懐かしい話(相馬 真之) | 慶應義塾大学体育会男子ラクロス部の日記リレー

懐かしい話(相馬 真之)


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こんにちは。ペットボトルをもう右手で開けられない相馬です。

かつて鎖骨を折った同志もいることですし、みなさんケガには気をつけましょうね。

そういえば、ぼくは高校時代にも大きなケガをしました。

野球部に入部して一週間、その日は1年生で初めてのバント練習をしていました。順にぼくの番になり、緊張のなか打席に入ります。マシンから硬球が放たれ、教わった通りの型でそれをバットに当てました。なんだか変な音が響きましたが、その後もボールを転がし続けました。

「おぉ、バントっておもしろいなぁ~」

のん気な感想を抱きながら何球か終えたころ、周囲のチームメイトがあることに気がついた様子。

「おい相馬!!手から血がっ!」

バットに添えていた指にボールが当たり、初球から紅い鮮血を滴らせていたのです!

よく自分で分からなかったなと思いますが、診断の結果は指の剥離骨折でした。監督に連れられ、病院に着いたころにやっと野球の怖さを悟ったのです。

かねてからの親友、山形に出会ったのは確かその頃でした。1年のクラスが一緒で、5月ぐらいに彼は入部してきたのです。ともに初心者で、彼とのキャッチボールは何万球したか分かりません。信じ難いことですが、走力以外、打撃も肩もあいつの方が上でした。

しばらくして、山形もバント練でケガをしてしまいますが、彼の名誉のため、そこはぼくの口からは話しづらいところです。何かと共通点の多かったぼくらですが、最たるものは話が合うということでした。大橋マキを絶賛したあたりから、「こいつは話の分かるヤツだ!」と確信しました。そんな山形と二郎にもよく行ったもんです。

しかしそんなぼくもバイトを変えたりゼミに入ったりして山形とは疎遠になってしまいました。すまんね、大塚とばかり食いに行って。今は佐藤とか加藤たちが羨ましいです。

そういえば、入学してから2回目の2年の夏まで、ぼくは綱島のパン屋でバイトをして小遣いを稼いでいました。あのFORZAも半分くらいパンでできています。後輩の男の子とカラオケしたり、本店の駐車場でバーベキューしたりで、けっこうお世話になりました。正月勤務や横浜アリーナ出張など、数々の思い出があります。早朝に工場行って、サンドウィッチやフレンチトースト作りを手伝ったときは、あまりに楽しくて「就活に失敗したらここに勤めよっかな」なんて考えたりもしました。看板娘の先輩や、生意気な高校生たちは今ごろ何しているのか、たまに思い出して気になったりもしますね。

その次のバイトがご存知DISNEY SEAですが、実はケガですでに退職済みです。1年働いても、あんまり事情通にはならないですね。たぶん茜の方がよほど詳しいと思います。

それでは、次の日記のバトンをその茜に託します。今やラクロス部の真のアイドルで、ミニー級ヒロインの茜ですが、彼女のフルネームを知ったのは1年の夏くらいです。もう「小川!」って呼んだら反応しないかも。

でもリレーはよろしく頼みます!

ではでは。