一寸先は・・・ 3年宮崎龍太朗 | 慶應義塾大学体育会男子ラクロス部の日記リレー

一寸先は・・・ 3年宮崎龍太朗


こんにちは!松崎さんからバル・・・あ、いや、バトンをいただきました3年宮崎です!

少しばかり駄文にお付き合いくださいm(_ _)mちょっと長いので、パケ代が気になる人はパソコンから見ていただけたらお財布に優しい日記になるかと思います。

自己紹介ということですが、僕は中高とラグビーをやっていました。高校のときは「愚直に低く強く」をモットーに泥臭くタックルするのが好きで、身長は小さいですが大きな相手にもひるまず捨て身で突っ込んでいました。そのおかげで脳震盪に次ぐ脳震盪で三途の川を何往復か・・・という大変貴重な経験をさせていただきました。とまあオブラート7枚分くらい盛りましたが、高校時代脳震盪くんによくお世話になったせいで他の人より頭の回転や記憶力が弱いのではないかとリアルに思います。

一人っ子で小さい頃から親もあまり家にいなかったので、一人でいるのは結構好きです。そのせいか小学校の頃もあまり外で遊ぶほうではなく、なにより絵を描くのが大好きでした。今でも絵を描くことに関しては自信があります。10歳のときに学校で「2分の一成人式」なる一大イベント(茶番)があり、皆で将来の夢をテーマに作文を書き発表したのですが、そのときも漫画家になることが夢でした。保育園のときの夢はぞうさんになることだったのですが、なぜそんな心変わりが起きたのかはもう覚えていません。

そんな内気な宮崎少年がラグビーというスポーツを始めたのは、ふなっちょまん(大親友船木君)に誘われたからです。小6のときに地元のラグビースクールの練習を体験し、そのおもしろさ、熱さに惹かれたのです。あれは人生最大の転機だったと思います。あのときふなっちょまんから誘われていなかったら、今頃どんな人生を送っていたのだろう?と妄想するのは僕の日課になっています。ちなみにふなっちょまんは多摩川でいつも隣で練習している大学で今もラグビーを続け、大活躍しています。

人生何が起こるかわかりません。内気な少年も愚直なラガーマンへと変身し、さらに愚直なラクロスプレーヤーに転生しました。アントニオ猪木の言葉に「一寸先はハプニング」というのがありますが、本当にそのとおりだと思います。(猪木は「闇」という言葉の持つネガティブなイメージを、「ハプニング」という言葉に置き換えることで払拭している。そこにこの言葉のミソがある。)

少し前置きが長くなりましたが、何が起こるかわからない人生、当たり前かもしれませんが後悔はなるべくならしたくないものです。でも、後悔は物事にはつきものであり、それをなるべく少なく小さくしようとすることが必要だと思います。そのためには、松崎さんの日記にもありましたが、小さな行動一つ一つの積み重ねが大切です。どんな些細なことでも、どこかで必ず日本一につながっているはずだと思います。

好きな本に「Good Luck」というのがあるのですが、上のようなことをメルヘンチックな物語で表現していて、少し落ちているときとかに読むとモチベーションが上がります。たしか前にちょっとばかし話題になった本です。興味があったら読んでみてください。黄色い看板の店(プロミス、じゃなくてブックオフ)で100円です。それではあと約1ヶ月、共にRUSHしていきましょう!!

お次は丸子組随一のムラニストであり、素晴らしいシュートをブッ放してくれる村端くんです!元陸上部の彼は日記リレーのトラックを完走できるのでしょうか!?ムラハタが、今、駆け抜ける。