☘️☘️☘️
今日もありがとうご財増す🌈![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/023.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/023.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/023.png)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231227/08/keikun6966/51/5a/j/o1080081015382028084.jpg?caw=800)
(先日の黄昏と雲さんだお❗
)
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
先日、
車の中、
母がぽつりと話したことに涙が出ました。
その日、
母はスーパーに行ったらしいのですが、
買ったものを袋に入れている親子(母と娘)らしき二人が隣にいたそうです。
母が『親子ですか❓』と訊ねると、
その親子は『そうですよ』と答えたそうです。
『羨ましいです』と母は返したとのことです。
その親子は、
なぜ『羨ましい』と言われたのか分からなかったかもしれません。
僕の母は、
11歳の頃に自分の母を亡くしました。
僕の母が言うには、
自分の母との思い出は4年か5年ほどしかないそうです。
『思い出そうとしても、小学一年生くらいの頃からしか思い出が出てこないんだ』
小学5年生(11歳)までの間しか母との思い出がないため、
外で母と娘が一緒にいる光景を見ると、今も自分の母のことが恋しくなるのだそうです。
自分の母と一緒に買い物に行ったり、料理をしたり、もっとたくさんお話をしたかったと思います。
以前、
僕が料理を始めると、決まって母が混ざってきました。
僕はレシピ通りに作りたいのに、母が『あーでもねー、こーでもねー』と横槍を入れてくるので、邪魔で仕方がありませんでした。
母は、自分の母と一緒に料理をすることが出来なかったため、
せめて自分の子供と料理をしたかったのかもしれません。
今、僕は48歳。
母に比べたら、遥かに母親との時間を頂いています。
とても有り難いですし、同時に母の寂しさを思うと、今も涙が出ます。
(ついでに鼻水も止まりませぬ)
僕の人生に比べたら、母は、もっともっと寂しく、悲しく、悔しかった日々を生きてきたに違いありません。
自分がヒーラーを名乗るようになったら、必ず母に、母の両親との会話の時間を作ろうと思いました。
今日もありがとうご財増した🌈![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/023.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/023.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/023.png)