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けいパパのブログ 短腸症候群×胆道閉鎖症の愛息子を支える家族の生体肝移植奮闘記

短腸症候群×胆道閉鎖症の愛息子を支える家族の生体肝移植奮闘記



移植医療における主人公はやはりレシピエントである。

そして、自らの臓器を提供することによってレシピエントへの移植を可能にするドナーが主人公に次ぐ重要な登場人物であることもまた論をまたない。

そのレシピエントとドナーを中心として医師・看護師・移植コーディネーター・薬剤師・スタッフらが一丸となって闘っていくのが移植医療である。

ここで気が付くことがある。

今こうしてブログを書いている私が登場人物として挙げられていないのだ。

「レシピエントとドナーの家族」

この患者サイドにおける第三の登場人物は、移植において医療的な貢献こそできないものの、非常に重要な存在だと信じている。

その主な役割としては以下のようなところだろうか。

・レシピエント・ドナーの心理的サポート
・肝移植に関する基礎知識の習得
・経済的基盤の構築(含む公費助成の申請)
・周辺関係者(親戚・友人・同僚等)の支援体制の構築
 等

医療的な貢献はできないながらも、この移植の闘いにおいて私が果たすべき役割は、ある。その役割を如何にしっかりと果たせるかが、息子と妻を如何にしっかりと支えることができるか、に直結する。そんなことを考えながら、手術室で頑張っている息子と妻の無事を待っていた。
手術日の朝を迎えた。

この日まで息子も妻もしっかりと体調を維持してくれた。また、HLA検査の結果も移植にストップをかけるようなものではなかった。あとは、妻が手術開始後の肝生検さえパスしてくれれば、幾多の困難に晒された息子の生体肝移植は実現する。

この度移植を行う病院では、移植手術は月曜日に行うのが通例である(緊急の場合を除く)。移植は術前・術中もさることながら、術後の管理が非常に重要な医療である。故に、手術直後の最も緊迫した期間を、体制が手厚い平日に当てるためにこうしたスケジューリングがなされている。

手術当日はドナーである妻が朝8時30分に手術室入り。そして30分後の9時00分にレシピエントである息子が続く。

その後、麻酔をかけたり、妻の肝生検を行ったりするため、手術の開始自体は手術室に入ってから数時間が経過した12時00分前頃となる。

ドナーの手術時間は6~8時間、レシピエントの手術時間は小児の場合8~12時間(成人の場合は12~15時間)が標準的とされているが、状況次第で大きく延びることも想定される。

手術が終わるのは夜中から明け方であることが予想されるので、病院近くのホテルに部屋を確保する家族も多いとのこと。私たちに対しても病院が近くのホテルのリストを用意してくれていたが、自宅までタクシーで帰れる距離なので今回は部屋を予約せずに手術に臨むこととした。

妻は健康体なのでスタスタと自力で歩いて手術室へと向かった。家族三人での無事の再会を誓って笑顔で別れる。凄い妻をもらったものである。

その後、可動式のベッドで手術室へと運ばれていく息子を万感の思いで送り出す。白目が黄色く、顔も茶色い。お腹はパンパンで見るからに苦しそうである。この苦しみから無事に解放されることを祈って息子を扉の向こうへと見送った。

本当の闘いがいざ幕を開ける。

手術日の2日前、ドナーである妻が入院した。

ここから2泊3日の入院生活の中で、流動食をはじめ、浣腸を行うことで、手術時にお腹が空っぽになっているように準備していく。

肝移植はドナーにとっても大変な大手術である。多少の恐怖を感じて当たり前だろう。

しかし、妻はそうした恐怖心をおくびにも出さなかった。と言うよりも、本当にそうした恐怖心を感じていないように思われた。

実際、入院初日の夜は朝までぐっすり眠れたそう。なんでも、近く移植が実現する実感が湧いたことによる安心感と、息子と同じ病院で寝泊まりできる喜びで胸が一杯だったらしい。息子が胆道閉鎖症の診断を受けて以来、夜中に何度も目を覚ましてしまっていたことを思えば驚きである。

ドナー側の主治医がインフルエンザに倒れ、妻も感染の有無を調べるために検査を繰り返す必要が生じるなどハプニングもあったが、我々家族は着々と息子の生体肝移植に向けて前進していた。




緊急で開催してもらった院内移植適応委員会の結果、妻をドナーとした息子の肝移植にGOが出た。

ここまで漕ぎ着けるのに人一倍苦労をしたこともあってか、手術の心配よりも、手術を行えることに対する喜びと安心感が胸に広がっていた。

とは言え、実はまだ息子の手術を行えることが最終決定したわけではなかった。

残された関門は大きく分けて以下の三つ。

①息子・妻が良い状態で手術日を迎えること
→肝移植はレシピエント・ドナー共に全身状態が良くないと行えない。息子は肝硬変がかなり進んでいることから、腹水が溜まっているし、いつ静脈瘤によって吐血したり、胆管炎になって発熱したりするか分からない状態である。実際、転院後に腸炎(肝硬変の進行→肝臓への血流の悪化→門脈(腸から肝臓に繋がる血管)圧の上昇→腸付近の血管における血液のうっ滞→腸のむくみ→腸炎リスクの上昇)により38℃超の発熱を経験しており、再度同じようなことが起こってしまった場合は手術を延期せざるを得ない。他方の妻は元気であったが、息子が胆道閉鎖症の診断を受けて以降の心身への負担は大変なものであった。ドナーを擁立できたことで安心した途端に体調を崩す、等ということがあってはならないので手洗い・うがい・マスクは必須である。

②息子・妻のHLA(ヒト白血球抗体)が不適合とならないこと
→HLAとはヒト白血球抗体のことで、その人の免疫のタイプを表す。これが一致していると拒絶反応が比較的起こりにくく、不一致だと拒絶反応が比較的起こりやすいとされている。皮膚や骨髄、腎臓の移植と異なり、肝移植においてはHLAが不一致であっても術後経過に目立った悪影響は認められていないため、HLAが不一致でも肝移植自体は可能である。しかし、ドナーとレシピエントのHLAが特定の組み合わせとなってしまった場合は移植ができないこともあるとのこと。しかし、HLAの組み合わせにより移植不可となる可能性は低い上に、移植するまではHLA検査の費用(約50,000円)が保険適用外で実費負担となることから、全てのドナー検査をパスした後のタイミングでHLA検査を受けることが通例である。

③妻の肝生検の結果が問題ないこと
→これまた可能性は極めて限定的だが、肝移植ができることは手術が開始してしばらくしないと確定しない。手術開始後、ドナーに対して肝生検を実施し、実際に移植しようとしている肝臓の一部を顕微鏡で確認して、問題が認められなかったことをもって肝移植の実施が確定するからである。それまでのドナー検査で肝臓の異常が疑われていなければほぼ間違いなく肝生検も問題ないらしいが、妻はALP・AMY高値が指摘され一時は肝機能異常が疑われた経緯があり、一抹の不安が付きまとった。

以上全てが突破できれば息子と一緒に生体肝移植に挑むことができる。

ドナー検査を開始してから10日ほどが過ぎたこの日、妻がドナー適格と判定された。


当初指摘されたALP・AMY高値の原因究明のための精密検査の他、心電図の再検査等を受ける必要があった影響で、すでに仮決定していた手術日は6日後に迫っていた。


翌日に緊急開催する肝移植適応委員会で息子の移植にGOが出されれば晴れて予定通りの日程で移植を行うことができる。


裏を返せば、この日までにドナーが擁立できていなかった場合、息子の移植はスリップしてしまっていたということである(後に医師から聞いた話では最短2週間のスリップは避けられなかったとのこと)。


実に紙一重のタイミングで息子の移植を予定通り執り行う準備が整った。





通常、移植手術を行う病院では、移植に当たって特別な手続きが設けられている。「本当に移植をすべきか」を慎重に検証するためである。


移植は健康な人(ドナー)にメスを入れるという点で極めて特殊な医療であることは前に述べた。この特殊性のため、病院は「移植後にドナーが死んだ」「移植後にドナーに障害が残った」等といったドナーに関するリスクを極力取りたがらない。


しかし、移植手術は大手術である。そして、大手術である以上、こうしたリスクをゼロにすることはできない。そこで、病院は以下の点に留意して移植手術に臨むこととなる。


①不必要・無駄な移植を行わない

…ex.移植以外の治療によって助かる見込みがある場合は移植しない、移植によって助かる見込みが薄い場合は移植しないetc.


②ドナーの安全性が極めて高いことが客観的に示せる場合のみ移植を行う

…ex.厳格な基準を満たしたドナーがいる場合のみ移植を行うetc.


③ドナーが自発的な意思で希望する場合のみ移植を行う

…ex.ドナーは手術開始の瞬間までいつでも移植を拒否できる、ドナーが移植を強制されていると医師が判断した場合は移植を行わないetc.


④上記①~③を病院内の第三者(移植に関わらない医師)によって検証する


息子の生体肝移植を行う病院では、④として院内肝移植適応委員会なるものが設置されており、ここを通過しないと移植が行えない仕組みになっている。何とか早期にドナーを擁立して、適応委員会に息子の移植を諮り、仮決定した日取りに手術を行える様、精いっぱいの努力が続けられた。

ドナーの擁立に向けた動きは続いていたが、生体肝移植の手術日を仮押さえすることとなった。


生体肝移植は万事順調に進んだ場合でも8-12時間程度を要する大手術である。過去には京都大学で36時間もの時間を要した超長時間手術もあった様に、術前・術中の状況次第で手術は大幅に長期化する可能性もあるため、手術室は丸一日確保しておく必要がある。


さらに、ドナーとレシピエント二人の手術を同時並行で行うため、隣り合わせの手術室を確保することも必要となる。


こうした事情から、ドナーを擁立できない可能性が残っている状況ではあったが、前もって手術室を予約しておくこととなった。



仮押さえされた手術日は転院から2週間後。もし、ドナーを擁立できないままにこの日を迎えた場合、当然手術はキャンセルされ、さらに先の日程へとスリップする。そうした不安を振り払う様に、我々夫婦はドナー擁立に向けた動きに没頭した。

数日後改めて血液検査をしてみると、ありがたいことに私の肝機能は若干の改善を見せていた。自覚はなかったが、やはり年末に息子の胆道閉鎖症が判明してから、知らず知らずの内に疲れが溜まっていたのだろうか。AST・ALT・総bilは全て右肩下がりであったが、未だ正常値には達していなかった。引き続き静養して肝機能の回復を期待する日々が続いた。


一方の妻は私よりも希望が持てる展開を手繰り寄せていた。精密検査の結果、ALP高値は肝臓の異常ではなく授乳中であることが原因であることが分かった。また、AMYも肝臓ではなく唾液腺が原因で高値となっていることが判明した。エコーやMRIの結果でも肝臓の異常は認められなかったことから、妻は一連のドナー検査を再開した。


我々夫婦以外のドナー探しの方は難航した。日本では、原則として、レシピエントの三親等以内の親族がドナーになり得るとされている(日本移植学会の倫理指針による)。したがって、ドナー探しに当たっては親戚を当たっていくことになるが、親戚といえどもそれぞれの家族にはそれぞれの事情がある。遠方であったり、高齢であったり、様々な理由から第三のドナー探しは非常に難しいものであった。


肝移植発祥の地である米国では"Emotionally Related(感情的に繋がりがある)"であることがドナーの要件とされているケースがある。この場合、ドナーとレシピエントの血縁関係は問われることはなく、例えば友人同士で生体肝移植をすることも可能である。要するに「双方の同意があればOKさ」という、実に米国らしい要件である。日本のもこのように分かりやすく本質的な要件に変更されることを望む。

息子の生体肝移植を実現するために、我々にできることは二つあった。


①我々夫婦のどちらかがドナー適格となること


大きな不幸中の小さな幸いであるが、私も妻も、血液検査の結果が絶望的なものではなかった。


まず、私は単純に肝機能が若干低下している程度である。これが慢性的なものであればドナー候補としては絶望的であるが、毎年受けていた会社の健康診断では肝機能異常を指摘されたことはなく、一時的なものであることが期待された。


なんでも暴飲暴食をしたり、風邪をひいたり、また、疲れが溜まったりすると一時的に肝機能が低下することがあるとのこと。息子の胆道閉鎖症が判明して以来、暴飲暴食は厳に慎んでいるし、特に風邪の自覚症状もない。


となれば、疲れが原因で肝機能が落ち込んでいることを期待する他ない。ということで、この時点から「休む」ことが私の仕事になった。


また、妻はALP(アルカリホスファターゼ)とAMY(アミラーゼ)が高かった。この原因が肝臓以外にあれば、肝移植に当たっては問題とならない可能性がある。よって、精密検査を通じてALP・AMYの異常値の原因を探ることが妻の仕事となった。


②我々夫婦以外のドナーを擁立すること


①がうまくいって、我々夫婦のどちらかがドナーになれる可能性は低い、というのが率直な印象であった。


また、もし幸運にも我々夫婦のどちらかがドナー適格となったとしても、再検査や精密検査を受ける都合、その判定には一定の時間がかかってしまう。


息子は予断を許さない状態である。もし、我々夫婦のどちらかがドナー適格と判定される前に息子に万一のことがあれば打つ手がない。


我々夫婦のどちらかがドナー適格となる前の万一の事態に備え、また、我々夫婦のどちらもドナー適格となれない場合に備え、早急に第三のドナーを擁立することが切望された。


絶望に耽っている暇はない。①②の両方の道を探る家族の闘いがスタートした。

移植を決断して以降、話をした医師は皆、「パパ・ママは若いから、二人の内どちらかはドナーになれるでしょう」という口振りだった。なので、我々夫婦としても、二人ともドナー不適格となるという事態は正直想定しておらず、「二人の内、どちらがドナーになるか」という話し合いに終始して転院までの時間を過ごしていた。動揺を隠せない我々夫婦の焦りを余所に医師の話は続く。


「良く理解しておいて頂く必要があるのは、生体肝移植手術において最優先されるものは”ドナーの安全”である、ということです。」


「生体肝移植というのは”健康な人(=ドナー)にメスを入れる”という点で非常に特殊な医療です。なので、ドナーの身に万が一のことが起こるようなリスクは決して取れません。」


「これはドナー・ご家族の気持ちとは関係なく、決して曲げることのできない大原則です。」


「以前、日本で生体肝移植のドナーが死亡した例があり、その際、生体肝移植に対する大変な逆風が巻き起こった。次にもう一度同様の事例があれば、日本における生体肝移植という医療の灯は消えてしまうかもしれない。そうなれば数限りない患者の命が救えなくなってしまう。」


「こうした思いから、”自らの命を差し出してもいいから子供を救うチャンスがほしい”というドナー・ご家族に対して、私は何度も断腸の思いで手術をお断りしてきた。その姿勢は今回も変わらない。オマケはしません。」


「ふざけんな」とか「そりゃそうだ」とか、色々な感情や思考が頭を巡ったが、兎にも角にも”我々の意志さえあれば移植手術をしてもらえる”と勝手に嵩を括っていたことを痛感させられた。



湧きあがる様々な思いを脇に押し退け、「息子の為に何ができるか」を考えることに頭を切り替える必要があった。残された時間は長くはない。