1995年1月17日を忘れないために★ | Mw, Fly Forever✨

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震災から

今日で

20年★


あの日は

まったく

最近の事の

感覚で

あれから

20年経ったんだと

思うと


その間

確かに

いろんなことが

あったけれど

でも

あれから

もう

20年も

経過するのかと

思うと

20年って

あっというま

だなぁ

って

思うよ


20年前は

自分は

中二の

終わり頃で

14歳だったから


それだけ

昔なのかも

しれないけれど

感覚としては

あの震災は

まったく

記憶に

新しい

最近の

出来事のやうに

鮮明に

覚えているよ


たぶん

怖すぎて

忘れられない

からだろうねぇ

(>-<。。


だから

あのことは

すごく

覚えているけれど


それ以降に

あったことは

忘れているかも

しれない


そんな感じで

あの出来事の

記憶は


他の記憶が

なくなっても

けして

消えないで

残っているもので

だから

最近のこと

って

思うのかも

ねぇ・・・★


あの日の事を

これからも

忘れないために

書きますが


あの震災の日


というか

震災の日の

前日


1月16日

その日は

祝日か

学校が休みの日かで

とにかく

震災の

前日は

お休みの

日だった★


そして

寝る時に


「あー 明日から

また学校かぁ・・」って

思いながら

セーラームーンの

9巻を

寝転がりながら

読んでいて

しばらくし

寝ました


そして

翌日の

5時46分


まだ

真っ暗な

中で


突然

ドーンという

ものすごい

音で

家が

揺れだし


うわ

なんだろう

って

びっくりして


真っ暗で

何も見えないなかで

結構速い音で

ドンドンドンドンという

とんでもない

音と

揺れが

続いて

とにかく

心臓が

止まるほどの

恐ろしさで

とにかく

お布団を

頭から

かぶっておこうって

おもって


これは

地震なんだ

って

分かったけれど


でも

こんなに

大きな地震だと

絶対に

家が

崩れる

って

思って


もう家具が

めちゃくちゃに

倒れる音が

したので


このまま

天井が

落ちて

自分は

死ぬんだ

って

思って


生まれて

初めて

本当に

これで

死ぬんだ

って

思ったよ


最後は

こういう

怖い目に

あって

死ぬんだなぁ

って

思って


そして

自分の体の上に

何か

重いものが

ドーンと

倒れてきて


暗いし

お布団かぶっていて

何が

自分に

倒れてきたのか

分からなかったので

きっと

天井の

電気が

自分に

落ちてきたんだと

思って

いよいよ

この後

天井が

落ちてきて

もう

死ぬんだ


って

思ったよ


そしたら


しばらくして

恐ろしい

揺れが

収まって


どうやら

助かった・・?


って

思ったけれど


もう

こわくて

しばらく

お布団かぶったまま

動けなかったよ


すると

下で

寝ていた

母が

階段を

上がってきて


自分の部屋に

入ってきてくれて


母が

わたくしの

お部屋に

入った時

わたくしの

体の上に

本棚が

かぶさって

いて


電気が

落ちたと思ったのは

ベッドの横にあった

本棚で


本棚が

自分の

体に

倒れてきていたので

母が

本棚を

元に

戻してくれて


母が

なんでか

分からないけれど


わたくしが

何か

えらい目にあっている

気がしたようで

一番に

わたくしのところに

駆けつけてくれた

やうだよ

(>-<。。


そして

わたくしは

安心して

涙がでて

その後

起きあがって


そして

家族5人


とりあえず

みんなで

一つのところに

固まっていよう

って

なって

みんなで

一階の

トイレに

避難しようって

なって


一階の

トイレに

5人全員で

避難しながら


リビングで

NHKの

ニュースを

つけて

リビングの

TVを

トイレから

観ていた


NHKの

ニュースの人も


余震で

揺れながら

地震の情報を

伝えてくれていた


その時の

ニュースキャスターの人の

お顔は

まだ鮮明に

覚えていて

その後

そのアナウンサーの人が

出るたびに


震災の時の

人だ

って

思うよ


そして

いったい

どんな規模の

地震で

外が

どうなっているのか

分からない状態で

余震のたびに

ゾッとしながら

トイレから

ニュースを

観ていたら


どうやら

狭いところに

固まっていたら

危険です

みたいなのを

テレビで

やってて


トイレに

固まっているのは

逆に

危ないんだって

おもって


全員で

リビングに

いることに

したよ


そして


ところで

今日

学校は

どうなるんだろう


って

思ったけど


通っていた学校が

豊中の

学校なので


家から

遠いから

確認に

いけないし


学校に

電話しても

つながらなかったように

思う★


そして

学校の近くに

住む

クラスメイトが

2人だけ

いたので

その子に

電話したら


学校の

校門に

休校って

書いてあったよ

って

教えてくれて

とりあえず

今日は

学校ないんだ

って

思って


それから

ずっと

余震に

振るえながら

ニュースを

観ていたら

だんだん

これが

とんでもない

地震だったことが

分かって


神戸の様子なども

だんだん分かっていて

これは

ひどい


って

思って


こんなことが

起こるなんて

って

すごく

ショックだったよ

(>-<。。。


地震が

起こって

まもなくは


『阪神大震災』

じゃなくて


『兵庫県南部地震』

って

テレビで

報道されていた

やうに

思う


数日?

数週間して


『阪神淡路大震災』

報道するように

なった


そして

自分の通っていた

中学は


兵庫とか

神戸方面から

通っている人が

多かったから


クラスメイトのことも

心配になったけれど


クラスの子は


お家が

半壊した

子も

いたけれど

みんな

無事だったし


学校全体でも

神戸方面から

通学している人が

すごく多かったけれど

全員

無事だったみたい

(>-<。。


でも

お家が

全壊したり

半壊した子が

いたので


授業は

2週間は

なかったやうに

思える


数日して

学校再開

したけれど


しばらくは

視聴覚教室で

授業はせずに

何かビデオを

観たり

して

過ごしていた

気がするよ


そして

お家が

半壊した

子などは

学校の

(外国人の

教師向けの

寮)に

泊まったりとか

したりした

気がする


そして


わたくしのお家は

姉が

通っていた

学校に

近くて


姉の学校でも

神戸方面から

通学している

子が

多くて


避難生活を

送っている子たちが

いたから


その子たちは

しばらく

わたくしの

お家に

お泊りしたり


学校帰りに

お風呂だけ

入りにきたり


何名かの

姉の学校の

生徒さんたちが

いつも

学校帰りに

わたくしのお家に

お風呂に入りに

きたりしてて


帰る時に

母が

紙袋に

カップラーメンとか

ヤクルトとか

非常食を

つめたのを

渡してあげていた

のを

覚えている


姉の学校は

すごく厳しくて

飴を持ってきただけでも

反省文を書かされる

ような学校だったので

学校を出て

通学ルートと

違う方向へ

歩いているだけでも

怒られるような

学校だったので


母は

学校に

許可を

とって


避難生活を

している

姉の学校の

人たちを

お家に

招いていた

みたい




そういう

風に

あの頃の

20年前のことは

結構

鮮明に

覚えている


こういうことは

これからも

忘れないように

しやうと

思う★