母方のほうは、まさかの江戸時代までさかのぼった戸籍が出てきましたw

せめて明治ぐらいかな?とイメージしていましたがまさかの!

 

曾曾曾曾じいちゃん!ひいが4つ!

その名も孫右衛門!めちゃくちゃ江戸時代っぽい!

生まれ年はわからなかったものの

 

のちの曾曾曾(曾3つ)じいちゃんである長男平左衛門が生まれたのが

文政6年すなわち1823年12月7日なので20代前半で長男を得たと考えると

曾曾曾曾(曾4つ)じいちゃんは1820年くらいの生まれ。文化12年。時の将軍は11代徳川家斉。

約200年もさかのぼれました。

ここで、以前母が語ってくれていた事が脳裏によぎる。

『私のほうの片岡家は昔は宿屋をやっていたらしいよ〜』と

そうなるとある程度ご先祖様への道筋が見えてきます。

現在の神奈川県中郡二宮町はお正月の箱根駅伝の通り道

昔でいう東海道ですね。二宮町役場のホームページによると

当時二宮は、幕府が正式に定めた53宿はなかったので宿泊は禁止されていたそうですが

大磯宿と小田原宿の間は16キロ離れていて酒匂川の増水時などには臨時で宿泊も可能で

その後江戸後期には寺社参りの流行と共に庶民が泊まるようにもなっていたそうで

 

こうなると、街道沿いで片岡家が代々、宿屋を営んでいたのかもしれません。

歴史好きの自分にとってはご先祖様との繋がりに密かなワクワクが止まりませんw

 

このまま、しばし片岡家のルーツに迫りながら

次に目指すのはついに籾山家の戸籍がある栃木県足利市へ!

どうやら戸籍は郵送でも取り寄せできるらしい。。

 

ただ!それでは味気ない!という事で

同じ神奈川だし、そもそも実家のあるとこだし

てゆーか小田原勤務の時に寄ればすぐだしw

ということで神奈川県中郡二宮町。籾山生誕の地へ

籾山姓のルーツに胸が高鳴る。。。

 

ネット等で調べると嘘か?誠か?

時は群雄が割拠する戦国時代。当時織田家と同盟を組んでいた

徳川軍が京へ向かう戦国最強の武田軍に果敢にも打ってでて

見事に大敗。。その敗走の際に家康公を籾殻の束に身を隠し

命を助けたのちに〝籾山〟の姓を承ったと。。。

 

ありそうな。。なさそうな。。

 

まぁとにかく、歴史好きな自分としては

エピソードとしては充分!!ここは信じて突き進みたい

 

JR二宮駅につき町役場へと続く坂を登る。。

約12年ぶり。。。

ここで直系尊属をできる限りさかのぼりたい旨を伝え

申請書を提出し待つこと3分

父親の両親の戸籍とおじいちゃんの戸籍が出てくる

〝勝太郎〟勝ち気でかっこいい名前だ

実は父方のおじいちゃんにはひと目もあったことがない

この、おじいちゃんがどんな人だったか興味深々だ。。。

 

ここでふと役場の方に

『母親のほうも委任状なしで調べられるんですか?』と

尋ねると。。出来ますよ!と、では早速とお願いし

 

待つこと6分。。。。

衝撃の戸籍が。。。。。。!?

 

2024年1月5日

 

そんなわけで川崎市多摩区役所の開所初日

1月4日に早速、戸籍を確認しに行くわけですが

区役所に向かう間にも、頭の中には籾山姓の事や

なぜ自分が周りの人より、こうした物事のルーツの事が気になるのか?

そんな思いがぐるぐる。。

ルーツの話は今は答えの出ない話ですが

自身の籾山という苗字についても、もの凄く興味があります

自分の名前だから当然だな。とも思うのですが

日本の代表的な鈴木さんや山田さんは、さほど気にならないのかもしれません

そんな籾山なのですがめちゃくちゃ珍しいかというとそうでもないようです

ネットで調べると全国におよそ5900人ほど

一番多いのが愛知で1300人ほど籾山さんいるらしい

有名人では籾山ひめりさんというアイドルの方がいるとのことで

籾山だけに密かに応援してます。

他にもネットサーフィンを続けていると籾山神社や籾山八幡社、籾山峠など

意外と色々出てくる特に大分県にある籾山八幡社は厳かな感じでいつか行ってみたい

 

 

さて、川崎市多摩区役所にてまずはスタートの自分の戸籍を改めてゲット!

当然ながらあっさりと数分で手渡されたw

そして当然ながら分かりきった情報。

この戸籍情報を片手に後日向かうのは神奈川県中郡二宮町!