gday mateだニャロメ❗
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答えはひとつの形のままではないんだよなー。
物事のひとつひとつを、色んな角度とか視点から見つめることを自分に赦せば、その答えは自ずと広がってゆくと思うのよ。
(それは、植物が根を広げ、深め、茎や枝を伸ばしてゆく姿と重なるような氣がする)
そうなることで、答え(自分)の身動きを抑えていた鎖が解けて、より身軽で、より自由で、より色とりどりの答えの花を咲かせるのかなって。
人間が自由になるってことは、答えをひとつだけに縛らないってことなのかもしれない。
答えに幅を、広がりを持たせることで、心も広がって、やがて自分を赦せるようになって、人のことも赦せるようになるんだよ、きっと。
そう考えると、答えはひとつしかないという教育とかテストとかって、外側の世界に自分を縛り付けてしまうものなのかなって。笑
それもそれで、社会での共存のために必要なのかもしれないけど、内側の世界の答えの無限の広がりを肯定し、楽しむ余裕もあったほうがいいと思う。
尾崎豊さんは
『きっといつか 答えは育むものだと氣づく』
と歌われていたけど、まさしくその通りだと思う。
答えはひとつのままで縛らなくていいし、いくつあってもいい。
そして、答えは変わったっていいんだよ。
それは氣づきを得たからこその変化で、成長の証だから。
答えの数があるだけ、その分 色んな自分がいることにも氣づけるし、色んな自分を味わうことが出来る。
(歳を重ねる、世界が広がるということは、まさにそういうことなのかもしれない)
そのためにも日々を生きることの体験を、一瞬一瞬の生きることの体験を積み重ね、それに意識を向けていきたいなって。
幸せだなあ。
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see ya mateだニャロメ❗
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