Cornwall 鉱山跡巡り~栄光と悲劇の歴史~ | 鉄道/ダム/橋etc.マニアの英国滞在記

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鉄道/飛行機/船/ダム/橋/近代産業土木遺産/気象/地形/BCLを愛する某日本企業の中年ロンドン駐在員。英国各地のマニアックな場所を探訪した記録を自らの記憶整理を目的に編纂したが当地を訪れる方の情報の一助になれば幸いである。2021年8月帰国により本ブログ更新を終了する。

2019年4月、Easter休暇にCornwall地方へ車で旅行に出かけた。昨年夏から私のロンドン生活に合流した妻と娘も一緒である。 妻の希望の観光地を巡り、娘の希望のJurassic Coastでの化石掘りも堪能しながら、私としてもいくつか希望を入れさせてもらった。全く興味がない!という妻と娘を何とか説得してもどうしても行きたかった場所、それが世界遺産に指定されているCornwall-Devonの鉱山跡だった。

この地方一帯でのスズ鉱石の採掘は紀元前まで遡るようであるが、とりわけ産業革命以降の蒸気機関の発達によって各地に蒸気エンジンを備えたパワーハウスが建設され、坑道掘削、鉱石や労働者運搬、地下水くみ上げポンプ等の動力源となり最盛期迎えた。その後、20世紀直前、スズと銅価格の大暴落により多くの鉱山は閉山に追い込まれたようである。各地に残る蒸気エンジンパワーハウスの建物群を含む産業遺産は2006年に世界遺産に指定されている。

まず向かったのはLevant 鉱山跡(N50.151827 W 5.685416)。 海岸に近い荒野の中にいくつものエンジンハウスの廃墟が見えてきてテンションが上がる。ここは最盛期には総勢500人を超える従業員が働き、この地方で最も利益を上げていた鉱山だったらしい。



行き止まりが駐車場になっていてLevant Mineの案内標識。ここに車を停め、下に続く道を降りると、管理事務所がある。


海岸沿いは遊歩道になっていて、数キロ北のGeevore鉱山跡まで歩けるようだ。


海岸沿いにかつてのエンジンハウスが点在している。


管理事務所前には、かつて鉱山から採掘した鉱石を、水の流れる樋に流して選鉱した跡が残されており興味深い。



管理棟内には入場料を払って当時の蒸気エンジンを見学できる部屋があったが、天気も雨模様になってきたので、私が最も見てみたい!と思っているBotallack鉱山跡に急ぐことにした。

車で狭い地元の道を進むこと約15分。Botallack鉱山跡の駐車場に到着(N 50.140588, W 5.689692)。雨もひどくなってきた。10台ほどの車が停まっておりトレッキングを楽しむような観光客が数組、見える。

ここの特徴はなんといっても、断崖絶壁に建設されたエンジンハウス跡。世界に絶景を紹介するサイトでも時々、荒波と夕陽に映えるエンジンハウスの写真が紹介されている。雨脚が強まってきた。全く興味を示さず不満が高まりつつある妻と娘を車に残し、一人、崖の小道を降りて行く。

しかしまた、何でこんなところに・・・というのが素直な感想。後でわかったのだがここには斜めに長大な海底坑道が伸びており、このエンジンハウスは地下坑道に動力を供給するための設備だったらしい。






こんな荒波押し寄せるところに当時の技術で建設するのはさぞ大変だっただろうな、と思いを巡らせ、時折、雨交じりの突風が舞い、傘も全く役に立たない中、波音だけがこだまする断崖にひっそりと佇む廃墟を時を忘れてただただ静かに眺める。

陽も落ちてきてさらに雨脚が強まってきた。妻と娘もしびれを切らしていることだろう。早く戻らねば。。途中、精錬に使われていたであろうレンガ作りの窯跡を過ぎる。

駐車場の横にカフェを兼ねた管理棟があったので寄ってみた。壁にはBatallack鉱山の壮大な海底坑道図が掲げてあった。こんなに巨大な鉱山だったとは、驚きである。


ここの案内を兼ねているであろう、カフェのおばさんがBatallack鉱山の歴史を語ってくれた。ここはスズの他、世界有数のヒ素鉱山であったらしい。最盛期にはここで産出、精錬されたヒ素の大半がアメリカに輸出されて綿花生産の農薬として使われ、生産された綿花がリバプールに輸入されていたらしい。Botallackで産出されてヒ素はまさに大英帝国の発展に不可欠な重要製品だったのである。

ヒ素は昇華点が600℃程度と非常に低く、精錬工程で昇華したヒ素は窯の壁に凝華する。 途中、通ってきた窯は凝華したヒ素を回収するための窯だったのである。 当時、凝華したヒ素を手で回収していたのは子供と女性の仕事だったそうだ。この村でも多くの子供、女性がヒ素中毒で命を落としたらしい。私も化学を専攻していた関係で、ヒ素の重恐ろしさは十分理解しているだけに何ともやりきれない気持ちになった。産業革命は人類に多くの発展と幸福をもたらしたが、光の裏側にある影の部分がここにあった。 

宿があるSt Ivesに向かって、海岸沿いのB3306を走っている途中にも、エンジンハウスの廃墟があった。(N 50.171940, W5.612780) 1830年代に操業し1878年に閉山した。






Cornwallの厳しい自然環境ではこれらの遺構は徐々に朽ちていくのであろうが、全人類の近代化に少なからず影響を与えたこれらの産業遺産が末永く保存されていくことを切に願う。