強み(松本康佑) | 慶應義塾大学体育会男子ラクロス部の日記リレー

強み(松本康佑)

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練習場に誰よりも近いところに住んでいることが最大の強み、#53(ゴミ)松本康佑です。近くに住まいがあるということで遅刻はなくなると思いきや、あまり関係ないようですね^_^;書きたいことが山ほどあり、当初は『自宅で栽培しようと思っている観葉植物について』書こうかと思ったのですが、やはり面白くなりすぎてしまい、笑う準備が必要であると考えたため、またの機会にいたします。


せっかくなので、今回はこの場をお借りして去年のアーセナルの選手及び、コーチのありさん、こばさん、後半から少し光本さんにお礼の意味合いを込めて去年1年間を振り返りたいと思います。


去年1年間僕は、新入生とともに練習をさせていただきました。高校までの間、先輩方と何かすることはあっても後輩となにかという経験はあまりなかった僕は、はじめ戸惑いました。練習の初日、まずは後輩の桑名クンでした。いきなりでした。「ちょっとキミ、ボールは返してくれないと困るんだよね、それは僕のボールなんだよ。」同じ後輩の松崎クンには、「ボール。」もう、渡すしかありませんよね(;_;)

dfsbsdfgsb (飲み会の帰りに電車の中で見知らぬおばさんにもたれかかって寝ているやんちゃな桑名クン)

    


極めつけは、後輩代表すはらクンでした。その日、ビデオの充電のため僕は、自宅のコンセントの穴と、その穴から発生するであろう僅かながらの電気代をチームに提供していたのです。それにも関わらず、僕がグラウンドにいなかったからなのか、準備をサボったとみなされてしまい金子と共にマヂぎれされてしまい、あげくの果てには、家督の勧めで、すはらクンに謝ることになったのですが、当の本人は、当時まだ流行りかけであったあの一言、『キレてないっすよ。』の一点ばり。そんな感じでスタートした丸子での生活でした。


   bdfgdsfgsdf (すはらクン)


六月の後半、僕はさっそくケガをしてしまいました。当初は疲労骨折と診断されましたが、後にチコツ結合炎であることが判明いたします。そうです、あの恥ずかしい部分の骨です(*^^*)


夏の試験休みが明けるとすぐに夏の新人戦が始まりました。普段は仏(ホトケ)のように穏やかであるのにも関わらず試合になると熱くなりなぜか妙にヤジが多くなる有泉コーチとその弟分こばさんのもと、実は、僕はキャプテンを務めさせていただいたことを先日知りました。やはり人望がなせるわざでしょうか。冗談はさておき、結果は初戦で負けてしまいました。僕は、シュートが皆より少しばかり速かったのでケガをしていたのですが大事な局面を任せていただきました。


冬になると今度は、ウィンターステージがありました。このころからコーチ陣に、アメリカから凱旋帰国した押尾学、ではなく光本さんが加わり、チームはかつてない緊張感に包まれました。ラクロスの魅力の一つに新人のための試合が多く用意されていることが挙げられると思います。僕は、大事なところでシュートをはずしくるいチームは準決勝で負けてしまいました。


年が明け、ゴールデンウィークに入るとアスナロカップたるものがありました。キャプテンは確か佐竹でした。ここでも例のごとく、大事なところでシュートをはずしくるったのにもかかわらず、チームは明治学院との合同で優勝しました。後輩と向かいあうことができ、広い意味での成長のチャンスが増える可能性がある、そう意味での発見もあったよい1年間でありました。新入生の皆さんは、皆に期待されていると思いますが、未来の慶應を支えられる選手になって下さい。


次は、ヤンキーの松田です。動きにセンスのある松田よろしく!!