今年38になる私が結婚しない理由とカミングアウト | 若尾桂子オフィシャルブログ

今年38になる私が結婚しない理由とカミングアウト



令和婚ラッシュがすごい。
すごい勢いで周りの人達が籍を入れているのをSNSで見かける。
本当に本当におめでたい事です。
令和婚に令和元年ベビー
素晴らしき日本の発展に思いを馳せます。





そんな中、私は今月末で38歳になるのだが結婚の予定がない。


(今日は、真面目に思っていることを書きます。
読んでいて辛くなる描写もありますし、不快に思わせてしまうかもしれません。ごめんなさい。)


見た目が多少若く見えるせいか、歳を聞かれて答えると驚かれて『じゃあ結婚は?』と次いで聞かれることが多い。

してません、と答えると『バツは?』
ついてません、まっさらですと答えると『彼氏は?』
今はいません、と言えば『若い頃に選び過ぎたんだね』『その歳まで結婚できないって事は性格に難ありなんだろうね』などとキツイ冗談を飛ばされる。


確かに私はワガママだし自己中で、空気も読まないし我が強い。性格に難ありなのは確実である。ぐうの音も出ない。


だがしかし結婚をしない理由というものがあるので今日はそれを書こうと思う。



まず大前提で私は結婚してる人達を否定はしない。
素晴らしい人達だと思っている。
自分が為しえないことをやってのける、その姿は憧れである。
だけど私は結婚しない、できないと思う。
子供も産まない選択をした。


私は何度かSNSなどで発言しているが両親に育てられていない。
19そこらで若い結婚をした不良の両親。
私がお腹にいる時に父親は女を作って出ていったと聞いている。手元に1枚だけ、両親が着物を着て他人の格好良い車の前でメンチを切ってる写真がある。
父親の顔はそのガン飛ばした写真のみで、会ったことも話したこともない。
(パンチパーマのリーゼントスタイルで我が父ながら気合入った顔をしていた。
元気か?我が父よ。生きているか?)


更にいうと育ててくれた祖母もバツ2かバツ3、
戸籍上は兄になる叔父もバツ1
当然産みの母親もバツ1
なので私の意識の中に『結婚の正解の形を一度も見たことがない』という根深いものがあるのだ。


小さい頃、お父さん代わりをしてくれていた祖母の恋人がいた。
お父さんと呼んで懐いていた。動物園に連れてってくれたり祖母に怒られて泣いてる私を優しくあやしてくれた。
そのお父さんは何度か性的ないたずらをしてきた。
お父さんの言動は幼い私にとっても不快で不思議で、ついに違和感マックスになった日の朝思いきって祖母に言ったところ、
【お父さん】は二度と私達の家にやってこなくなった。


その時私は捨てられた、と思った。
私は幼いながらに二度、大人の男の人に捨てられたと思った。
自分という人間は男に大事にされないのだなぁという刷り込みになったのだと今になって思う。
同時に、あれは母がろくでもない男から自分を守ってくれた結果なのだと理解できる。


思春期に入り反抗期を迎え、祖母との壮絶な喧嘩を繰り返し
乱暴に出生をネタバレされ自力で調べ尽くして自分が祖母の実の娘ではないと知った。ネタバレ大反対。
20歳になったら全てを話すという約束で実母と祖母の間で契約していたそうなのだがその契約を軽々と破ってのけた祖母の愚行に後に実母は激怒し冷戦期に突入したそうだ。


今は私自身祖母とも和解し、離れて暮らすけど時折電話をかけて生存確認したり舞台を観に来てくれたりしている。

歳をとるたび背が縮んでコロコロして、なんとも可愛いオカンだなぁと思っている。
元気に長生きしてほしいし楽しく笑っててほしい。
よくぞ育ててくださった、ありがとう、私のお母さん。


思春期に話を戻すとその時更に、幼い頃私が義父に何をされたのか理解して男性嫌いになった。
でも何だかんだ同年代の男子と恋愛はできたのでその辺は私の心が鈍感だったおかげなのかもしれない。

20代までは男性と密室で二人きりになるとゾワゾワする時があったと思うが、30代になって段々その感覚は無くなっていったように思う。
今はほぼ平気だ。
年齢を重ねたことで自分が性的に虐げられる対象じゃなくなったと感じる事ができたからかもしれないし、クソだったのはあの男だけで周りは良い人だとちゃんと理解できたからかもしれない。
だけど性犯罪者のニュースを見るといても立ってもいられないほどに怒りがこみ上げる心のシステムは変わらない。
そういう事に巻き込まれそうな人がいたら全力で守りたい。
犯罪者は滅せよ。


話がそれたが、私はとにかく結婚に夢を持っていないのだ。
そして、疲れてしまったのだ。

『親が離婚した子供は自分も離婚するって言うよ』
『正常な愛を受けてないから将来子供に虐待するんじゃない?その時はお前を捨てて子供と逃げるからな』
『桂子が子供を育てられるとは思えない、不幸にすると思う』

付き合った男やその家族、友人から実際言われた言葉。

そういう言葉と戦うことに私は疲れたのだ。



子供は日本の宝だ。
私が産まない分、産める環境にある女性達にはどんどん産んでいただけたら…と願ったりもする。
赤ちゃんが泣いてても、それが仕事だからじゃんじゃん泣きなさいなと思うし妊婦さんを見つけたらできるだけ助ける。
暴走するベビーカーママに轢かれたことが何度かあるが、仕方ない。あちらは宝を乗せているのだ。赤子様々である。

私は子供は産めない。産まない。
産んじゃいけないと思っている。


なぜかというと自分は発達障害だからである。

昔から忘れ物や遅刻が多く、言われた言葉を忘れてまた同じ失敗を繰り返し周りから嫌われるところがあった。
優先順位がわからず、今それやらなくて良いから!と周りに怒られるまで自分が決めた作業を集中してやっていたりする。物音には異常に驚き、食器のガチャガチャいう店内やガヤガヤ話し声がする飲食店などでは目の前の相手の声よりも周りの雑音のほうが耳に入って来てしまい全く会話にならなくなる。電気屋に行けば真っ白な光の洪水、色んな音、目が痛くなって吐き気を催し脂汗が出る。
計算が苦手で固まる。急に一人の世界に入って周りの音が一切聞こえなくなる。予定していた事が急に変わるとパニックになる。詳しく説明なしに急に段取りを変えられると頭の整理が追いつかずパニックになる。片付けが大の苦手で何から手を付けて良いかわからず途方に暮れる。支持を的確に出して貰えれば動けるが自ら何かをテキパキするのは全く駄目。

数年前、ひょんな事から自分はもしかして発達障害というやつではないか?と気づき発達障害の診断をしてくれる病院に行った。
何度かテストやカウンセリングを受けた結果出た診断では私はいわゆるアスペルガー症候群、ADHDを両方持っているそうだ。

どうりで色々と人ができることができなかった訳だと納得した。
「何でこんな普通の事があなたにはできないの?」と人に言われ続けた原因がハッキリしたのである。
仕方ないじゃない、脳に先天的に異常があったんだもの。

色々なことに合点がいった。
発達障害と診断されて、障害者手帳も貰えると聞いて、ああ私は障害者だったのだなぁと驚きつつも何だか非常に腑に落ちている自分がいた。

対策をたくさん調べた。
忘れ物をするならばメモを色んな所に取る
ホワイトボードにしばらく1日の流れを書くようにした
遅刻癖も時間の管理ができないのが原因なのがわかったから細かく行動のアラームをかけるようにした
周りにも徐々にカミングアウトをし、申し訳ないけど私はポンコツなので助けてくださいと甘えるようにした
少しずつ、自分を認めて発達障害な若尾桂子を生きようと決めた。



『障害のせいにして言い訳しないでほしいんだよね』
『そんなの、誰にだって当てはまる事じゃん。私だってよくあるし。発達障害って何でも病名つけて甘えてるだけでしょ』
『治るんでしょ?努力次第でしょ?大丈夫、あなたは正常だよ』


これも実際、友達だと思っていた人達に言われた言葉である。
まぁこれに関しては良かれと思って言ってくれた事もあるだろうし、こんな言われ方する私の人間性にも問題があるのだがしっかり傷付きはした。

治らないんだ、病気じゃなくて障害だから。
アスペ乙wwwなんて煽り文句をつい最近までネットで見かけていたし、
飲み会の席などでその場にいない誰かに対して、あの人頭おかしいんだよ絶対アスペだよなんて悪口言ってる人もいた。

どうか一度、発達障害ってどんな障害なのか調べてみてほしい。

色んな症状があるのだ。
色んな人がいるのだ。

軽度から重度まであるし、人それぞれ特性が変わる。
神様がくれた個性だよ!誇って良いよ!なんて言って励ましてくれようとした人達もいたけど
自分を受け入れるまではその言葉も綺麗事に聞こえた。
今は、集中スイッチ入るとものすごい勢いで書き物ができたり台詞覚えられたりするのラッキーだなって思えるようになったから私の個性だと開き直れる。


発達障害は遺伝する可能性がある。

思い返せば祖母は私以上に片付けられない人だった。
空気も全く読まずに言わなくて良い事までバッシバッシ言いまくる人だった。
きっと祖母もそうなのではないか、私は思っている。

遺伝するかもしれないし
遺伝しないかもしれない
遺伝したとしても小さい頃から療育をしてその子が生きやすくなるように育てて導いてあげれば子供は苦労少なく生きていけるかもしれない

実際に親子で発達障害の方も知っている。
立派に子育てをして、子供さんもとても優しく素直に育っている。
発達障害だから子供を産んではいけないなんて間違っても思っていないのはわかってもらえたら嬉しい。
そんな訳ない。

だけど私は駄目なのだ。
自分が一番可愛いのだ。
自分を育てきれてない私が、子供をもつ覚悟がないのだ。
良い父親がいれば支え合って子育てできるのでは?という意見もあったが、それに対してはそんな素敵な男性を選ぶのも選ばれるのも自分には無理だなぁと思った末に、ほとほと疲れてしまったのだ。

結婚に夢を見る事も
結婚に関する生い立ちのマイナス面をいじられるのも
私を捨てずに一生一緒にいてくれる男を探すのも
遺伝するかもしれない発達障害に悩むのも
今の私には、抱えきれない。


だから私は結婚はきっとしない。
いや、いつかはするかもしれない。
同じお墓に入れる人と添い遂げたい、その思いだけはあるから。

ただ、子供は産まない。子供の為、自分の為に産まないと決めたのだ。

決めた事だから周りに慰められても説得されても、産まないとしか言わない。
なんなら、全然子供嫌いじゃないくせに「嫌いなんですよね子供ってうるさいじゃないですか~」って憎まれ口叩いてみせたりもする。
冷たい女だと思われても良い。
ただただ、そっとしてほっといてほしいのだ。
本当の事を伝えるのは疲れる。



なぜこんな事をつらつらと書いたのかというと
ショックな事があり、それを消化しようと頑張ったのだが消化しきれなかったからだ。


今年の流行りでゆるっとしたワンピースがある。
可愛い、と思って購入して気に入って着ていた。
女性には大好評だった。

だが男性達のいる場へいったら
『妊婦に憧れてるからそういう服着てるんですよね?』と冗談を言われた。

は???何言ってんだこの人??と思ったが、その人自体は嫌いなわけじゃないしいつもの事だからなーと笑って誤魔化した。

そういうふうにいじられる原因を作ったのはそういうキャラ作りをその環境でしてきた私自身なんだろうし。


それから何日かして、妊娠検査薬が小道具として届いた。
今度は若手の後輩を使って『若尾さん、これプレゼントです』と妊娠検査薬を渡された。

さすがに冗談で済まないと思い、これに対しては後日話をした。
私は子供を産まないと腹をくくっているが、これがもし私が今現在結婚をしていて一生懸命不妊治療をしていたら??
私はそんな発言をした人間たちを一生許さないだろう。


若手の後輩本人にも、あれは先輩にやれと言われたのはわかっているが世の中には色んな事情がある人もいる。想像力を働かせて、先輩の命令だとしても自分の心でやるやらないを決める強さを持ってほしいと諭した。

仕事が終わって日にちが経った今も、あの冗談を許したその場にいた全員に対してのガッカリ感がある。
怒りというよりガッカリだ。

許してはいけない事を許さない人であってほしい。



想像力を持ってほしい。

自分の好きな人、上司、姉妹、大事な人に同じ事をできますか?

逆に言うと私自身、誰かに対してすごく不快な冗談を言ってしまった事があると思う。
傷付きながらその場の空気を読んで笑ってくれた人達が絶対にいたと思う。
本当に、本当に気を付けて発言しなければ…と改めて思った。

誰かをいじるということは、愛がないといけないと私は思っている。
その人に対してのリスペクトと愛があってこそ、その人を美味しくするいじりが成立する。
愛がない笑えないいじりは虐めでしかない。

ただ、そのいじりをした人も私をいじめようなんて微塵も思ってないのはわかっている。
楽しくしようと頑張って空気作りをしてくれた結果、冗談を言ってはいけない相手をいじってしまっただけだし、その人が過ごしてきた環境ではその冗談はとても面白いものという価値観だったのだ。
価値観の違いだ。


だけど。
冗談にしてはいけないラインがあると私は思うのだ。

結婚、出産について私はこれからも色んな人に色んな事を言われるだろう。
その度に全部を説明するのは重たいので、血も涙もない鉄の女としてキャラを作って生きていこうとさえ思っている。


このブログを最後まで読んでくださった方には、こんなふうに生きてこんなふうに考えてる一人の女がいるということを心の片隅に置いておいてもらえたら嬉しい、その思いだけでこんな長ったらしい支離滅裂な自分語りを書いてしまいました。

色んな人がいて
色んな育ち方をして
色んな傷を乗り越えて生きている

想像力を働かせてほしいです。
新しい時代に、なるのです。
作っていくのは私達。

私も想像力を持って生きていけるように一生懸命精進します。