【第2期】 シャモ所長時代~拡大期~ | 会計進化論。

【第2期】 シャモ所長時代~拡大期~


【第2期】 シャモ所長時代~拡大期~

 ニワトリ会計事務所は、1970年代から1980年代にかけて、着実に成長していきました。時代は、オイルショックを経て、個人事業者が次々に法人成りしていった頃でもありました。


 あるときからシャモ氏は、税務会計部門のスタッフに、「月次監査訪問」を義務付けるようにしました。それまでは、決算申告時期に訪問して、申告期限の直前に利益と税額を伝えていましたが、電卓も1人1台ずつ会社で支給し、できる限り毎月不明点を減らし、決算時期の業務の集中を避けるようにしました。



 その後も、ニワトリ会計事務所はシャモ所長の人柄の下に従業員が集まり、一時期には、最大で従業員75名の会計事務所(グループ全体で100名)となりました。税理士業務以外の記帳代行や給与計算は、新しく設立した(有)ニワトリ経営管理で行っていました(当時の代表取締役は、番頭さんと呼ばれたベテラン職員がなっていました)。


にわとり ニワトリ 鶏「よし、社会保険労務士を集めて労務部門を作ろう!」

にわとり ニワトリ 鶏「よし、医療法人の設立を進めていくぞ!」

にわとり ニワトリ 鶏司法書士も必要だ! スムーズな登記サービスを行おう」



 ニワトリ会計事務所の顧客は、中小企業と個人事業者でした。彼らのニーズに1つ1つ答えるためには、会計事務所の規模の拡大は必然でした。一ヶ所ですべてのニーズを満たすために、次々に人員が増えていきました。


 医療でたとえると、町の診療所から、総合病院化をするようなものでした。内科の看板を掲げてはじめたのが、眼科や耳鼻咽喉科を増やし、さらには外科や産婦人科などを併設し、次々に医師や看護師を増やしていくことで、そこに行けばどのような症状にも対応できます。

 東京と異なり、地方都市では、専門家(有資格者)を集め、「地域密着」と「ワンストップサービス」を提供するのが、会計事務所の主流となり、その流れは今も続いています。


 もともと、税理士をはじめとする士業は、独占業務(税理士は税務代理・税務書類の作成・税務相談)という、法的に守られた業務を行う業種ですが、あくまでも人が行うサービス業の一種です。収益を上げるためには、顧客を増やし、人海戦術で対応することで収益を確保するという拡大戦略が当時からの主たる1つのビジネスモデルでした。典型的な労働集約型ビジネスでした。


にわとり ニワトリ 鶏「しかし、いずれ拡大が止まるときがくる・・・」


 関与先に訪問するのが業務の中心であることから、ある一定地域を超えて関与先を増やすことはまれです(=増やしても時間とコストに見合わないため増やせない)。そのため、気づけばまるで徳川幕府の藩のように、各エリアごとに主要な会計事務所が台頭していきました。


 1988年当時、ニワトリ会計事務所は、那古野エリアにおいてナンバー3の実力をもつ会計事務所に成長していました。


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【補足】

 当然ですが、東京にも大規模な会計事務所は存在します。業界トップの会計事務所も、東京にあります(ただし、何をもってトップとするかは異論があるかもしれませんが、全体的なバランスでここは1番だという意味がとしておきます)。ただここで話になっているのは、「じゃあ、東京以外は?」ということですが、上述のとおり、江戸幕府の「藩体制(しかも幕末)」ではないかと私は考えています。


 各エリアごとに大規模会計事務所があり、地域ナンバー1を競っていますが、その地域を出ることは非常にまれなことです。ただし、今現在は確かにそうですが、これからも本当に「藩」のままでいられるのか、それとも、黒船(独占業務の開放、電子申告の義務化、サラリーマン等の確定申告義務など)がやってきて、藩体制の崩壊が起こるのか、どうなんだろう、と考えているところです。