けいパパのブログ 短腸症候群×胆道閉鎖症の愛息子を支える家族の生体肝移植奮闘記 -2ページ目

けいパパのブログ 短腸症候群×胆道閉鎖症の愛息子を支える家族の生体肝移植奮闘記

短腸症候群×胆道閉鎖症の愛息子を支える家族の生体肝移植奮闘記

この日は火曜日。病院に向かうために飛び乗ったのは満員の通勤電車である。電車に乗り込むや否や、混雑をかき分けて自らのベストポジションを確保し、スマホで日経新聞を読み始めるのはサラリーマンの癖である。

周りの人々の多くは会社に向かうスーツ姿のサラリーマン。その中にいる私は生体肝移植をした息子と妻のいる病院に向かう私服姿の父親である。

先日まで、つい先日まで、私は同じ電車にスーツ姿で乗り込み、その日の仕事を見据えて日経新聞に目を通していた。今、私の周りにいるサラリーマンの一員だったのだ。それがあっという間に状況が一変し、今こうして全く違った境遇で電車に乗っている。

「果たして私はあちらに戻れるのだろうか?」

漠然とした不安が頭をもたげてくる。それを振り払うかのように、今となっては何の役にも立たない情報を日経新聞の紙面からがむしゃらに拾い集め、病院に到着するのを待った。

「息子さんのお腹の中で出血が確認されました」
「(馬鹿なことに私が寝てて電話に出なかったので)お母さんに同意を頂いて、既に再手術を始めています」

これを聞いて少し安心した自分がいたことに我ながら驚いた。まず何より、息子の命があったことに安堵したのだ。また、再手術に対する気持ちの用意ができていたこと、出血が術後の合併症としては相対的に危険度が低いものであることを心得ていたことも作用していたのだろう。しかし、その瞬間、前日に丸一日の大手術を終えたばかりの息子は全身麻酔をかけられ、お腹を切り開いて闘っているのだ。その最中に少しでも安心してしまった自分の感覚が息子の感覚からかけ離れてしまっていることに怖さを覚えた。

「とにかくすぐに病院に向かいます」

そう医師に伝えて電話を切ると、最速で支度をして病院への道を急いだ。
夜中3時30分過ぎ。タクシーで帰宅しベッドに転がり込む。翌日の妻の面会時間である正午過ぎに病院に着けるよう目覚ましをセットし終えると、あっという間に眠りに落ちた。



程なくして目が覚めた。時刻は朝8時00分前。真っ先に目に飛び込んできたのは、着信があったことを示すスマホの点滅である。

「やばいっ」

嫌な予感がして慌ててスマホを抱え込み、着信履歴を確認する。

非通知の着信履歴が10件超。

「やばい、やばい、やばいっ」

思いが逸り、不安感から膝が震えた。すぐに事態を把握したいが、非通知なのでコールバックできない。病院の代表番号や移植コーディネーターに電話を掛けるがこういう時に限って繋がらない。

そうこうしている内にまた非通知からの着信があった。電話の相手はやはり息子の主治医だった。
息子との束の間の面会を終えた私は、妻との約束を果たすべく、妻のいるICUへと向かった。

途中、妻のもとへ向かう私を見つけた息子の主治医らも快く同行してくれた。

ICUに向かう間の話の中で、息子の主治医が、「もう100件を超える生体肝移植をやっているが、手術当日にドナーと会うのは初めてかもしれない」と言っていた。手前味噌であるが、やはり我が妻は見上げたものである。

妻に再会し、医師らと共に息子の手術が無事完了したことを伝えると、妻はしっかりした声で「ありがとうございます」と感謝の言葉を繰り返していた。

大変な手術を終えたばかりの妻をあまり疲れさせてもいけないので、翌日の面会での再会を約束し、帰途につく。

人生で最も長い一日が終わろうとしていた。
NICUの前で待っていると看護師さんが声を掛けてくれた。いよいよ術後初めての息子との面会である。

深夜なのでNICUの中は薄暗くなっており、処置が続いている息子のベッドの周りだけが明るい。あとは暗がりの中、様々な計測機器の画面が蛍光色の光を放っているのみである。

これでもかと言うほど手を洗ってから息子のベッドに近付き、そっと顔を覗き込む。

この時の気持ちを私は一生忘れることはできないと思う。

まだ麻酔がかかっている息子の目は力なく半開き。そして、意識はないのに、その半分開いた目には涙が並々と溜まっていた。頬には伝った涙が残した跡が見える。また、枕元には点滴ポンプが5~6台も置かれており、その全ての管が息子へと繋がっている。そうした管が抜けては一大事なので息子は両腕をベッドに固定されている。

「この子は本当にこの移植を望んだのだろうか?」

そう思わずにはいられなかった。

私が待合室で凝り固まった腰を叩きながらお弁当をかきこんでいる最中、息子は全く次元の異なる闘いに死力を尽くして臨んでいたのである。様々な合併症が当たり前のように襲ってくるこの先の時期も、息子が必死で病気に立ち向かっていく中で、私はただ見守り、応援することしかできない。妻はドナーとして身体を痛めているが、息子との関係性という意味では私と同じである。そんな私たち両親が息子の移植にGOを出したのだ。

「この子は本当にこの移植を望んだのだろうか?」

この問いの答えは、この先の息子の経過、そして私たち家族の今後の一挙手一投足の積み重ねに懸かっているのだろう。

「…お父さん、お父さん」

医師からの呼びかけにハッとさせられた。

「息子さん、手術中から今まで非常に頑張ってくれていますよ」
「そして、お母さんも、お母さんの肝臓も頑張ってくれています」
「ご覧ください。もうお母さんの肝臓が息子さんの中で働き始めています。」

そうして見せられたのは息子のお腹から出ている一本の管。
この管は息子の胆管に繋がっているもの(胆管チューブ)である。
その胆管チューブには、黄色からオレンジの液体が流れ始めていた。
妻の肝臓が息子の体内で生成した胆汁である。

涙が出そうになった。
そして決意が一層固まる。
暫くは前しか向かないと決めた。
真夜中をやや過ぎた頃、息子が可動式のベッドに乗せられて帰ってきた。手術着を着た10人ほどの医師に囲まれたベッドに乗って息子が移動していく様はさながら大名行列のようだ。

この時息子の姿を見られたのがほんの一瞬だったこともあって、その姿の詳細はよく覚えていない。しかし、呼吸の度に上下する息子の胸や、それに合わせて動く心電図モニター等を見て、息子が「生きている」ことを自分の目で確認して、ひとまず安心したことをよく覚えている。

その後、息子はNICU(小児集中管理室)に入った。NICUに入った息子に諸々の処置や機器の設置等を行うしばらくの間、NICUの外で待っていた我々は別室に案内され、手術を担当した医師との面談し、以下のような説明を受けた。

・息子の手術は無事に完了
・小腸が80cm超に伸びていた(出生直後の長さは約50cm)ため、基本的に通常の処置を行うことができた(レシピエントは移植に際して胆道と胆嚢を摘出する為、通常、移植した肝臓の胆管には小腸を引っ張り上げて繋ぐ。しかし、短腸症候群の息子は引っ張り上げるに十分な長さの小腸を持っていない可能性があったため、特別な処置(ex.小腸の代わりに十二指腸を胆管に繋ぐ等)が検討されていた)
・今後は様々な合併症が起こることが想定されるので、常に先手を打てるよう細心の注意で管理を行っていく

一通り説明を聞いた後、摘出された息子の肝臓を見せてもらった。健康な肝臓はハリ・ツヤがあり、ピンク赤色であるのに対し、息子の肝臓はカサカサ・ブツブツであり、全体が薄い緑色に染まっていた。肝臓で生成された黄色い胆汁が胆道閉鎖により行き場をなくして肝臓にうっ滞し、酸化したことでこのような薄い緑色になっていたのであった。よくこんな肝臓で笑顔を見せてくれていたものだと心苦しくなる。

医師との面談を終え、改めて息子を一目見る機会をNICUの前で待つ。この時、時刻は夜中の2時00分。一緒に手術完了を待っていた私の母と妻の祖母は明日以降に備えて帰宅済みである。




真夜中になろうかという頃、私達三人しかいなくなった待合ロビーに驚くべき人が訪ねてきた。

そこに立っていたのは前の病院で大変お世話になった医師である。それも手術着姿で。

一体なぜ??

「いやー、どうしても息子さんに良くなってもらいたくて来ちゃいました」
「私は元々この病院にいたものですから、皆知り合いなんですよ」
「皆で力を合わせてとてもいい手術ができました」

胸にこみ上げてくるものがあった。

この医師は前の病院の外科において責任ある立場にあり、年末年始もほぼ毎日病院で姿を見かけたほど多忙を極めている方である。その医師が、何の縁も義理もない息子のために、丸一日を要するこの度の手術に駆け付けてくれたのである。

心からのお礼を言ったが、そのお礼自体にはあまり意味がないように思われた。目の前に立つその人は、私たちにお礼を言ってもらいたくてわざわざここに来たのではない。その人は息子に助かってほしくてここに来て下さっているのだ。

この人の思いに応えるには、息子と共に闘い続け、元気で笑顔に溢れた毎日を掴み取るしかない。そんな決意を新たにして待合ロビーの長椅子に再び腰を下ろす。

「息子さんはもうすぐ出てきますよ。今頃お腹を閉じているはずです。」

この時点で既に日付が変わっていた。

息子よ、頑張ってくれ。
随分と待合ロビーの人数が少なくなってきた頃、手術を終えた妻が目の前を通り過ぎてICU(集中管理室)へと運ばれていった。

時間は19時00分頃だっただろうか。手術開始から8~9時間ほどが経過していたと思われた。

暫くしてICUへの入室が認められ、三人で妻のもとに駆け寄った。

妻は顔がとても白く、たくさんの管(ドレーン)がお腹や鼻に入れられて寝ていた。顔や腕など、所々に拭き残された血が付いている。術前に何度も説明を受けて承知していたとは言え、いつも見ている妻がすっかり変わった姿で目の前にいるのを目の当たりにして少し驚いてしまう。

声を掛けると妻はゆっくりと目を開き、まだ麻酔で意識が混沌としているであろう中、懸命に声を出して質問をしてきた。

「肝生検の結果は問題なかった?」
「無事移植はできたの?」
「○○(息子の名前)は大丈夫?」

肝生検の結果に問題はなく、移植は無事に行えた。息子は未だ手術中だが、これまでのところ順調に手術は進んでいる。いい感じだ。

そう伝えると、それまで強張っていた妻の表情が一気に和らいだ。そして妻はこう続けた。

「どんな結果であっても○○
(息子の名前)の手術が終わったら教えてほしい

(「おいおい、自分がこの状況なのにこんなに息子のことばかり考えられるのかよ。妻、というか母、凄過ぎ。自分がドナーだったら術後に同じ言葉を発することができただろうか?」などと思いつつ)これを了解し、ガタガタと体を震わせて寒がる妻を電気毛布の上から擦っている内に妻は再び眠りに落ちていった。

ICUを後にすると別室に呼ばれ、執刀医から手術の報告を受けた。

・妻の手術は滞りなく終了
・腹腔鏡手術を行ったため、傷口は比較的小さく済んだ(おへその上を縦に10.5cm切開)
・妻の血管が比較的細かったため、息子への移植に際して特別な処置(妻の鼠蹊部の血管を使って妻の肝臓の血管と息子の血管を繋ぎ合わせる等)は必要なさそう
・息子は未だ手術中なるも、ここまでは経過良好(「さっき覗いたときは、まさにお母さんの肝臓を息子さんの身体に入れようとしているところでしたよ」)

医師に感謝を伝え、ほっと一安心しながら待合ロビーに戻る。次は息子が無事に手術を終えることを待つ。
息子と妻を待つ待合ロビーで前々から読もうと思っていた本を手に取った。

息子が胆道閉鎖症と診断され、生体肝移植を受けることを決めた直後、「生体肝移植とは何ぞや?」と思い購入した本であったが、これまで目を通す機会がなかった。

ドナーを擁立できるかどうかの瀬戸際にいてそれどころでなかったことが主な理由だが、精神的に張りつめた状態が続く中で、生体肝移植に潜む巨大かつ多岐に亘るリスクを目の当たりにすることを怖がっている自分がいたのかもしれない。


この本は生体肝移植の入門書とでも言うべき本であると思う。

著者・後藤正治さんが自身の母校・京都大学の生体肝移植チームを取材する中で著されたこの本には、肝移植に関わる医師・スタッフ・患者・家族の貴重な生の声が詰まっている。

世界、そして日本における肝移植の変遷が丁寧に書かれており、生体肝移植という医療の特徴を非常にスムーズに理解することができる点で入門書に最適である。

また、著者・後藤正治さんがこれまでの生体肝移植患者・家族を実際に訪ねて綴った内容は、これから生体肝移植に挑む者にとって大変貴重な道標となるものである。

医学書ではなく普通の読み物であるため、専門的な知識がなくともさくさくと読み進めることができる様になっている点も入門書としてはありがたい。

私の場合、この本を読んだことで、医師の話についていけないことはほとんどなくなったし、術後の息子の容体について適当な理解ができるようになったと自負している。

生体肝移植に挑む者はほぼ全員がその道の素人である。しかし、移植した肝臓との付き合いは術後一生続くため、移植に関する知識の有無はレシピエントの命を左右するほどに重要だと考えている。

この本を読むことで生体肝移植に関する理解を深め、より良い術後経過を手繰り寄せる患者・家族が一人でも増えることを切に願ってここにご紹介させて頂きます。

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待合室で私と一緒にいたのは私の母と妻の祖母の二人。

手術中は常に誰かが指定された待合ロビーにいる必要があるので、三人で交代しながら食事やトイレのために席を外す。

お昼を過ぎても手術室から何の連絡もないので、妻の肝生検の結果に問題がなく、無事に手術が行われていると思われ、三人揃って一安心。

待合室では三人で他愛もない話をしながら心配と不安を誤魔化して時をやり過ごす。こういう時に同じ気持ちを抱えた仲間が傍にいてくれることはとてもとてもありがたいものだ。

朝は多くの患者家族が待っていた待合ロビーも、陽が傾くにつれて一組、また一組と名前を呼ばれ、手術を終えた患者の下へ駆けつけていき、閑散としてきた。

待合ロビーの人数が減っていく度、生体肝移植という手術が如何に大きな手術であるかを改めて感じさせられた。