思い出すと
怖くて
ゾッとするけれど
絶対に
忘れては
いけない日
朝5時
46分
まだ
眠っていて
真っ暗な
部屋の中で
突然
とんでもない
爆発的な
揺れで
目が覚めた
こんな大きな
地震は初めてで
これは怖い
きっとこのまま
家が潰れて
自分は
死ぬんだ
と
思った
ものすごい
恐怖の中
布団を
頭から
かぶりながら
耐えていたら
自分の
顔の上に
ドカっと
本棚が
倒れてきた
布団をかぶっていたので
何が倒れてきたのか
分からず
もしかして
天井が
落ちてきたのか
これは
確実に死ぬ
と
思った
しかし
やがて
恐ろしい
揺れは
おさまって
一階から
母が
大声で
わたくしの
名前を
呼びながら
2階に
駆け上がって
来た
母が
倒れてきた
本棚を
よけてくれた時
助かったんだ
と
思って
安心して
めさめさ
泣いた
(;_;)
家の中の家具は
めちゃくちゃに
なったが
家族5人
全員無事だった
まだ
余震が
続いていたので
小さい部屋に
固まっているほうが
安全だろう
ということで
家族全員
狭いトイレに
避難して
リビングの
テレビで
NHKの
ニュースを
つけて
トイレの中から
観ていた
NHKでは
余震で
揺れながら
地震情報を
必死で
伝えてくれていた
当時まだ
中2だったので
ところで
今日の学校は
どうなるんだろう?
と
気になった
バスを2つ乗り継いで
豊中の中学に
通っていたので
中学の
近くに住んでいる
クラスメイトに
電話してみたら
門のところに
休校と
書いていたよ
と
教えてくれた
わたくしの
通っていた
中高は
神戸方面から
通学している
生徒が
多く
とても
授業が出来る
状態では
なかった
学校が
再開したのは
何日も後
だったし
再開後も
自習ばかりで
授業は無かった
先生たちは
神戸方面から
通学していた
生徒の
対応に
追われていた
家が
半壊した人
全壊した人
など
アンケートを
とったり
家が
全壊した
生徒に
普段
外国の先生が
利用している
寮を
提供したり
していた
姉が
通っていた
中高は
家の近くに
あったが
姉の通っていた
学校も
神戸方面から
通っている
生徒が
たくさんいた
わたくしの家が
姉の学校から
近いことから
姉のクラスメイトが
しばらくの間
わたくしの家に
学校帰りに
何人か
お風呂に入りに来たり
母が
お風呂入りに来てくれた
生徒に
ご家族分の
カップラーメンや
ヤクルトを用意して
持って帰ってもらっていた
あの時のことは
本当に
細かく覚えているので
とても
24年も
前の事とは
思えない
あんなに
大変で
怖くて
死を覚悟した
出来事
たくさん
犠牲に
なった
方もおられるし
1995年1月17日は
絶対に忘れては
いけない
いつまでも
あの日を
忘れずに
生きていかないと
いけない