【優勝に懸ける想い vol.12 #74 秋山雅望】


高校の全国大会では敵として戦い、今では大切な同期になった、ななこからバトンを受け取りました、AT#74秋山雅望(みも)です。

ななことは高3から連絡を取り合い始めて、大学で一番最初に出来た友達でした。

赤ちゃんみたいで、何も考えてなさそうに見えて、少しでも疑問に思ったら質問してくれたり、練習中、言ったことに対して一番返事や復唱をしてくれたことがとても嬉しかったです。

ななこの存在と、何気ない一言が自分にとってとても大きく、何度も救われていたし、ななことしか出来ない息ぴったりの連携が楽しかったです。2人で4年間何度も話し合いながら磨いた連携が大好きでした。

これからもずっとよろしく👍🏻

それでは、本題の"優勝に懸ける想い"を書こうと思います。

リーグ戦は予選で敗退してしまった為、今年の優勝に向けてどんな想いで4年間を過ごしたか振り返って書いていきたいと思います。

まだ敗退という事実を受け入れられず、まとまりのない文章にはなりますが、読んでいただけると幸いです。

私は1年生の時から、3年後の自分たちの代での日本一を目指していました。
理由は、大切な同期に日本一の景色を見せたい、一緒に見たい、というただひとつの理由でした。コロナで新歓もなく、あまりイメージも湧かない中、ラクロス部を選んでくれた人、高校でラクロスをやっていて続けてくれた人、色々な想いを持って入部した同期が、ラクロス部に入って良かったと思えるようにしたいと思っていました。

入部した頃は、コロナでみんなで練習する事ができず、同期と2人で練習していました。その同期とは、練習するチームが違う為、なかなか会えませんでしたが、この4年間で一番支え合って高め合う関係になりました。彼女が自主練中に泣きながら電話をしてくるたびに、試合に出れなくてもこんなに努力している人がいる事を思い出し、試合に出る自分は、そんな人たちの思いを背負って責任を持って戦わなければいけないと思い直していました。



今回は、最後のブログなので正直に書きますが、私は高1の時からU18でお世話になったコーチと一番尊敬している先輩がいる大学に入ってラクロスをすると決めていました。しかしその大学に入る事が出来ず、慶應に進学する事になり、実際入部するとラクロスの事を考える時間がないくらい仕事が大変で、毎日楽しそうなあの大学に入りたかったと思っていました。慶應に入ってからも、グローブやアイガは高校から変えずに、全部その大学の色で揃えていました。そして、その年のFINAL4で、その大学に完敗して、試合後に相手のコーチと先輩に会って、大泣きした事を覚えています。

毎日同期と違う場所で練習して、ゴール3台を1人で運んでも、疲れたとかどうでもいいことを言える相手がいない日々は、自分にとって今までで一番辛い日々でした。
ラクロス部に入ったのに、どうやったら上手になれるかなんて考える時間は1秒もありませんでした。

2年になって、何人かトップに上がってきても、結局自分以外が準メンで一緒に練習出来ない時や、3年で春幹になった時、4年で幹部になった時など、常に孤独感を感じる事が多かったです。

だけど、自分が大変な時は支えてもらっていたから、それくらい頑張ろうと思ってやってきました。

私は言いたい事を伝えるのが苦手だし、人前に立つ事が好きじゃないし、言ったらどう思われるかとか考えてしまうし、言語化も下手だし、自分に出来ることなんて本当に限られていて、尊敬される様な人間じゃないです。

ただチームに対する想いや仲間の成長に対する想いだけは4年間とても強かったです。

ウィンター幹部になった時は、1分でも時間があれば同期のプレーを分析して一人一人の課題や強みを把握し、それをどうやって活かしていくか考えたり、みんなのモチベーションを高めて、それを維持する方法を考えたり。

今考えると、その時トップチームの練習がどんなにきつくても、同期のことで没頭している時間が幸せで、何も大変に感じなかった気がします。

自分は同期のためならいくらでもなんでも出来るんだなーと思った1年生の冬でした。
19年ぶりくらいに優勝して、インスタに初めて慶應で良かったと思えたとキャプションに書いたら3年後が大事、というコメントが同期からきて、今、3年が経ったけれど、その気持ちは変わってないです。

もし行きたかった大学に行っていたら、今年日本一になれたかもしれないけど、それでも私は今の同期、後輩、コーチがいる慶應にいれて、とても幸せです。

1年生の時は観客席にいる同期を見て頑張っていたけれど、毎年少しずつ同期が増え、今年は周りを見渡すと、フィールドにもベンチにも近くに同期が沢山いて、私はそれだけでとっても幸せでした。

3年生の時は、レベルの高い選手が多く、自分の存在意義を見失う事が多かったです。自分がいてもいなくても、チームは強いし、何も変わらない。ただひたすら自分と向き合い、来年の日本一に向けてレベルアップをする事だけ考える、そんな1年間でした。トップの春幹として、みんなと協力しながら早慶戦に向けて試行錯誤して、勝利し、来年日本一を取るために同期と何度も学年の目標を立て、みんなで頑張った1年間でした。

戦う為だけじゃなくて、支え合って助け合う為に仲間がいるんだなと感じた1年でもありました。

4年生になって、トップチーム幹部になり、4年間常にあった責任とプレッシャーが、一番大きくなった年でした。

スプリングカップやリーグ戦のパンフレットの表紙になるたびに、ラストイヤーを実感しました。

23チームのキックオフに向けて準備しているときに、日本一を取った次の年が一番難しいとコーチに言われて、どんなに内容が悪いゲームでも、僅差でも良いから、必ず勝ち切って、日本一を獲る、と覚悟を決めて幹部を務めました。

去年のシーズン終わりが例年より遅く、リーグ開幕が例年より早く、始めに計画を立てた時に圧倒的に時間が足りないことは分かっていました。

23チームの前半、就活期間でも、朝から晩までチームのことを考えていたけれど、ラクロスに100注いでいる人なんて、殆どいなかったと思います。

全員が本気で日本一を早い段階から目指し、ラクロスを一番にすることは簡単ではなく、勉強など人によって優先順位が違う中で、みんなが日本一に対してどれだけの想いがあるのか分からない事が多くて、どれくらい要求して良いのか、悩む事も多かったです。

でも日吉でみんなで本音を言い合った時に、みんなが何を大切にしているのかを知ったり、何を考えているか知る事で、要求しやすくなりました。

私は普段から言いたい事をちゃんと言えるタイプではないし、伝えたい事を上手に伝えるのが苦手だけど、本音を言い合う機会を何度か重ねる内に、普段から言いたい事を躊躇せずに言い合える様になったと思います。

最終的に、トップチームは、中央戦前の練習試合で社会人チームを圧倒し、アメリカで通用するくらい力はついていたし、それぞれが自分の役割を理解し始めて覚悟を決め、このまま強くなり続ければ日本一を獲れると思っていました。

トップチームは、基礎練習に時間を割いている時間はないです。
だからもしリーグ戦で活躍したいと考えている人がいたら、トップチームに上がる前に、基礎を完璧にするのは最低限のラインだと思って欲しいです。その上で、誰にも負けない強みがあれば、必ずリーグ戦で勝利に貢献できると思います。

そして、チーム編成で一喜一憂する人はいるけど、本当に誰かと比べる必要なんてなくて、常に自分の成長に焦点を当てて努力すれば、絶対に大丈夫です。

そもそも、プレースタイルや勝利の貢献の仕方は違って当たり前だから、他人と比較する時間があるなら、自分の強みを磨き続ける時間に充てたほうがいいです。

私は体育が毎回Cだったくらい運動神経が悪かったけれど、ラクロスは大好きだったから、大嫌いなラントレや坂ダッシュを毎日して、ライドで貢献出来るようになったり、頭で考えてプレーするのが苦手だったから、ビデオがアップロードされてから寝るまで何回もビデオを見て、やっと頭を使ってプレー出来るようになったり、苦手な事が出来る様になるのは大変だけど、努力すれば必ず出来る様になるんだと思いました。




最後の試合は、攻める時間も短く、1年生の時のFINAL4でリストレから見た光景と似ていました。
残された時間でひたすらパスを回され、自分はDFを見守ることしか出来ない。
元々この試合には出る予定ではありませんでしたが、出させて頂いても何も出来ずに申し訳なかったです。

私は自分たちの代で日本一を獲るために4年間やってきて、どんな事があっても3年後の日本一の為、と思って乗り越えてきました。
なのに、こんなに一瞬で終わってしまうのは、なんとも言えない気持ちでいっぱいです。

でも、後輩たちが1年生からラクロスを楽しいと思えたり、上手くなりたいと思えているなら、私がこの部活に入った意味が少しでもあったのかなと思います。

これから慶應に入る人たちも、今頑張っている部員も、ラクロスを楽しみながら、上を目指せるように、ずっと応援してます。


まだ予想もしていなかった引退試合から間も無く、何を書いていいか分からない状態で、このブログを書いていて、全然まとまっていないと思いますが、時間が経ったら、手紙で一人一人に伝えたいと思うので、

最後に、感謝の気持ちを述べさせていただきたいと思います。

:家族へ

10年間支えてくれてありがとう。
部活から帰ってきて、ママのご飯を食べて泣いた事が何度あったか分からないくらい辛い事ばかりの10年間だったけれど、ここまで続けてこれたのは支えてくれたパパとママのお陰です。
一人暮らしをしてから、どれだけ頼っていたか分かりました。
毎日3時半に起きて送ってくれたり、どんなに忙しくても試合を見にきてくれてありがとう。
代表の選考の時も最後の試合も、いつも大事なときに力を発揮出来ず、応援してくれているのに結果を出せない事、良い報告が出来ない事が一番辛かったです。
練習のビデオを見るくらい、プレーを見るのが好きなママに、もう自分のプレーが見せられないと思うと悔しいけれど、
10年間ラクロスに全ての時間を捧げて、諦めた事、出来なかった事をやっていきながら、違う形で2人に恩返ししたいと思います。

:コーチへ

なつきさんは高校の時からお世話になっていて、最後に日本一という形で恩返しがしたかったけれど、出来なくてごめんなさい。ポジション的に関わる事は少なかったけれど、この2年間、なつきさんの存在が頑張る理由になっていました。有難うございました。

貴一さん
自分にとって、お父さん兼メンタルコーチみたいな存在で、リストレの隣に立ってくれているだけで、安心してプレー出来ました。たまーに褒めてもらえた時は嬉しかったし、上手く行ってない時は、的確なアドバイスをくれて4年間やってこれました。ありがとうございました。

大久保さん
高校生で初めて慶應のトップの試合に参加した時から自由にやっていいよ、と言ってくれて、一年生の時もプレッシャーの中で、プレーする中で、その言葉がいつも助けてくれました。
日本で一番点を取る選手になる夢は叶えられませんでしたが、大久保さんのもとで、ラクロスが出来て幸せでした。
お世話になりました。

:同期へ

4年間、自分が辛い時は必ずみんなが支えてくれました。
自分に大変なことがあっても、大学からラクロスを始めた同期はきっともっと大変で、同期が辞めてしまうくらいなら自分が全部負担したいと思っていました。
だからあまり周りを頼らないようにしてきたけれど、私の小さな変化にすぐ気づいて支えてくれてありがとう。
1年生の時、雨の中、部荷物を沢山持っていて、傘をさせずに帰った日には、何人かで迎えにきて荷物を手分けして持ってくれて、上着と飲み物を渡してくれた日の温かさは一生忘れません。
色々なチームでラクロスをしてきたけれど、間違いなく同期とするラクロスが10年間で1番楽しくて、幸せでした。
4年間ありがとう。


:スタッフへ
多くの要求に対して、嫌な顔ひとつせず、チームの為に沢山動いてくれてありがとう。
今シーズンが始まってスタッフが少なかった頃、今までの当たり前がなくなり、スタッフなしでは何も成り立たないことを知りました。
フィールドでしか恩返しが出来ないのに、このような結果になって申し訳ないです。
TRさん、廣澤さん、身体だけじゃなくて心まで支えてくれてありがとうございました。

:バディーへ

私達が2年間磨いた連携が、アメリカでも通用すると分かって、2人ならどこまででもいけると思ったし、あと数ヶ月一緒に練習出来ていたら、きっとダブルビハインドで世界を圧倒できたよね🫢
2人で毎回何点決めるか決めて試合中あと何点ーって数えるのが楽しかったです。
2個下だけど、後輩だと思って接した事はなく、いつも刺激をくれて、高め合う関係だったと思っています。
上級生になると色々な事を考えるようになるけど、気負いすぎず周りを頼ってね。
美里のバディーになれて、幸せでした。
慶應を選んでくれてありがとう。

:後輩へ

練試を組んでくれたり、スカウティングをしてくれたり、たくさんの仕事を最後までやってくれてありがとう。
全ての仕事をきちんとやってくれたお陰で、今のチームが成り立っています。
きっと尊敬するような先輩ではなかったけれど、質問してくれた時とか、頼ってくれた時は、とっても嬉しかったです。人見知りで、あまり話せなかった人も多かったと思うけれど、自分で良ければなんでもするので頼ってください!

:他大の同期たちへ

ラクロスを通して、みんなと出会えて良かったです。
U15やU18で出会って今もラクロスを続けて、こうして高め合えているのは当たり前の事じゃないし、ユースで出会ったみんなのプレーを見るたびに、自分の下手さを痛感して頑張ろうと思えていました。
ほとんどがFINAL4に進むと思うけど、みんなの活躍が今の自分の楽しみなので、最後まで応援してます。
たくさんの刺激をありがとう。



最後までお読みいただき有難うございました。

23チームはまだまだ続きますので、最後まで応援宜しくお願いいたします。

10年間のラクロス生活に終止符を打ちますが、アメリカでラクロスの本当の強さ、楽しさを知ってしまったので、またやりたくなったらやろうと思います。

4年間有難うございました。

次は、いつも面白くてみんなを笑わせてくれる#92らんです。

すぐ同期にかまちょするし、変な行動ばっかりするけど、本当に努力家で、どんな事も手を抜かずに一生懸命頑張るらんを見て、刺激をもらっていました。

私には想像出来ないくらい大変な4年間だったと思うけど、最初から抜群の運動神経でも謙虚にひたすら努力し続けるらんに、プレーでも沢山救われました。

らんがいない時に、存在の大きさをすごく感じていたし、らんがDBを拾って、FFOを繋げるのが大好きだったよ。

今までありがとう、これからも宜しく🦄