大阪を訪れる時、私のお決まりのコースは、必ずや阪急電鉄京都線への乗車から始まります。

先ずは地元京都の弥生会館横のパチンコ屋で特定のスロットを何度か転がし、その泡銭にて腹ごしらえ(最近は国電二条駅裏の『くら寿司』で10皿ほど食べる)をし、余った銭で地下鉄メトロ東西線『二条城前駅』⇒『御池烏丸駅』乗り換え⇒地下鉄メトロ烏丸線『御池駅』⇒『四条駅』乗り換え⇒阪急電鉄京都線『からすま駅』から特急に乗り、途中『桂』、『長岡天神』、『高槻市』、『茨木市』、『十三』を経て終点『梅田駅』へ到着。

『桂』を過ぎた辺りから、 横に丁度国電東海道線と合流し、暫くは横を国電の銀色の車体と、我が阪急電鉄京都線の車体とが横に並び、大阪へ向かって競走するのであります。




 

梶井基次郎.jpg

梶井基次郎(かじいもとじろう)といえば、大阪に生まれ、やがて京都の尋常高等中学時代、下宿の家賃が払えず逃亡したり、学生のくせに高級料亭へ行き、庭園の池に飛び込んで鯉を追って捕まえ、「これを洗いにしろ」と無理難題を板前に押し付けたり、叉は貸し本屋の棚に八百屋から盗んだ檸檬を置き、「爆弾を置いた」と言ったり、非常な無頼漢でした。

軍国に耐えきれず、学校で習う富国強兵主義に真っ向から反対し、自暴自棄な荒れた生活を送っておりました。

31年という短い人生の中で、20回も転居をし、大阪と京都を転々と渡り歩いた人生でした。

そんな彼が残した小説「檸檬」は、彼の死後、純文学と認められ、今に至るのであります。