私はここにいる | keiのpierce

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愛するイジュンギさんのことを中心に、日々の出来事を綴るブログです。

ikujo でございます。




「シチリアの恋」、二年前に見た時は、好きになれないと思った映画でした。

 

まず、設定が安易に思えたし、

ヒロインのシャオヨウの、あまりにも感情むき出しの行動にどうしても、共感できず、

ジュンホの行動も、理解できませんでした。

 

ついでに、ずらずら言わせていただくと、

姉のイタリア人の夫はいったい何をしている人物なのかとか、

ジュンホは、韓国から移り住んでから、

22歳までシチリアに暮らしていたという設定のようでしたが、

シチリアに溶け込んでいる感がなく、

100%韓国に住んでいる韓国人に見えるとか。

要は、シチリアで暮らしているという生活感が抜けて落ちているとか。

 

そもそも、何で、シチリアやねん! みたいな(笑)。

 

「故郷」は韓国でよかったのでは?

無駄にお金をかけて、シチリアロケをするくらいなら、

ジュンギのギャラをあげてやれ!とか(笑)。

 

 

すみません(笑)。

細かいことをいちいち書いていくと、それこそ、百の文句になってしまう(笑)。

 

物語に入っていく前半部分、

様々な前提に説得力がないように思えて、

そこが気になってしまい、物語に没入することができなかったというのが、

初回の辛口な感想の原因ではないかと思います。

 

「シチリア~」ファンの方には、申し訳ないのですが、

 

ジュンギや~、どうして、こんな映画に出た~

 

というのが、偽ざる ikujo の感想でした。

で、約二年ぶりに「シチリア~」を見たわけですが、

同じようなところで、同じような感想を、

あるいは、物語の違和感とでもいうのかな、

そんなものを、今回も抱きました。

 

しかし、

免疫ができたのか、

それとも、最初に覚悟があってみたからなのか、

シャオヨウについて、彼女の悲しみの深さゆえの

あの振る舞いなのだろうと、受け入れることができる

ようになりました。そこは、大きな収穫かもしれません。

ヒロインに共感できるようになると、

また、見方が変わってくるというか(笑)。

 

また、今回は、じっくり見たせいか、

前回は見逃していた点に気づくことができました。

 

この映画、ものすごく もったいない映画だと思います。

いいシーンとか、結構あるのに、良さが際立たない気がする。

 

前半をシャオヨウ目線で、

後半をジュンホ目線で描き、

後半で謎が解けていく流れになっているのですが、

時間軸が前後するので、わかりにくい。

 

今回、スクショしながら、同じ場面を何度も見たりしているうちに、

「なるほど」と、落ちたところもありました。

 

特に、ぬいぐるみのシーンです。

あそこ、いいシーンなのに、それこそ、時間軸が前後していたので、わかりにくい。

実は、思った以上に 作り手の想いがこめられたシーンだったのだと、

今回、ようやく気づきました。

遅いって?(笑)。

映画云々より、ikujo の理解力の問題かもしれませんが(笑)。

 

 

まあ、ずらずら ikujo の繰り言を書きましたが、

ikujo の理解力はともかく、

ひとつだけ、これだけは、どうしても許せないところがありました。

 

それは、このシーン。

 

 

上海留学する前の、シチリアでのジュンホ君。

街中でもよおして、立○○○ するシーンです。

 

これ、本当にプンプン です。

欧米の街中で、このような暴挙にでるアジア人って。

マジ、笑えない。

どうして、こんな設定、考えた?

それを、ジュンギ君にやらせる?

「笑える」部分として出てくるのだけれど、

全然笑えませんでした。

 

一挙に、不快指数をあげてしまいました。

ごめんなさい。

 

ということで、お口直しに

ぬいぐるみのシーンをどうじょ!

 

シャオヨウ目線のシーンと、ジュンホ目線のシーンを

時間軸に従って、入れ混ぜてみました。

最初に見た時も、ここはいいなと思いましたが、今回あらためて、

記憶にあった以上にいいシーンだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジュンホは、かつて、シャオヨウに恋の告白をした時のように、ダンスを踊り、最後の力を振り絞って、終わらぬ愛を伝える。ジュンホの苦しい息遣いが切なくて。

 

 

その思いは、確かに通じ、

シャオヨウは、

恋人が与えてくれた愛の記憶を甦らせます。

 

 

ジュンホの 「ここにいたい」という心の叫びと、

シャオヨウの「わたしはここにいる」という呟きが、

交錯し、溶けあった瞬間、

二人の心の中には、決して消えることのない

永遠の愛が刻まれたのだと思ったりしました。