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今日もありがとうご財増す🌈
ニャニャ~♬
(山の清水でアーシングだお❗)
失恋の相手からも
会社の人たちからも、
家族からも、
とにかく、
僕が関わる全ての人たちと出来事から内観が休まらない時はありません。
勿 & 論、
感情に溺れ、
不平不満も出るし、
白黒つけようとする自分が出てくることもあります。
でも人前では出来るだけ不機嫌にはならないよう、心がけてはいます。
が、
『ああ、さっきの自分の態度や言動は····』
『なんで、すぐに顔や態度に出ちゃうんだろう❓』
と、反省することも少なくありません。
キヅケル ダケ マシダ !!
でも、
ふと思うのは、
『相手は自分の鏡写し』というのは、
相手が発する言葉や態度などが僕の内側を反映させているもの、というだけではないと感じるようになってきたことです。
僕が相手に向けて発する言葉や態度なども、僕が僕自身を内側でどう扱っているかの鏡写しでもあるということです。
つまり、
僕が僕自身を否定していると、外側にいる相手に対しても否定の言葉や態度を向けてしまうということです。
なので、
相手(外側)からの出来事だけでなく、僕(内側)から発していることもよく観察しようと思いました。
ほんと自分の内側を見事に引き寄せているなあと思います。
チゲーネー
相手は誰もが僕なんですよね。
姿や形は違えど、僕なんです。
だから僕は、相手(すなわち僕)に対して卑屈になることなく、完全受容の思いで相手のあるがまま(すなわち僕)を通し、僕自身を内観したいと思います。
そして、
どんな自分も認めるということが、いったいどういうことなのか分かったような氣がしました。
どんな自分もジャッジしないで、そういう自分がいるということを景色を眺めるように見つめるというか俯瞰するというか、ほんとそこに感情は必要ないというか、ただただ認めるだけで佳いというか、ね。
シランガナ
とにかく
外側ではなく内側に意識を向けることの大切さを再認識した最近でした。
シッカリヤレヨ
今日もありがとうご財増した🌈
バイニャラ♬