☘️☘️☘️
今日もありがとうご財増す🌈
ニャニャ~♬
例えば、子供の頃に苦手な食べ物があったとしますよね。
オッ、 ナンダ?
でも大人になると美味しく感じることってありますよね❓
マ、マアナ
それって、子供の頃に、その食べ物の佳さを知らなかったからとも言えます。
ソウカモナ
人間関係も似たようなもんかもね。
キュ、 キュウニ ナンダ!?
自分が誰かを嫌おうが、誰かが自分を嫌おうが、結局は佳さを知らないだけで、勝手に嫌いな面のみに意識を向けているだけなのかもしれない。
マア、 ソンナモンサ~
つまり、
食べ物の存在そのものが悪いのではなく、その食べ物の真価を知らないだけなんだよ。
(食わず嫌いってのもあるしね〜♬)
その食べ物が真価を発揮する調理の仕方があるように、人間もまた奥に秘めている素晴らしい個性の輝きがあるんだけど、
その人の人間を見るのに、無意識に判断基準を厳しくしちゃってるだけなのかなって。
それって、視野が狭くないかい❓
ドキッ
それって、人生経験の狭さとか浅さの表れなんじゃないかい❓
ドキッ !!
ただ知らないだけ。
誰かを嫌うなんて、しょせん、そんな程度のもんなのかもしんない。
『自分のほうが、まだマシだ❗』
とか
『あいつのほうがひどいよ❗』
とか、
高いところから俯瞰してみれば、どうでも佳いことで、どんぐりの背比べだよね。
ゴジュッポ ヒャッポ トモ イウネ ♬
そう思うと
『これまでの自分は、なんと狭い世界で生きてきたのだろう』
と、汗顔の至りだけど、それもまた佳い学びだよね。
ワハハッ、ソンナモンダヨ !!
でもさ、ヤマサ、
アンタガタ ドコサ ?
ヒゴ サ !!
誰かを嫌うってことは、同時に自分の内側を相手が反映してくれているってことでもあるから、絶好の内観の機会到来、オーライ、バックオーライなんだよね。
ゴーイン ナ ゴロアワセ ダナ !!
そういうところにも意識を向けられたら、なおなお佳いよね。
ダヨネ !!
今日もありがとうご財増した🌈
バイニャラ