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平日の夜の東京に浮かぶ星々の灯りに自身の影を並べる人々の姿は、まるで誰かの意思で背中を押され、歩みを進めているようだ。
中央線の車両に乗り込むと、隣にはくたびれたスーツを纏い、汗とスモッグでベタついた髪で顔を隠すサラリーマンがイヤホンで耳を塞ぎ、低い声で歌っている。
それはまるで、労働という今日の分の偽りの自分を演じ切った自分を褒め讃えるファンファーレにも聴こえれば、明日も同じように演じなければならぬ誰かの望んだ姿に成らんと、命を削るように鼓舞する軍歌にも聴こえる。
対面のシートには、テストの点数と今後の予定でハシャギながらも、まだ見ぬ恋人の氣配を後ろ髪で探る大学生らしき女の子たちの姿があった。
僕があの頃の自分を見つけたのは、そんな彼女たちの、眼の前の何かに怯えるような寂しそうな笑みと、無理にあげる仮面越しの笑い声に隠す純粋さを見たからだ。
1994年の春。
僕は地方の田舎町の高校を出ると、すぐに東京の会社に転がり込んだ。
親や兄弟と分かり合えぬもどかしさと寂しさから逃げるように家を出たように思う。
同時に家族と故郷から離れた寂しさも手に入れた僕は、同期や同年代の先輩たちと盛り場に繰り出し、分かり合えぬ大人たちが築いた感覚とルールの外で、同じ感覚を共有する仲間たちとだけ認め合うように慰め合い、誰にも見せたくない心の傷を舐め合っていたように思える。
あの頃はあの頃で楽しかった。
けど、内側の傷や寂しさと向き合うことの内観すら知らなかった当時の僕は、単純に外側の淡い幻想を楽しみ、心の拠り所を、自分の居場所を探し求めることしか術を知らなかった。
自分の『分』に見合わぬ立場を相応しいと強がり、
自分の『器』に見合わぬ立ち振る舞いを演じ、大人ぶり続けては、誰かを標的にし、自分の存在を誇示していたように思う。
つまりは自分で自分を受容出来ず、肯定出来なかったのだ。
だからこそ外側の誰かに認めてもらわなければならなかったし、終わることのない承認欲求の波に飲み込まれることに絶えず怯え、その都度、強がらなくてはならなかった。
対面に座っていた女の子たちを見たからといって、あの頃の自分を思い出したとして、彼女たちもあの頃の僕と同じような人間だとは限らないのだが、それでもあの頃の僕の純粋さだけは同様に持ち合わせていてほしいと願う自分に、少しばかりの傲慢さと慰めにも似た希望が交錯したような氣もした。
誰が誰のために生きなければならないと運命められた十字架を背負わされて生まれてくるのなら、この世は支配と隷属のパラダイムを正義とし、いよいよ地球に挑むことであろうが、時は風の時代へと舵を切った。
土の時代と謳われた僕たちが叩き込まれた幸せと正義は、砂の城のように波に飲み込まれ、静かに、音も立てずに崩れ、そして消え始めている。
東京は夜空の星が地上に舞い降りた街ならば、行き交う光と影の交錯は流れ星といえよう。
流れ星のひとつひとつは、人々の営みの全てを写した人生の交差点だ。
そんな街、東京で僕はあの日の僕と再会した。
それは、信じ込まされたパラダイムに終止符を打つためなのか。
続く❓笑
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