本ブログは大長編となります。
ブログを見るときは適度に目を休めつつ、部屋を明るくして画面から離れてみてください🙏
ブログをご覧の皆様こんにちは!
同期の小川から「弊部一の苦労人」との紹介を受けました4年生の片庭です
ついにラストブログとなり、大変震えております🥶🥶
さて今回のブログは、
1、藤沢オープン
2、追憶編
二本立てでお送りします
1、藤沢オープン
8月31日に藤沢オープンが開催され、慶應卓球部から数名の部員が参加しました
結果は
女子シングルスで一年生の佐久間が優勝🏅
男子シングルスで一年生の小笠原が優勝🥇、廣田が準優勝🥈
上記の好成績を収めました!
迫りつつあるリーグ戦で爆発する姿が本当に楽しみです☺️
↑同士討ちとなった決勝戦。二人含め、部員たちはメキメキ成長し続けています
2、追憶編
さて、最後のブログとのことで何を書こうかと三日三晩考えました。
初めは無難に四年間の振り返りだけを書こうと思い、オマージュするため参考にすべく過去の弊部ブログを拝見していました
そこで気づきました。
何かと自分がブログで「異色な経歴を持つ」という紹介を受けていたことに、
というわけで最後のブログとして、
片庭朋祐の過去編、
卓球に出会ってから今に至るまでの軌跡を四年間の
体育会生活を含め、振り返っていこうと思います!
⚠️再度通告⚠️
本ブログは大長編となります。
ブログを見るときは適度に目を休めつつ、部屋を明るくして画面から離れてみてください
それと丹精込めて書き上げたので最後まで見ていただけると幸いです🙏
=卓球との出会い(中学時代)=
筆者は中学の部活動を機に卓球を始めました。
小学校時代は毎日イナズマイレブンやダンボール戦機、ドラゴンボール等たくさんのゲームやホビーに明け暮れ、特にやりたいスポーツもなかった筆者
↑小学校時代遊んでいたホビー達。これ以外にもたくさんのコンテンツにハマり時間を注ぎ込んでいました。
(それと3DSもこの前買い直しました)
たまたま卓球部へ体験入部した際にお世話になった先輩(通称:和尚さん)の人柄に惹かれ卓球部へ入部することを決めました。
(体験入部に誘ってくれたWとHへ、ありがとう。また飲みに行ったり旅行いきましょ)
しかし、入部した当初は卓球というスポーツ自体に全く興味が湧きませんでした。
そして、幼稚園から続けていた水泳🏊も同時にやっていたということもあり、卓球に対する熱意は皆無と言った状況、、
そんな中、自分の中での一つの転機がやってきました。
2016年のリオオリンピック🇧🇷です
水谷選手を筆頭に大活躍した日本選手団のプレーを見て、筆者は卓球というスポーツに強い興味を抱くように
これが今に至るまでの卓球生活の始まりでした
ここから部活動でも男女ともに県大会出場という目標を掲げ、楽しく、そして一生懸命練習するようになりました。
最終的には、男子部は県大会に出場することはできませんでしたが、女子部は県大会に出場することができ、僕自身もとても嬉しかった記憶が今でも覚えています
また、中学卓球部を引退する前に、タクティブという卓球教室に少しだけお世話になった筆者はNコーチとEコーチに出会いました。
2人は当時、大学卓球部を引退したばかりで彼らから大学卓球について色々お話しを聞きました。
これを機に、大学卓球、ないし関東学生リーグに興味を持つようになり、そこで勉強も卓球も全力でやっている慶應義塾大学(+某W大学)の卓球部に強い興味を抱くこととなりました
高校はそれらの大学を目指せるような勉強環境を求め、明治学院高校へ入学することを決めました
↑丹羽選手に憧れ、筆者が自身の小遣いで初めて購入したラケット
=高校時代=
さて中学も卒業し、高校生になった筆者です
大学に入って卓球に打ち込む環境を手に入れるべく勉強も卓球も全力で頑張っていくのか
結論から言います
卓球も勉強も全くやらない生活となりました
勉強面も学習内容も格段に上がり、クラスメートを含め周りの生徒のレベルも格段に上がったことで、最初の中間テストでクラス内最下位となりました
ここから勉強に対する自信もモチベーションも全て消え去り、勉強から遠ざかる生活が始まりました
(最下位経験者あるある:悪い点数取っても危機感なくなる、そして自分のアイデンティティと勘違いして謎の誇りを持ちはじめる)
卓球面も当時の卓球部は特に練習や大会の参加は任意性となっており、練習に参加しなくても全く怒られないという環境でした。
この環境に甘えに甘え、入部してから高校卒業するまで合計2回しか参加しないという暴挙に出てしまいました。(いわゆる幽霊部員)
一方で、学校行事には打ち込むだけ打ち込みました。
明治学院高校は体育祭や文化祭(通称オリーブ祭)などの一般的な学校行事はもちろん、水泳大会や合唱コンクール、クラス遠足(通称:校外ホームルーム)、クリスマスツリー点灯式などの行事が山ほどありました
体育祭は自分たちで自主練したり、校外ホームルームは全力で楽しんだり、文化祭は夏休み期間中も準備しに学校行ったり、合唱コンクールでは放課後の自主練習の合間に秋葉原へ遊びに行ったり
特に2年生〜3年生時はクラスにも恵まれ、今でも飲みに行ったりプライベートで遊びにいく親友たちと出会うことができ、自分にとってとても楽しい期間でした
全力で楽しんで、全力で行事に向けて準備して、全力でバカをやって
とにかく学校生活を楽しんでいた期間でした
↑校外ホームルームの様子。川でバーベキューしたりスイカ割りしたり楽しんでました
↑合唱コンの練習の合間に秋葉原の店で購入したヨーヨー(クラスメートの友人ZとHへ、これまだ残しているか?)
↑体育祭の自主練習に打ち込む筆者(写真右)。
↑冬に爆誕する明治学院のクリスマスツリー。綺麗ですねー
こんな風に、高校2年の秋頃まで遊んでばかりの筆者でしたが、ここで1つの転機が訪れました。
Nコーチからの関東学生リーグ戦の観戦の誘いでした。
Nコーチとともに当時港区スポーツセンターで開催されていたリーグ戦を見に行った際に、
「コートで繰り広げられるハイレベルなプレー」
「ベンチから選手へ熱い応援を送る選手たち」
「応援席から選手たちにも負けない声援を送る大学関係者たち」
こんな空間を目の当たりにしました。
*特に当時は全日本チャンピオンの及川選手を筆頭に、三部選手、五十嵐選手、龍崎選手などのトップ選手が関東学連に多く在学しており非常にハイレベルな環境でした
そこで卓球に対する情熱、そして大学卓球への憧れを取り戻した筆者は卓球に専念し直そうと決心しました
と思った矢先
翌週の夏休み明けのホームルームにて1学期の成績表が配られました。
結果は
学年311人中301位という逆キャリアハイを達成しました
*本当は写真も載せたかったのですが手元に通知表が残っていませんでした🙏
このままだと他大学を受験するどころが、内部推薦で大学にも進学できない
これを見て、流石に危機感を感じました
ここから卓球ではなく、学校のテスト勉強に一度専念する筆者でした
次の中間テストでは自分の高校生活の中で取ったことのない好成績を叩き出すことができ、満足したのも束の間、
学校内で受けた模試(確かベネッセの模試)の結果が帰ってきました
結果は偏差値39.2(風呂の温度かい)
本当に頭が真っ白になりました
慶應を含め自分が行きたかった大学へ一般入試でしか行く手段がなかった筆者にとって、このままでは自分の望む大学へ行くことができないと悟りました
そこから予備校(某学苑)の授業に通うようになり、本格的に大学受験を見据えた勉強を開始しました
加えて当時新型コロナウイルスが世界的に猛威をふるい、学校が一時閉鎖し、高校三年時の学校行事はほぼ全てなくなりました
↑コロナ禍が始まったばかりの某ショッピングモール。普段人で賑わっている場所に全く人がいなくなった異例な状況は今でも鮮明に覚えています
自分としては勉強に打ち込むにはちょうどいいと感じ、より一層受験勉強に励むように
朝早く起きて学校行くまでの電車やバスの中で単語帳覚えて、
ホームルーム始まるまで教室で自習して、
学校の授業中も予備校の課題をやって、
休み時間は図書室にこもって勉強して、
学校終わったら予備校行って、
自習室で予習してから授業受けて、
帰りの電車から家に帰るまで復習やって寝る
このようなサイクルの繰り返しでした
多分当時、全国で一番受験生やってたと思います
↑当時愛用していた参考書、捨てようにも愛着があって捨てれません
ただ、楽しい受験生活でした
クラスメートの多くが受験生だったこともあり、みんなで勉強したり、予備校でもガツガツ勉強するというよりは楽しさも追求してくれる予備校でした。
そこで同じ大学を目指す友人Mとも出会い、彼を筆頭に多くの予備校友達と勉強に専念してました(ちなみに彼は現役で慶應に受かり、先越されました)
そして、1年生から3年生まで高校のクラスメートであった親友のTやM、他の先生たちが一般受験をすることを薦めなかった中で
「お前ならいける」
とエール送ってくださった恩師のN先生など、応援してくださる人がいたこともモチベーションにつながりました
結果的には慶應を含め、第一志望であった大学は合格できませんでしたが、2年時の成績では合格することが難しい大学に受かることができ、自分としては満足していた現役の受験生活でした
現役受験を終えた筆者は、縁あってとある大学に進学しました。
その大学の卓球部は関東学生、並びに全国トップクラスの大学で日本リーガーやTリーガーを輩出している名門校でした😲
「大学でも卓球を続けたい」と思っていた筆者は、卓球部が一般の人でも入部できると聞き、入部を真剣に検討しました
……が、
直接見学する勇気が出ず、卓球部の隣で活動していた団体に“便乗見学”。
横から見た卓球部の活動は、想像を遥かに超えるレベルの高さで、あっさり入部を断念しました。(現在日本リーグで活躍されている選手が多数在籍)
その代わり、たまたま見学していた少林寺拳法部🥋に「新しいことにチャレンジする意味」も込めて入部しました。
ただ、実際には卓球への思いを捨てきれない上に、
そこまで少林寺拳法に対して熱心になれず、
部活が終われば誰とも話さず即帰宅。
夜は昔ハマっていたゲームに明け暮れ、
朝も早く起きず、授業はパソコンをダラダラ開いて受けて(当時はコロナ禍により語学と体育を除く全ての授業がオンラインでした)
部活には開始ギリギリで参加して……
そんな毎日の繰り返しでした。
そんな中、2021年の東京五輪🗼。
テレビの前で、水谷選手と伊藤選手の混合ダブルス金メダル獲得など、卓球日本代表の活躍を見ていた僕の心は大きく揺さぶられました。
「やっぱり自分は卓球がやりたい」
そう思った瞬間でした。
そこからもう一度「卓球に打ち込める環境を手に入れたい」と再受験を決意。
少林寺拳法部の活動、大学の単位取得、そして受験勉強の三本立て生活が始まりました。
(片思いしていた同級生から遊びの誘いが来ても断るほど、勉強と卓球への思いを優先していました。 )
最終的に、ついに慶應義塾大学に入学することができました。(ちなみに通年で一つも単位を落としませんでした👍)
↑1点の大切さを痛感しました
さてさて色々紆余曲折がありましたが、筆者は念願の慶應義塾大学、並びに卓球に打ち込める環境が揃っている体育会卓球部に入部しました
入部当初、フォア打ち等の基礎打ちさへもままならない状況の筆者でしたが、当時落ち込むことは全くなかったです
なぜなら念願だった卓球に打ち込める環境を手に入れて、「卓球ができること」そのものに幸せを感じていたのですから
加えて、先輩や同期にはへたっぴな僕に朝練や居残り練習で教えてくれる部員や、外部コーチの森田コーチからの指導もあり、自分としてはとても楽しく、成長を感じることができていました
特に岡本さん、相馬さん、井芹さん、友部さん、川辺さんには朝練などで本当にお世話になりました。
また、今まで観客として見ていたリーグ戦に今度は応援席からではあるものの選手として参加したリーグ戦は、とても新鮮な気持ちだったと今でも覚えています
同時に岡本さん、松尾さん、田坂さんの3人を筆頭にレギュラーとして戦う先輩方のカッコ良さ、勇ましさを感じました
大好きな卓球に打ち込める環境、体育会生活の始まりなど、身の回りにあること全部が新鮮だった大学一年でした
↑当時3年生の田坂さん(身長が小さい方)。今でもたまーに日吉に出没します。
怪獣のような豪打で勝ち星あげる姿は尊敬の的でした
↑当時4年生の岡本さん、松尾さん。お二人の背中はとても大きく見えました
↑特に岡本さんは大学院の研究で忙しい中、朝練を始め、本当にお世話になりました。また映画見にいきましょ!
さて、入部してから一年が経ち筆者は2年生になりました。
特に2年生時は卓球面でもプライベートでもとても充実した時間でした
卓球面においては、一年生から続けていた朝練や居残り練習の成果が出てきたのか、1部校段持ちの選手と競ったり、格上の選手に勝利したり確かな成長を感じていました
またプライベート面でも、数少ないオフの日を使ってワンオクのライブへ出かけたり、映画を見に行ったり、旅行へ行ったり
ここからさらに充実していくのか、そして卓球面でも力をつけて行くと期待と楽しみに満ちた2年生時代でした
↑中学からの親友と参戦したONE OK ROCKのライブ。アリーナ席最前ブロックで参加できたことは一生忘れません
↑R.R.R視聴後にナートゥを踊った筆者(写真右)と先輩の友部さん(写真左)。
↑入学前では考えられなかった動きやパターンで点数をもぎ取る筆者、成長を感じていた期間でした
↑卓球面でたくさんお世話になりました、リニアフォアドライバーの相馬さん(写真左)。ご指導本当にありがとうございました。
さて順風満帆な体育会生活を送っていた筆者は大学3年生になりました。
結論から言うと、自分にとっては
「暗黒期間」と言える時期でした。
就職活動がいつの間にか始まり、ESの作成、OB訪問の連絡、セミナーや説明会、インターンへの参加と、常に何かに追われるような生活が続きました。
一方で卓球でも成長の兆しが見え始めていたため、サボるわけにはいかないと思いつつも、次第にオフの日の過ごし方がわからなくなり、心身の休息がうまく取れなくなっていきました。
この辺りから卓球に向き合う気力自体が少しずつ薄れていきました
そんな中ついに、一つ上の先輩たちが引退を迎えました。
吉田さんたちの代の先輩方には朝練を含め、卓球面でとてもお世話になり、皆様には結果で恩を返したいという気持ちもあり
「引退までは卓球に打ち込み直そう」
と決意しました。
↑川辺さんにはここでは書ききれないほどたくさんお世話になりました。本当にありがとうございました。
↑吉田さんには特に長期班でめちゃくちゃお世話になりました。ナルトとエヴァの履修がまだ完了してないので早急に鑑賞させていただきます
↑もはや説明不要です笑。卓球でも遊びでも死ぬほどお世話になった友部さん
↑筆者が一年生の時から一緒に必修科目を受けてきた屋代さん。ろくな写真が無いどの写真を使おうか迷った結果、バイトで頑張っている写真をチョイス
↑またイナイレやデュエマ等、童心に戻る会やりましょ
↑女子リーグではたくさんお世話になりました。医学部と主将を両立した泉さん。(スゲー😲)
しかし、その直後に主務代行を任されることとなり、状況は一変します。
業務の負担は想像以上に大きいものでした。
例年の主務業務に加え、リーグ運営、用具支援の新規対応、慶関戦や早慶戦の運営など、次々に課題が発生しました。中には、引き継ぎ通りに進めたはずが記念館の予約が取れないといったトラブルもあり、その対応に追われることもありました。
主務業務をやるために授業やインターンの最終面接を休むこともありました
さらに、同期からの協力は期待できず、相談しても
「副将の仕事で忙しいから手伝わない」
「俺はもう主務業務はやらない、責任は全部片庭が取る」
「選手として貢献できないならマネージャー業務でもやってろ」
相手にしてくれず解決には至らないことが多く、最終的にはほとんどを自分一人で抱える状況となりました。
この時期は同期のことを心から嫌い、恨んでいた期間でした
そのような生活が続く中で、気分転換としてゲームセンターに通うようになり、パンチングマシーンでストレスを発散するのが一時習慣となりました。
今振り返れば、とても情けなく、幼稚な時期だったと恥じています
卓球面、生活面、自分自身の情けなさを含め、大学三年次は「暗黒期間」と言える一年間でした。
↑一時期お世話になってしまいました、これからはもうストレス発散の手段としては絶対にお世話になりません
↑今は悲しいことがあった時はニャンコ先生のぬいぐるみを抱けば心が浄化されます
さて、大学4年生になりラストイヤーを迎えました。
この時期からは主務として、サポート業務に徹するようになりました。
最後の年となり、自分自身の競技力向上ではなく、「チームとして何ができ、どんな役割を果たせるか」を強く意識するようになりました。
その結果、「選手がプレーに専念できる環境を整える」という役割を全うすることを誓いました。
大会運営や対戦相手の情報収集といった下準備はもちろん、応援では会場で誰よりもバカでかい声を出し、選手への声かけなど、思いつく限りのサポート業務に力を注ぎました。
また、古谷会長を中心に今年から始まった用具支援政策の運営や実施にも携わり、環境整備という側面でも尽力してきました。
そうした中で、公式戦や練習試合で仲間が勝利する姿を目にしたときは、本当に嬉しい気持ちが込み上げました。
特に、インカレ予選にて春リーグで敗れた相手にリベンジして出場を決めた瞬間は、今でも鮮明に覚えています。
↑インカレ予選で勝利した瞬間、梅森のジャンプ力が高すぎですね。
↑来年は引き続きインカレに参加して、大規模な台風を起こしてください!
↑コロナ禍以来、数年ぶりに開催された慶関戦にて勝利
正直、主務業務は苦しいことばっかりでしたが、
「やってきてよかった」と確信できました。
一方で選手としても大会に参加し、少ないながらも練習時間をなんとか確保していました。
シングルスでは思うような結果を残せませんでしたが、ダブルスでは1部校ペアに勝利するなど、手応えを感じられる試合もあり、自分としては満足できる経験となりました。
↑クリエイティビティあふれる亀井、ダブルス組んでくれて本当にありがとう(今度和風人形買いに行きましょ)
入部前の掲げていた「強くなって成績を残す」という目標は達成できませんでした
ですが、チームのためにできることを模索して結果に結び付けられたということで、非常に満足できています
そこに後悔は微塵もありません
(ただ強くなって結果で示すことで、朝練や指導してくださった先輩方に恩返しできなかったことは、本当に申し訳なかったです。)
主務業務を行う中で監督をはじめ、OBOGの皆様からの応援も大きな原動力となりました
特に、古谷さんや栗野さん、山本幹事長をはじめとした三田卓球会の関係者の皆様にはたくさんお世話になりました。
特に早慶戦の際にはご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ございませんでした
さて、
遠回りに遠回りを重ね、慶應義塾大学体育会卓球部に入部した筆者ですが、
嬉しいこと
嫌なこと
一生忘れたくないこと
今すぐにでも忘れたいこと
本当にさまざまなことがありました
同時に山ほど学ぶことがありました
その中で印象に残ったことは
「人とのつながりの大切さ」
そして
「人に感謝する姿勢の大切さ」
の二つです。
「人とのつながりの大切さ」はいうまでもありません。
特に、部内に先輩や後輩、同期など、お互いに嬉しいことや嫌なこと、抱えている不満や悩みを共有できる仲間がいたおかげで、ここまで来れました
(情けないことに、後輩たちに悩みを聞いてもらうこともたくさんありました)
↑弊部エースのフミヤ、人を思いやれる人間性もエース級です
↑もはや同棲してそうな()、田島と夏生。2人にもめちゃくちゃお世話になりました。
当たり前ですが、やっぱり一人で生きていけないということ、人とのつながりがあって生きていけると改めて実感しました。
そして、「人を知り、人に感謝する姿勢の大切さ」
幼少期から転校を通してさまざまな人と関わる機会が多かった自分がずっと大切にしている価値観です
どんな相手にも、どんなことに対しても感謝する姿勢は、信頼関係を築く上でとても重要だと感じていましたが、体育会生活でもその考え方は間違っていなかったと確信できました
残酷なことに、他人に感謝できない人や謝罪できない人、寄り添うことができない人は、いずれ誰からも感謝されず、支えられることもなくなってしまいます
これからもこの価値観のもと、人への感謝を忘れず、責任を果たし続ける人間でありたいと強く思います。
⚪︎たくさんのありがとう
小学校時代、毎日公園で遊びに行った小学校時代の友達(特に一緒にワールドホビーフェア行ったりして、小学校時代死ぬほど遊んだ親友RとT)
県大会出場を目指して頑張った中学卓球部のみんな
ワンオク仲間であり中学からの親友J
高校受験の指導をしてくださった某ゼミの先生方とクラスメートのみんな
大学卓球の魅力を教えてくれたNコーチとEコーチ
楽しい高校生活を一緒に過ごしてくれた3-Dのみんなと1年の時に出会った親友KとT
大学受験を応援してくれた明学のN先生
怒涛の受験指導をしてくださった予備校の先生方、 Mをはじめとした友達
大学1年次語学のクラスメートの皆さん
(部活を理由に食事や忘年会を断り続けて申し訳ございません🙏 また機会があればいきましょ)
同期
長期班のみんな
↑また誕生日会やりましょ
体育会生のあり方、振る舞い方から卓球の技術指導をしてくださった先輩方
弊部卒業生の皆様(特に練習から塾高関係で大変お世話になりました裕也さん)
後輩たち
小島総監督
古谷さん、栗野さん、哲也さんを始めとした三卓会の皆様
就活の相談をしてくださったOBの雄祐さん、高杉さん、黒澤さん
森田コーチ
ハオさん
トレーナーの吉田さん、矢上さん
とらむすの小林さん
早稲田大学卓球部関係者の皆様(特に中島、有瀬には本当にお世話になったね)
関西大学卓球部関係者の皆様
関東学連関係者の皆様
入行予定の会社インターンでお世話になった皆様
そして家族
数えきれないほど本当に多くの人たちとの出会い、繋がりに恵まれていることを実感させてくれました
この場を借りて感謝を伝えたいです
本当にありがとうございました
そしてこれからもよろしくお願いします
さて、残りの現役生活はチーム目標である
「2部昇格」ができる環境作りに専念して
走り抜けていきます!
そして、やっぱり卓球は大好きなので 引退した後も何らかの形で卓球を続けていきたいです
ここまでご覧になってくださり本当にありがとうございました
来週は4年の都島悠花がブログを担当します
それでは皆さん、さよなら👋(最後は個人的に一番お気に入りの写真を添えます)