しょこさまが
今
入院と
全身麻酔の
手術の事を
Twitterで
書いておられるので
久しぶりに
思い出したのだけれど
わたくしも
幼稚園児の時
全身麻酔の手術
受けたよ⭐️
わたくしは
生まれつき
病気で
その治療が
できる病院が
当時
新宿と
大阪にしか
なくて
3歳くらいの時
新宿の病院で
入院したけれど
治らなくて
6歳の時に
大阪の病院で
手術することに⭐️
当時はまだ
三重に住んでいたので
家族総出で
数日間
大阪で
暮らすことになり
わたくしと母は
病院で
残りの家族は
梅田の
ヒルトンに
泊まることになった
わたくしは
個室だったから
快適だったけれど
生まれた時から
何故
自分だけ
病気なんだろう
って
思いがあって
他の兄弟は
病院で
痛い治療とか
こわい
治療を
しなくてよいのに
何故自分だけ
と
思っていて
自分だけ
なんかおかしいんだ
って思って
お家の中では
元気に喋るけれど
お外に出ると
人目が気になって
ほとんど
喋らない
子どもに
なっていたよ
しばらく
入院して
手術当日
ストレッチャーに
乗せられて
手術前に
注射をして
いよいよ
手術台へ
オペ着の
たくさんの
ドクターが
自分の顔を
覗き込んで
全身麻酔の
マスクを
お顔に
当てられたのだけれど
なんだか
息苦しくなって
息苦しいのを
伝えないといけない!!
って
足をバタバタしていたら
記憶がなくなって
気づいたら
手術が
終わっていたよ
なんか
普通
全身麻酔って
息苦しくなること
ないみたいで
あれ
なんだったんだろう
(・_・;☆・:.,;*
まぁ
生きているから
いいか
という
感じだよ⭐️笑
手術は
成功して
無事退院したのだけれど
入院中
毎日
母が
病院の
ロビーに
設置されていた
カップヌードルの
自動販売機で
毎日
一種類ずつ
カップヌードルを
買ってくれて
分けて食べたよ⭐️笑
というのも
当時
母は
カップラーメンは
栄養がないと
思っていたらしく
食べるのを
禁止していて
結局
14歳くらいまで
カップラーメン食べるの
禁止だったのだけれど
わたくしが
当時
カップラーメン
食べたがっていたのを
知っていたので
入院中
不安だろうから
せめて
好きなものを食べて
喜ばせようと
その数日だけ
特別に
夜食的な感じで
食べさせて
くれたよ⭐️
最終日は
どん兵衛で
こんな
うどんのやつも
あるのか✨✨
って
感動して
入院中の
嫌な気分も
連日の
カップラーメン
のおかげで
楽しい気持ちに
なれたよ⭐️笑
あと
その
入院のために
大阪に
滞在して
大阪の
はとこ一家と
よく会っていて
はとこ一家から
大阪に引っ越ししたらいいよ!
って
言われて
はとこの家は
病院だったので
父に
うちで
働いてよ
と
言ってくれて
1987年の
年末に
本当に
一家で
大阪に引っ越しして
父も
はとこの病院で
勤めることに
なったんだよ
でも
はとこが
難波の
都会に住んでいたので
子どもを
育てるなら
もっと
自然がたくさんあるところが
いいから
北摂にしたらいいよ
と
住むところまで
アドバイスしてくれて
はとこのおかげで
今
大阪にいられている
感じだよ
それも
わたくしの
入院から
始まった話なので
入院
手術は
いい思い出では
ないけれど
それきっかけで
大阪に来ることができたから
なんだか
良かったと
思っている
わたくしの
入院がなければ
大阪に引っ越す
という
発想は
なかったので
たぶん
まだ
三重にいたと
思う
(@_@)☆・:.,;*
おそらく
いまだに
自動改札もないだろう
ってところに
住んでいたので
たぶん
そんなに
ライブやイベントに
頻繁に
行けてないと思うので
全然違う人生だった
と
思うよ
」(。Д。」)☆・:.,;*
三重に
あのままいたら
どんな人生
だったのかなぁ
☆・:.,;*