こうして、片手ずつ、ポン ポンの一音のみのレッスンは数ヶ月続いたある日、やっと次の段階へ。
おーいよいよと思いきや、次は両手で叩くが、その両腕の上には長い一本の棒が置かれ、その状態で太鼓を叩くと言う練習が始まった。要するに腕を上げず、力を入れず、手首のスナップだけで叩くと言う練習だ。
もう、こんなんで音が出る訳はないよーと、心の中で叫びながらも、頑張り、また数ヶ月 続いた。
確かに、腕をいっぱい振りかざせば、動きが大きくなるから、早いスピードで叩くのが大変になるし、長時間叩くと疲れる。
実を言うと私にはこのニューヨーク時代、最も大切な友人がいた。彼女はアメリカンインディアンのシャーマンを祖母に持つオースラリア生まれで、子供の頃から学校に行かず、オーストラリアのイボリニージ達と一緒にキャンプを回っている人で特殊能力?があって、いろんな見えない世界が見える人でもあった。私が彼女に、自分の先生のことを話すと
”彼は10年以上かかってやっと、わかるようなことをあなたに今、教えている。あなたにとっては一生の師となる人。今はわからなくても彼の教えの凄さは将来 きっとわかる日が来るから。”
そして、 1年が過ぎる頃、、、。
”ケイコ、レッスンはこれで終わりだ。
自分が教えることはすべてお前に教えた。”
”えぇー先生、でもまだいろんなリズムを教えてもらってません。”
”リズムは後でいつでもどこからでも学べる。
これからはお前がお前の師となって行くだけだ。
この道をまっすぐ進めばいい。
後は力尽くで手をガンガンふって叩くなよ。”
こうして、約1年の先生とのコンガ修行?に終止符が突然、打たれた。
終わってみると、まるでコンガ道を師匠について修行したと言う感じだ。日本に武士道をはじめ、柔道、剣道、弓道、茶道、華道などに通じるものに、きっと何か通じるものがあるような。
その頃、私のが住むローワーイーストサイドの地域は治安がさらに悪化して、サイレンの音や発砲する音。毎日、誰かが殺されたりで、私自身も精神的に参っていたが、先生とのコンガレッスンのため踏みとどまっていた。
マンハッタン クリンアップ作戦、(貧乏人追い出し作戦?)が繰り広げられていたのだ。アパートなど放火され、その後新しいビルが建ち、家賃を値上げして、貧乏人を追い出す。そして我々の溜まり場のライフカフェも閉鎖され、取り締まりが厳しくなると同時にそれに反発する人々が暴動みたいなことを起こし、それをまた強引に鎮静すると言う悪循環が続いていた。
そろそろ ニューヨークを出る頃だろうと思ったいたので、このタイミングで約4年間のニューヨーク暮らしに終わりを告げ、
日本に戻った。
帰国してすぐ東京でサルサのグループとかライブを見に行った。その時だ!
もう私の耳は完全 以前とは違い、別物になっていた。
なんかもう耳が別次元なのだ。
先生の教えの素晴らしさが実感として、わかった瞬間だった。
そうだ、何事も基礎、土台、植物の根、家の土台、あるいは人の核となるもの 自分軸?
見えないものこそが肝心で一番大切なんだ!
そこがしっかりしてから
すべてのことは始まるのだ。
私はコンガを通して大切なことを教えてもらったのだ。
そして、やはり私の選んだ目は確かだったと自分の直感を信じることが、さら強まり自信となった。
そんな訳で耳は自信を持って良くなったが、
テクニックがなーと言う訳で太鼓修行はまだまだ続くのであったーーー