タマラ実践者のキョンです。
私たち昭和の世代が若かりし頃と、
現代の違いは、
一番大きなものは情報へのアクセスだと思います
大好きなクライムドラマなどを観ても、
昭和のドラマは、
刑事さんが靴の底を擦り減らすのが定番で
今どきはコンピューター得意な、
ハッカー的な人がキーパーソンとして
必ず登場するのが定番
以前、娘と出かけたとき、
知らないお店に入ろうとしたら、
娘は即座にネットで検索し!
良さそう!!となり、
結果、本当に良いお店でめでたし、となったのではあるが
これと同じようなことって多いな、と思う
書店で本を買うとき、
パラパラめくって面白そうと買っていた昔、
今は、誰かの情報から
間違いなし!とネットで買うことが増えている
本屋大賞受賞作を読むと、
合う合わないはあれど
とりあえず失敗はない面白さである
だから、エントリー作全部読んだら、
全部全部面白かった
のではありますが、、、
私はなんとなーく
どこか不満足になっていたのです
だって
わかっていることを、わざわざなぞったような
誰かのお墨付きに乗っかったような
もちろん、失敗はしたくない
せっかくの娘との食事で、
まずいもん食べたくない、けれど
せっかくの数時間費やす読書で
つまんないもの読みたくない、けれど
失敗しないとわかってないと
やらないなんて、、、
という、妙なオトコギというか笑
お買い物もそうだし、
新しい経験も食べ物も、
なんだかわからないけど、
トライしてみたいからやってみる!
それが直感力を伸ばしていくし
自信にも繋がるんだと思う
かなり以前、
私がまだ、タマラを伝えることに覚悟も自覚もなかった頃
創始者や、当時のアクティベーターとの話の中で
「激流を行くことになるかもしれない」
と言われた時に、
私は「でも、激流の先には約束された未来があるんですよねえ、、、じゃあ、やります」
みたいな
今、思い出すと怒りに震える、
当時の私に対して
「じゃあ、って何??!!」
って思う
タマラという、未知のものを
なんの疑いもなく受け入れた自分
これは直感しかないと思える
成功が約束されたからタマラを持った訳でもない
けれど
誰かに担保してもらわないと
進めなかった
じゃあ、と言った私は、
どんだけ傲慢なのかと恥ずかしい