1986年の入院 全身麻酔の手術の思い出 | Mw, Fly Forever✨

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しょこさまが

入院と

全身麻酔の

手術の事を

Twitterで

書いておられるので

久しぶりに

思い出したのだけれど


わたくしも

幼稚園児の時

全身麻酔の手術

受けたよ⭐️


わたくしは

生まれつき

病気で

その治療が

できる病院が

当時

新宿と

大阪にしか

なくて

3歳くらいの時

新宿の病院で

入院したけれど

治らなくて

6歳の時に

大阪の病院で

手術することに⭐️


当時はまだ

三重に住んでいたので

家族総出で

数日間

大阪で

暮らすことになり

わたくしと母は

病院で

残りの家族は

梅田の

ヒルトンに

泊まることになった


わたくしは

個室だったから

快適だったけれど

生まれた時から

何故

自分だけ

病気なんだろう

って

思いがあって

他の兄弟は

病院で

痛い治療とか

こわい

治療を

しなくてよいのに

何故自分だけ


思っていて

自分だけ

なんかおかしいんだ

って思って

お家の中では

元気に喋るけれど

お外に出ると

人目が気になって

ほとんど

喋らない

子どもに

なっていたよ


しばらく

入院して

手術当日

ストレッチャーに

乗せられて

手術前に

注射をして

いよいよ

手術台へ


オペ着の

たくさんの

ドクターが

自分の顔を

覗き込んで

全身麻酔の

マスクを

お顔に

当てられたのだけれど

なんだか

息苦しくなって

息苦しいのを

伝えないといけない!!

って

足をバタバタしていたら

記憶がなくなって

気づいたら

手術が

終わっていたよ


なんか

普通

全身麻酔って

息苦しくなること

ないみたいで

あれ

なんだったんだろう

(・_・;☆・:.,;*

まぁ

生きているから

いいか

という

感じだよ⭐️笑


手術は

成功して

無事退院したのだけれど

入院中

毎日

母が

病院の

ロビーに

設置されていた

カップヌードルの

自動販売機で

毎日

一種類ずつ

カップヌードルを

買ってくれて

分けて食べたよ⭐️笑


というのも

当時

母は

カップラーメンは

栄養がないと

思っていたらしく

食べるのを

禁止していて

結局

14歳くらいまで

カップラーメン食べるの

禁止だったのだけれど

わたくしが

当時

カップラーメン

食べたがっていたのを

知っていたので

入院中

不安だろうから

せめて

好きなものを食べて

喜ばせようと

その数日だけ

特別に

夜食的な感じで

食べさせて

くれたよ⭐️


最終日は

どん兵衛で

こんな

うどんのやつも

あるのか✨✨

って

感動して

入院中の

嫌な気分も

連日の

カップラーメン

のおかげで

楽しい気持ちに

なれたよ⭐️笑


あと

その

入院のために

大阪に

滞在して

大阪の

はとこ一家と

よく会っていて

はとこ一家から

大阪に引っ越ししたらいいよ!

って

言われて

はとこの家は

病院だったので

父に

うちで

働いてよ

言ってくれて

1987年の

年末に

本当に

一家で

大阪に引っ越しして

父も

はとこの病院で

勤めることに

なったんだよ


でも

はとこが

難波の

都会に住んでいたので


子どもを

育てるなら

もっと

自然がたくさんあるところが

いいから

北摂にしたらいいよ

住むところまで

アドバイスしてくれて

はとこのおかげで

大阪にいられている

感じだよ


それも

わたくしの

入院から

始まった話なので


入院

手術は

いい思い出では

ないけれど

それきっかけで

大阪に来ることができたから

なんだか

良かったと

思っている


わたくしの

入院がなければ

大阪に引っ越す

という

発想は

なかったので

たぶん

まだ

三重にいたと

思う

(@_@)☆・:.,;*


おそらく

いまだに

自動改札もないだろう

ってところに

住んでいたので


たぶん

そんなに

ライブやイベントに

頻繁に

行けてないと思うので

全然違う人生だった

思うよ

」(。Д。」)☆・:.,;*


三重に

あのままいたら

どんな人生

だったのかなぁ

☆・:.,;*