ラクロスをやる上での転機 1年増田貴文 | 慶應義塾大学体育会男子ラクロス部の日記リレー

ラクロスをやる上での転機 1年増田貴文

真ん中が増田 左;中村さん(4) 右;平子(1)


僕ら1年の憧れであるさきさんからバトンを受け取りました、3年生の大島さんに似ていると言われます1年増田貴文です。激動の幼少時代を過ごしました。塾高出身でATです。デブです。高校時代は「動かず点とる」がモットーでした。痩せる→デブ→痩せる…の波があり、大学では痩せる波が来る予定なので痩せると思います。

何を書こうか悩みましたが、僕がラクロスを本気で取り組もうと思った転機について書きたいと思います。

僕が塾高2年の頃、ゴーリーをちょっとかじってすぐATに戻るなど、とても中途半端に、Bチームでだらだらとラクロスを続けていました。この頃の塾高Bチームは無断欠席する人が多く、ある女子高校の学園祭の日には21(自分)14人という出席率のときもあり、当然ちゃんとした練習もできず、毎日休まず部活に出ていた僕はこんなことならいっそのこと辞めてしまおうと思っていました。

しかしその頃あるAチームの先輩がBチームの練習に参加してくれたり、メニューを考えたりしてくれました。その先輩に「全然やる気の無いこのチームの中でも腐らず頑張ってるお前は絶対に上手くなると思うから、諦めずにやり切れ」と言われ、このときから本気でラクロスを頑張ろうと決心しました。このときがラクロスを本気で取り組む上での転機でした。それからは自らBチームキャプテンを買って出て、時にはみんなに嫌われながらもメニューを考えたり、だらだらやっている部員に注意したりなど自分なりに頑張りました。その先輩が引退する際、ずっと使っていたシャフトを僕にくれたときには涙が止まりませんでした。2年時には結局Bチームのままでしたが、3年時のリーグ戦でATの中で1番ゴールを決めることができたのは、その先輩が辞めそうだった僕を励ましてくれたからだと思っています。

その先輩は大学ではラクロスをやってはいませんが、僕が今もラクロスを続けていられるのはその先輩の言葉があったからです。この慶應大学ラクロス部でも、上手くいかないときはその先輩の言葉を思い出し、この慶應義塾大学ラクロス部というすばらしい環境の中で、どんなときも諦めずチームに貢献できるように日々努力していきたいです。

長くなってしまいました…なので次の走者の方にバトンをお渡ししたいと思います。次の走者は4年の松崎さんです。松崎さんはとても優しく、合宿ではとても良い経験をさせていただきました。実は誕生日が725日で一緒です。それでは松崎さんよろしくお願いします。