こんばんは♪
あんずです。
引っ越し作業をしなければならないのに、全然進んでなーい、笑!!![]()
この間、ブロ友さんのブログで本を買ったと拝見して、
探してまで手に入れた御本だと読んで、
あんずも本の虫が騒ぎ出して、すぐにポチッてしまいました。
小説を読むのは久しぶり。
小学生の高学年の時は年間1人100冊読むのがクラスの目標で、2年間で200冊以上読んだ本の虫。
実家を出てから自分で買ったガラス扉3面のオークの大きな本棚は今でも本がいーっぱいですが、
ここ半年は特に新しい家の事で頭も身体も時間もいっぱいで、小説を読むなんて考えもしてなかったんです。
ご紹介頂いていた本の題名は『カフネ』。
本屋大賞を受賞された作品だそうです。
まだ三分の一くらいしか読めてないんだけど、
最初のほう、言い回しが小難しい所はあるけれど、
多分、頭の良い方が書かれた文章なのだろうな。
でも、段々と引き込まれて行っています。
弟を想う姉の気持ちに、涙が出そうになる。
これからどんな展開が待っているか分からないから、
読み終わった時にどんな感想を持つか分からないけれど、
少なくとも今、私は「姉の気持ち」に揺さぶられている。
私にもかつて3歳年下の、弟のような妹が居たから。
あんずのブログをずっと読んでいて下さってる皆さまはよくご存知のことと思いますが、
私はその弟のような妹にもう33年、一度も会っていません。
母が亡くなってからの実家での毎日は
あんずには正に地獄のような日々で、父は勿論、
その、子供の頃から男の子みたいに育った妹にも最後は散々な目に遭わされていたので、
あんずは実家も父も妹も失ったまま、この33年間を過ごしてきました。
だから、懐かし過ぎる実家や故郷の町、故郷の御近所の皆さんの事は毎日必ず寝る前に思い出して祈るけれど、
父の事はとっくの昔に親だなんて1ミリも思ってもいないし、
妹とも多分、もしかしたら一生会わないままになるんじゃないかな。
でも、不思議なんです。
妹の無事はいつも祈ってる。
この中東の戦争が勃発してからも、
あんずはとても怖がりだから、自分や夫や伯母たちの事などを何とか守らないと!!って考えているし、
本当に毎日祈るように過ごしているけれど、
亡くなった母に祈る時、
何故か、必ず、その妹の事も祈ってる、笑。![]()
自分とはもう2度と関わらないかも知れないし、
会う事もしたくないと思っているし、
あんずにとっては、とても辛い目に遭わされた父と妹だから、父の事は何とも、祈るなんて気持ちは毛頭、全くもってないけれど、
子供の頃は小憎らしいだけだった妹だけど、
あんずにはいつも姉として守って来た妹だったし、
母が末期癌になってからも、その8年前に初めての乳癌で半年近く入院していた時からも、
あんずは父と妹に食事を作って(当時、あんずは14歳!)、
母が末期癌だと分かった春はあんずは大学を卒業したばかりの22歳で、一応、一流企業と言われる会社に勤めて、研修期間が8月半ばまであって、
入社してから場所を知った研修所までは往復5時間近く掛かる距離で、
(本社は都心のど真ん中だったのに、研修所が横浜の藤が丘と言う、あんず実家からはとても遠い遠い場所だったの!それを知らされたのは入社式の後で。今は直通の路線も通ったようだけど、当時は乗り換え乗り換えでやっと辿り着くあんずには僻地でした。)
毎朝4時半に起きて、
母の代わりに、妹と自分の分のお弁当を作り、
朝ごはんと、夕ご飯の下準備をして、
6時前の始発に乗って2時間半。
帰りには途中にある母の入院している大学病院に寄って、母の気が済むまでの消灯時間ギリギリまで
母と語らい、慰め、世話をして、
家に着くのが10時近くか過ぎるくらい。
慣れない業界に入ってしまったものだから、
それまで何処の学校でも優等生だったのに、
人生で初めてちんぷんかんぷんの仕事の為の研修(コンピュータ業界)を受けて、
母の付き添いや手術や一時的な入退院の付き添いなどで研修を休まなければならない日も多くて、
人生で初めて、勉強(研修)に付いて行けないという落ちこぼれを味わい、
帰ってから夕飯の片付け。自分のご飯。(作って行ったのに、私の分は父に全て捨てられてしまっていたので、いつもお茶漬けか何かで済ませて。)
それでも、急いで翌日の支度をし、
洗濯物したり、
研修の宿題や予復習もせねばならないし、
寝るのは毎晩2時。
いつも、やる事ギリギリ、命の精一杯。
起きるのは4時半。
若かったから何とか出来たけれど、いつもほんとに体力はギリギリ。
精神的にもギリギリ。
父の言われのない暴力と御近所や親戚などへの私の悪口の虚言、
もう、本当にギリギリで。
同期の仲良しの子達何人かの手助けや心遣い、
友達多かったから、学生時代からの友達みんなの優しさ、
学校の友達には忙しくてその頃は1日も会えなかったけれど、
そんな心の支えで何とか生き抜いたあの頃。
(彼氏(夫)と付き合い始めるのは母が亡くなる直前。)
父の私への暴力や虚言は母が亡くなってから更に酷くなり、
父は妹にも私を殴らせた。
理由も分からず、
父からはただただ毎日殴られて蹴られて、
階段から引きずり落とされたり。
大人達には
「あんずが毎日家庭内暴力をして叫んで暴れて困っている。」と父は嘘をついて回っていたと知ったのは
私がもうこのままでは殺されると思って実家を出た何年も後だった。
理由は分からない。
ただ、父が妹の事は可愛くて、姉の私の事は子供の頃から好きでない事は何となくは気が付いていたけれど、
その根本が何であったかは今でも分からないし、
今ではどうでも良いとも思っている。
今の私なら、今の警察ならば、
父を検挙して貰って、父を刑務所送りにするけれど、
あの頃、純粋に父を父なのに、どうして?としか思えなかった若い娘の私にはそれは出来なかった事。
家庭内暴力なんて警察は関与してくれなかった時代だったし。
周りの大人達みんなが父の虚言をあの頃は信じ切ってしまっていたし。
私が実家を友達と彼氏(今の夫)以外の誰にも言わずに出たすぐ後に、
母の兄弟のおじさん達は
「あんずはそんなに悪いことするような娘じゃないよなぁ?」と、すぐに気が付いて探してくれたらしいけれど、
それを私が知って、母方の親戚と再会出来たのはその13年も後の事。
私は実家から大切に連れて出た猫息子のみゃあと猫娘のあんずと、彼氏(夫)と友達だけを支えにその間1人で生き抜いて来たのだ。
そんなツライ目に遭っても、
今は全く違う人の人生を歩いているみたい。
最近は特にそう思う。
若い頃はバリバリ働いて来たし、
色んな資格の勉強も重ね、
一人暮らししながら、自力で専門学校にも2つ通って資格も取ったし、
その後はその資格で生きていた時代もあるし、
実家で過ごした24年よりも、
この見知らなかった街に住んでからのほうがずっと長くなってしまったし、
故郷の町にはそれから一度だけ、
有名な花火大会の日に立ち寄ったけれど、
勿論、実家には帰ってないし。
もう私は実家に居た頃の破片さえ持っていない別の人になっているみたいだ。
なんか小説の文章みたいだね!笑![]()
笑いながら書けてるのは、
今が平和で幸せだって事だ、きっと
。
私は母から産まれて来たけれど、
父は居ないし、
妹も居なかった。
だけど、戦争を思う時、
私は妹が無事でありますようにと、
毎晩、妹の事も亡くなった母に祈っている。
家事も何にも出来なくて友達も少なかった妹が
年老いた父に遺された時、
たった一人で生きてゆけるのだろうか。
あの子も良い歳だから、流石に生活力くらい得ているか。
(弟のような妹は結婚をしていない。)
母が父と懸命に建てた東京のあの実家を
父の弟の小賢しい叔父に奪われて、妹が泣く事にならないか、
あの懐かしい立派な(に見えた)あの実家が
母が亡くなる前まで働いてようやく建てた、
母の愛したあの家が、せめて無事であって欲しいといつも願っている。
私の物になんてならなくて良いのだ。
そんな事は一度も思った事が無い。
でも、母の遺した、母が愛したあの家が他人に奪われるような事があっては決してならない。
妹は一人で生きてゆけるのだろうか。
妹にも会いたいとはちっとも思わない、不思議だ。
でも、元気では居て欲しい。
私は3歳になったばかりの時からあの子の姉だから、
ケンカや小競り合いはしても、ずーっとあの子のお姉ちゃんだったから。
弟さんを思うカフネの主人公を見ていたら、
そんな事を書きたくなった。
そんな今日です。
もう寝なきゃ!!笑![]()
世界も日本も、皆さまもあんずも
どうか安心して安全に暮らしてゆけますように。
(あんずは宗教は勉学の一部としてしか殆ど興味が無いけれど、毎日、御先祖様にも、小さい頃からいっぱい可愛いがって貰っていた御近所のおばあちゃん、おじさん、おばさん達にも祈ってから眠るのがもう何十年もの習慣です。
今は、平和をひたすら祈ります。
あっ、政治にもあまり必要以上には興味無いです、笑!
大好きな京都や奈良や何処かに行けば神社さんにもお寺さんにも教会さんでも祈る日本人の1人です。)
皆さま、平和に過ごしましょうね!!絶対に。
明日の朝、これ以上酷いことが起こりませんように。
あんず![]()
追伸、前回のブログで数字の計算が間違ってました!!笑
さっき直しておきました。
おバカな間違いはお許しください。
おっちょこちょいのあんずです♪。
新居では梅の花が散り、裏庭にはスモモが花盛りです。
夕空なので暗くてすみません!
実は殆ど鳥さんが食べてしまいます。
今年は少しは収穫出来るかな?
