慶應CARPのブログ -8ページ目

慶應CARPのブログ

慶応大生が中心のインカレサークルです。
福澤諭吉の志を学び、いかに世界に展開できるかと、日々挑戦しています!
目指せ!世界のために生きるリーダー!

 

皆さんこんにちは、慶応カープです!!

 

コロナウイルスの影響で外に出なくなり、体重の増加が気になる今日この頃です・・・

 

さて今回は、慶応義塾のルーツでもある『学問のすすめ』を紹介したいと思います!

 

 

 

 

 

『学問のすすめ』といえば、一万円札でおなじみの福沢諭吉によって書かれた本ですよね。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という書き出しを、聞いたことがないという人はいないでしょう。

 

でも、一体、中にはどんなことが書かれているのか。ご存知ですか??

 

今回からシリーズで何回かに分けて、寝ながらでもわかるくらい簡単に、『学問のすすめ』を解説していきたいと思います。是非お付き合いください!

 

 

 

 

 

 

 

学問のすすめの何がスゴイのか?

 

 

なぜ『学問のすすめ』はそんなにすごいのかについてお話ししたいと思います。

 

今売られている『学問のすすめ』の帯にはこうあります。

 

 

「350万のリーダーたちに読み継がれてきた『人生』の教科書」

 

 

「人生の教科書」・・・

なかなか強烈なセリフですが、150年前に出た本が今でも多くの人に読まれてるってすごいと思いませんか?

 

なぜ、150年間多くの人に読まれ続けてきたのか。

 

それは、『学問のすすめ』が近代日本の精神をかたち作ったと言えるからです。

 

少し難しい言葉を使ってしまいましたが、いいかえれば、人間は皆平等であるとか、国同士の関係は平等であるとか、今の世の中の「当たり前」を人々に広めたということです。現代からすれば当たり前のことであっても、つい最近まで“お侍さん”が支配していたような明治の世の中では、非常に新鮮に映ったわけです。

 

ただ、現代では当たり前だからといって、どうでもいいというわけではありません。現代の日本を知るためには、その当たり前をよく知る必要があるのです。

 

そして本の帯にはこうあります。

 

「福沢諭吉の言葉が、時代を超えてあなたを変える!」

 

今の世の中を作り出し、あなたをも変えてしまう本、『学問のすすめ』。

それでは早速、内容をくわしく見ていきましょう!

 

 

 

(私が理解した範囲をまとめて書いているため、詳しい方からすればおかしい部分もあるかもしれませんが、大目に見ていただけたら幸いです。)

 

 

 

 

 

 

人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

 

 

 

この有名な出だしは、人が持っている権利は生れながらにして皆同じという意味です。ただ、社会的な地位や豊かさまで同じかというと、そうではありません。学問をして物事をよく知っているものは社会的地位が高く豊かで、学ぼうとしないものは地位が低く貧乏になるというのです。

 

随分ストレートな表現ですね(汗)

 

つまり、その人が豊かかどうかは、その人の身分(生まれながらのもの)によるのではなく、「働き」によるのだといいたいわけです。だから、豊かになるために学問をしろといいたいのか?と思われる方もいるかもしれませんが、福澤がいう学門とは決して豊かになるためだけのものではありません。

 

 

じゃあ、学問をする目的とはなんでしょうか?

 

 

質問に答える前に、少し『学問のすすめ』が書かれた当時の日本の様子を紹介しようと思います。

 

 

 

 

日本の商人と日本にやってきた外国の商人が取引をするときのことです。

 

田舎から、その町では一番の金持ちと言われるようなある商人が、外国からきた商人と取引するために、横浜や神戸などの港町に出てきました。

 

そこで彼は、初めて外国人商人と会い、まずその体格の良さに驚かされます。

そして、蒸気船のスピードと大きさに驚き、金持ちなのに驚き。

さらにそのお屋敷のデカイこと、デカイこと。

 

いざ商談をすすめようとすると、その駆け引きの鋭さにあっけに取られ、その圧倒的なパワーに縮み上がって逆らうことができず、大損を出すような取引を結ばされてしまう。

 

 

なんてことがあったそうです。

 

このどうしようもない様子を見て福澤は、「臆病神の手下ども」とこき下ろします。ものすごい言い草ですが、国民がこんな様子では、日本が近代国家として独立を維持するのは難しいと危機感を抱きました。

 

そして、こうなってしまった原因は、江戸時代の町人たちが独立の気概がなく「腹の底まで腐れ」切っていて、それが明治の世になっても全く変わっていないからだと言います。

 

 

 

 

 

一身独立して一国独立する

 

 

 

当時の日本は、明治維新によって新政府ができたばかりの頃。国の制度はガラッと変わっても、人々の意識は全く変わっていませんでした。

 

江戸時代には、幕府という絶対権力があり約250年間、民を治めていました。「お上(幕府)」の言うことに従っておけば、特に問題なく生活することができ、国の政治のことは幕府に任せっきりでした。それゆえ、武士はいばりちらし、平民は必要以上に卑屈になってペコペコ頭を下げていました。

 

幕府が倒れ、明治政府ができても人々の意識が大きく変わることはなく、国の政治のことは政府に任せておけば問題ないだろうという、お客さんのような態度でした。この様子を福澤はこう表現しました。

 

 

「日本にはただ政府ありていまだ国民あらずと言うも可なり。」

 

日本には政府はあっても、いまだ国民がいないと言ってもいいだろう、ということです。

 

 

 

前に述べたように、人間には身分はなく皆平等です。それゆえに、人がたくさん集まってできた国家同士も対等な関係なのです。しかし、現実には豊かで強い国と貧しくて弱い国があります。その当時、日本は貧しくて弱い国でした。ようやく近代国家として成立して、諸外国にも門戸を開きましたが、まだヨチヨチ歩きの赤ん坊のような国だったのです。その国が、これからも独立を維持し諸外国と対等に渡り合っていくためには、国民一人一人が「独立の気概」を持たなければならないと福澤は考えました。

 

 

 

さて、学問をする目的は何かという質問に戻りたいと思います。

 

それはスバリ、人々が自立した生活をおくり、人に頼ることない自分自身の判断基準を持ち、「独立の気概」を持つため。そして、日本が国として立派に独り立ちし、平和と安定を守るためなのです。

 

これが一身独立して一国独立するという意味です。人々が、学問を学ぶことを通して、まず独立した生活基盤を持ち、国のことを自分の家のことのように考えることができるようになってはじめて、国として独立できるのです。

 

 

 

 

 

いかがだったでしょうか。

「寝ながらわかる『学問のすすめ』」第一回は、とりあえずここまで!

 

福澤諭吉は、一人の人間と一国とを同じ延長線上で捉えていた点が特徴的ですね。

現代と当時とでは国の様子も随分と違いますが、「日本には… いまだ国民あらずと言うも可なり。」となっていないだろうかと、自分の身を省みてみる必要はあるかもしないと感じさせられました。

 

 

次回以降は、現代にも通じる世渡り術なんかも出てきますので、ぜひお楽しみに。

また次回お目にかかりましょう!

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

※『学問のすゝめ』の初編〜第四編を簡単にまとめたものです。

※ 参考文献 

 ・福澤諭吉著『学問のすゝめ』(岩波文庫)1942年

 ・福澤諭吉著, 齋藤孝訳『現代語訳・学問のすすめ』(ちくま新書)2009年