震災から
今日で
20年★
あの日は
まったく
最近の事の
感覚で
あれから
20年経ったんだと
思うと
その間
確かに
いろんなことが
あったけれど
でも
あれから
もう
20年も
経過するのかと
思うと
20年って
あっというま
だなぁ
って
思うよ
20年前は
自分は
中二の
終わり頃で
14歳だったから
それだけ
昔なのかも
しれないけれど
感覚としては
あの震災は
まったく
記憶に
新しい
最近の
出来事のやうに
鮮明に
覚えているよ
たぶん
怖すぎて
忘れられない
からだろうねぇ
(>-<。。
だから
あのことは
すごく
覚えているけれど
それ以降に
あったことは
忘れているかも
しれない
そんな感じで
あの出来事の
記憶は
他の記憶が
なくなっても
けして
消えないで
残っているもので
だから
最近のこと
って
思うのかも
ねぇ・・・★
あの日の事を
これからも
忘れないために
書きますが
あの震災の日
というか
震災の日の
前日
1月16日
その日は
祝日か
学校が休みの日かで
とにかく
震災の
前日は
お休みの
日だった★
そして
夜
寝る時に
「あー 明日から
また学校かぁ・・」って
思いながら
セーラームーンの
9巻を
寝転がりながら
読んでいて
しばらくし
寝ました
そして
翌日の
朝
5時46分
まだ
真っ暗な
中で
突然
ドーンという
ものすごい
音で
家が
揺れだし
うわ
なんだろう
って
びっくりして
真っ暗で
何も見えないなかで
結構速い音で
ドンドンドンドンという
とんでもない
音と
揺れが
続いて
とにかく
心臓が
止まるほどの
恐ろしさで
とにかく
お布団を
頭から
かぶっておこうって
おもって
これは
地震なんだ
って
分かったけれど
でも
こんなに
大きな地震だと
絶対に
家が
崩れる
って
思って
もう家具が
めちゃくちゃに
倒れる音が
したので
このまま
天井が
落ちて
自分は
死ぬんだ
って
思って
生まれて
初めて
本当に
これで
死ぬんだ
って
思ったよ
最後は
こういう
怖い目に
あって
死ぬんだなぁ
って
思って
そして
自分の体の上に
何か
重いものが
ドーンと
倒れてきて
暗いし
お布団かぶっていて
何が
自分に
倒れてきたのか
分からなかったので
きっと
天井の
電気が
自分に
落ちてきたんだと
思って
いよいよ
この後
天井が
落ちてきて
もう
死ぬんだ
って
思ったよ
そしたら
しばらくして
恐ろしい
揺れが
収まって
どうやら
助かった・・?
って
思ったけれど
もう
こわくて
しばらく
お布団かぶったまま
動けなかったよ
すると
下で
寝ていた
母が
階段を
上がってきて
自分の部屋に
入ってきてくれて
母が
わたくしの
お部屋に
入った時
わたくしの
体の上に
本棚が
かぶさって
いて
電気が
落ちたと思ったのは
ベッドの横にあった
本棚で
本棚が
自分の
体に
倒れてきていたので
母が
本棚を
元に
戻してくれて
母が
なんでか
分からないけれど
わたくしが
何か
えらい目にあっている
気がしたようで
一番に
わたくしのところに
駆けつけてくれた
やうだよ
(>-<。。
そして
わたくしは
安心して
涙がでて
その後
起きあがって
そして
家族5人
で
とりあえず
みんなで
一つのところに
固まっていよう
って
なって
みんなで
一階の
トイレに
避難しようって
なって
一階の
トイレに
5人全員で
避難しながら
リビングで
NHKの
ニュースを
つけて
リビングの
TVを
トイレから
観ていた
NHKの
ニュースの人も
余震で
揺れながら
地震の情報を
伝えてくれていた
その時の
ニュースキャスターの人の
お顔は
まだ鮮明に
覚えていて
その後
そのアナウンサーの人が
出るたびに
あ
震災の時の
人だ
って
思うよ
そして
いったい
どんな規模の
地震で
外が
どうなっているのか
も
分からない状態で
余震のたびに
ゾッとしながら
トイレから
ニュースを
観ていたら
どうやら
狭いところに
固まっていたら
危険です
みたいなのを
テレビで
やってて
トイレに
固まっているのは
逆に
危ないんだって
おもって
全員で
リビングに
いることに
したよ
そして
ところで
今日
学校は
どうなるんだろう
って
思ったけど
通っていた学校が
豊中の
学校なので
家から
遠いから
確認に
いけないし
学校に
電話しても
つながらなかったように
思う★
そして
学校の近くに
住む
クラスメイトが
2人だけ
いたので
その子に
電話したら
学校の
校門に
休校って
書いてあったよ
って
教えてくれて
とりあえず
今日は
学校ないんだ
って
思って
それから
ずっと
余震に
振るえながら
ニュースを
観ていたら
だんだん
これが
とんでもない
地震だったことが
分かって
神戸の様子なども
だんだん分かっていて
これは
ひどい
って
思って
こんなことが
起こるなんて
って
すごく
ショックだったよ
(>-<。。。
地震が
起こって
まもなくは
『阪神大震災』
じゃなくて
『兵庫県南部地震』
って
テレビで
報道されていた
やうに
思う
数日?
か
数週間して
『阪神淡路大震災』
と
報道するように
なった
そして
自分の通っていた
中学は
兵庫とか
神戸方面から
通っている人が
多かったから
クラスメイトのことも
心配になったけれど
クラスの子は
お家が
半壊した
子も
いたけれど
みんな
無事だったし
学校全体でも
神戸方面から
通学している人が
すごく多かったけれど
全員
無事だったみたい
(>-<。。
でも
お家が
全壊したり
半壊した子が
いたので
授業は
2週間は
なかったやうに
思える
数日して
学校再開
したけれど
しばらくは
視聴覚教室で
授業はせずに
何かビデオを
観たり
して
過ごしていた
気がするよ
そして
お家が
半壊した
子などは
学校の
寮
(外国人の
教師向けの
寮)に
泊まったりとか
したりした
気がする
そして
わたくしのお家は
姉が
通っていた
学校に
近くて
姉の学校でも
神戸方面から
通学している
子が
多くて
避難生活を
送っている子たちが
いたから
その子たちは
しばらく
わたくしの
お家に
お泊りしたり
学校帰りに
お風呂だけ
入りにきたり
何名かの
姉の学校の
生徒さんたちが
いつも
学校帰りに
わたくしのお家に
お風呂に入りに
きたりしてて
帰る時に
母が
紙袋に
カップラーメンとか
ヤクルトとか
非常食を
つめたのを
渡してあげていた
のを
覚えている
姉の学校は
すごく厳しくて
飴を持ってきただけでも
反省文を書かされる
ような学校だったので
学校を出て
通学ルートと
違う方向へ
歩いているだけでも
怒られるような
学校だったので
母は
学校に
許可を
とって
避難生活を
している
姉の学校の
人たちを
お家に
招いていた
みたい
そういう
風に
あの頃の
20年前のことは
結構
鮮明に
覚えている
こういうことは
これからも
忘れないように
しやうと
思う★