レミオロメン | Kevin's Room

レミオロメン

昨日、TOUR 2008“Wonderful&Beautiful”の奈良公演のチケットを受け取りに行ってきた。


来週の大阪公演の座席がおもっくそ後で端っこだったので、今度こそはと思っていたのだが、


結果は。。。










というわけで、ど真ん中。


しかも迫り出し舞台を設営したなら、さらに前の1ブロックが消えるので、かなり好位置。


2回目でやっとゲトですな。



それはさておき、最近のレミオロメン、すっかり昔とは変わってしまった。。


今や、当初の苦渋の中から生まれた文学的楽曲はほとんど見る影もなくなってしまった。。


すっかり商業ベースに乗せられたチープな歌詞とメロディとごまかしのシンセとバックストリングス。。


たしかに簡単な歌詞は大衆ウケはするだろう。


しかし、それは単なるおもちゃで、そこに感動や共感は生まれない。


昔のレミオはこんなんではなかった。


どんな労苦を背負っても絶対に負けない力強さを楽曲に表現してくれた。


それにどれだけ勇気をもらったことか。。


たしかにあの頃の歌詞は、抽象的で難解であった。


しかし、だからこそ逆にイメージは無限大に広がり普遍性を持つことができた。


一度聴いただけでは、分からずに何度も何度も聴き込んだ。


でも、そうするうちに何とも言えない味わいが出たものだ。


また純粋な3ピースバンドのサウンドはシンプルで、彼らの鼓動がダイレクトに伝わったものだ。



今から1年半程前、確かに彼らは悩んでいたと思う。


メジャーになるにしたがい、世間の求めに応じるまま自分たちの音楽を封印していく苦悩は、「アイランド」によっ

て吐露された。


それを昨春の「茜空」で吹っ切り、求めに応じるまま新たに歩み出した彼ら。


「蛍」で少しは独自の芸術性を見せたとは言え、「眉山」にからんで、主演のM女史に「演技」している時は自分を捨てるんだとのアドバイスをもらい、見事に「役者」と化していってしまった。


「RUN」は酷かった。ついにイッてしまったかと思った。。


その後出る曲は、ほとんどK氏プロデュースに染めきられたであろうものばかりで、これじゃぁミス○ルとなんら変わらないじゃないかってものになってしまった。



オイラの好きなもの、それは素朴でシンプルだからこそ、美しく力強いもの。


アカペラしかり、テレマークしかり。


しかし、世間で認知され、メジャーになるほど、本来の素朴さは失われ、派手派手しくなっていく。


本来のアカペラは、人間の声だけで全てを表現するもの。


そこに技術的感動がある。


大衆ウケをねらって、ピアノを入れたり、パーカス、ベースに楽器を使ってしまえば、それはズルイ以外の何ものでもないと思う。


高速で滑走性能を高めるために、どんどんブーツのシェル高を高め、ビンディングをハードケーブルに変えていけば、本来の素朴な力強さはなくなり、技術も不要となる。


大衆の手に届くと言うことは、それは俗化したということ。


手つかずの大自然が美しいように、高嶺の花が美しいように、そんなに簡単に味わえてしまっては値打ちがなくなってしまうのではないだろうか。


何でもかんでも道路やロープウエイでアクセスすることしか考えなくなっては、つまらないのと同じだ。



というわけで、いよいよ来週、今の生レミオをこの目でしっかりと見てこようと思う。