案内で、親が手配してくれたホテルで、夕食などはどうしたのだろうと、最早記憶にありません。


前日、会場の下見をして、小さいホテルの一室でテレビもつけず、ベッドの上で最後の勉強をしました。

一般の受験に先だって行われた、推薦試験はたいへんな不安と恐怖であり、また、前日に現地で夜を明かすなどは、

たいへんな恐怖だったのです。

ぼくの手には、その時マストなアイテムのマルシンベレッタが握られており、

ありもしないしんとした恐怖のホテル内での、見えない敵とのビルコンバットが、

試験におおいに影響し、不合格になったのは

いうまでもありません。


みごとに全敗を期したぼくは、
憧れの東京生活をすることになりました。


予備校の寮に住むことになり、同輩や先輩などと一緒に生活し、

小さい荷物をひろげて、もう秘密やプライベートなどはなくなった生活でも、

ぼくに深く染み込んだ、モデルガンへの想いは、

ひたすら、ひた隠しになったのでありました。


その頃、スズキのベレッタ92SBを入手したぼくは、

非常に暑い夏に、自室でこっそり組みたてた、MGキャップのカートリッジを装填し、

高田馬場のひっそりとした公園で、アホみたいに発火しまくりました。


英単語ではなく、火薬まみれになっていったのでありました。


まるで取り憑かれたように発火しまくる人生は、

それからぼくに、2年も3年をもを過ごさせ、

これではいけない、と反省し、
火薬を一時封印した頃には、

なぜかまた福岡の地をぼくに踏ませ、マルシンの新発売、ベレッタM92Fを入手することとなったのです。

方向間違っとるがな。


まったくの実物で、違うのは材質だけ!という触れ込みの、材質違ったら実物やないやんけ、というツッコミもなく、

ありがたく散財した、マルシンのベレッタM92F ダミーカートモデルガンは

ぼくにはじめてのダミーカートモデルガンの世界を案内し、

ひたすら分解・結合を繰り返し、

装填・排薬もあざやかに

人生もあざやかに散ったのでありました。