みんなの代表。(白井 聡) | 慶應義塾大学体育会男子ラクロス部の日記リレー

みんなの代表。(白井 聡)

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私、金子が実は悪者ということを最近知った所在であります。そんな彼から汚れたバトンを受け取りました白井です。川崎に生まれ横浜で育つという日本の100万都市を股にかけた人生を送りつつも、東京に恋焦がれ、なかなか横浜方面には行かない浮気モノです。そして、変人+元気印のわたくしですが、今回の日記はもうすぐ真剣モードになってしまうので、いつものぼくはあと少しで終わりになってしまいます。

というか終わりです。

それでは本題に入ります。高校からラクロスを始めて、今年で7年目。高校時は1部昇格、大学では全日優勝という目標を掲げ過ごしました。大学3年のとき、この目標とは別に、ラクロス学生連盟の役員に属すことに決めました。今回はこの選択が自分にとってどのような影響を与えたかを綴りたいと思います。

役員になった理由として新人委員だったときに先輩に薦められたこともありますが、最大の理由はU-19代表活動で多くのスタッフが自分たちのために仕事をしていたところを見たからです。

決して環境が良いとはいえない日本のラクロスにおいて、代表活動に関しては最高の環境が用意されている、僕にはそう見えました。代表活動が終わったとき、随分いろんな人におせわしてもらったなあ、と思いふけました。スタッフの中には社会人に加え、多くの学生のかたもいました。彼らの視点からすれば自分のためにスタッフをやっているんだよ、という人もいるかもしれませんがお世話になったのは紛れもない事実です。もっと、ラクロスを頑張って競技レベルの向上に貢献することもいいかもしれません。代表経験をつんだ人間ならそう思うのが普通でしょう。しかし、自分が運営側に回ることも一つの手段であると思い、このときはラクロスとの両立は可能であると考えていましたし、役員になることに決めました。

しかし、実際にやってみると、二つを同時進行する日々は非常に困難なものでした。ラクロスに対するモチベーションは落ち、「全日優勝」とみなと言っていた自分に嫌気がさしました。仕事も中途半端になってしまい、今思えば本当に仕事を真っ当することができなかったなあと思います。

去年の12月、チームは東大に負けました。自分は幹部でありながらも何一つチームに与えることができず、いろいろと悩み、見直しました。そして、今年は自分のできることのみをやるということで、役員は継続せずにラクロスをプレーすること一つに力を注ぐことにしました。

「全日優勝」するために。

役員をしながらプレーすることで学んだこと、それはラクロスに全力をかけることができるのは多くの人間がサポートしてくれるからだ、ということ。自分自身、プレーと仕事、どちらも全力でやることは不可能だと思いました。当たり前ですが、ラクロスが上手くなる環境はプレーの向上のみを考えることができる環境。前述のスタッフの方々もそうですし、チームのマネージャー、トレーナー、OBの方々、家族、そして、コーチ。多くの人間によって、選手は支えられているのです。

支えてくれる彼らは自ら進んで選手をサポートしてくれます。しかし、彼らのサポートの結果は、実際にフィールドの中でプレーする選手しか表現できない。マネさんやトレーナーから「選手の元気が無いね」、と言われることは自分にとってとても恥ずかしいこと。

選手は全ての人間の代表であるということ、満足できない結果でシーズンが終わって[もっと練習すれば良かった]と、選手が言ったら、選手を支えてくれたみんなはどう思うでしょうか?

こんな感じで、多くの支えがあるプレーヤーは、全力でラクロスに力を注ぐことは義務だと思います。特に慶應で選手としてプレーを続けている人間はその重みはわかっているはずです。

自分がスポーツに注力できるのは今年で最後。慶應大学ラクロス部は多くの人間のサポートがあるからこそ存在している、このことは念頭において残り少ない日々をまい進したいと思います。

長々と失礼いたしました。次は一年生の新井です。積極的に喋ろうとしても新井にはよくシカトされてしまいます。クリアとディフェンスにはセンスを感じます。いろいろラクロスのことも教えていきたいんでよろしくね!