悲しみは悲しみのために
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https://youtu.be/Yu8KS3_64sc
着地点は同じでも、人はそれぞれ違うから、それぞれの機や器に相応するかたちで説く、ということです。それゆえに、数々の経典や宗派があります。(勿論、それに相当しないようなものも中にはありますが…)。仏の願い(人間の願い=煩悩、とは違います)は本来、たったのひとりも余すことなく救う、という大慈悲が根本だからです。日本神道の八百万の神の思想とも通ずるところがありますね。
さて、その仏教には、三法印と呼ばれる、全宗派共通の理念、真理のようなものがあります。
諸行無常…すべてのものは常に移ろい変化していて、ただのひとつとしてそこに留まっているものはない。
諸法無我…あらゆるものは、単独で存在しているものはなく、関わり合って存在している。(ある部分にフォーカスすると"ご縁"ということですね)
一切皆苦…すべては苦しみである。(四苦八苦に分類されます)
突然何の話かと言いますと(笑)
この「悲しみは悲しみのために」という曲は、
この一切皆苦をテーマに、日常的な風景に置き換えた曲です。
すべては苦しみであるなんて言うと、ネガティブと捉えられがちです。しかし、これをハッキリキッパリと受け入れるからこそ、ひとときの喜びや、ひと摘まみの幸福というものが愛しく、有り難く、なにものにも変えがたいものだと思えるし、大事にしようと思えるという、大変楽観的な思想です。
言わばデフォルト悲しみなわけです(笑)
すべては相対的なもの(諸法無我)であり、死生観(諸行無常)にも通じます。
"いや、自分は苦しみや悩みなどなく毎日ハッピーだぜイェー👍"みたいな人は、それで良いと思います。。。諸行無常と諸法無我にやられるまでは(笑)
悲しみ苦しみの娑婆を誤魔化さず、それを腹に据えて、小さな喜びや幸せに気付けるスタイルでいこう!ということですね♪
そして、喜びや楽しさは束の間のものだと思いきることで、思い上がらず、調子に乗らずに((((;゜Д゜)))済む上に、大事に大事に過ごせる、それを分け合えたならそれに越したことはない!という感じですね♪
なかなかそんなふうに四六時中居られるものではありませんがf(^^;いつも頭の片隅に置いておきたい……と常々思っております。
はい、思ってはいるんです…
いや、ホントに…(笑)