★どの時もこの自分の目と耳で生の音を聴いて、これだと思ったものに対しては、まっすぐに何も考えず、ただそれに向かって突き進み行動してきた。

 謎のカリブの島でコンガをやる決心をして帰国。東京でコンガを習い始めた矢先、女のその細い腕じゃ無理だと言われ、なんじゃそれーっガーン と怒り、それなら一流のコンガ奏者がいっぱいいるニューヨークに行って 有名なコンガ奏者の弟子になってやると再び、日本を飛び出しニューヨークへ。✈️

 

 その頃、ニューヨークではサルサやラテンジャズなど週末となればいろんな所でライブが見れたので、行きまくった。

コンガ奏者の名前をあげるだけでも Ray Barreto, Patato Valdes, Mongo santamaria, Daniel Ponceなど他にもいっぱい、もうほとんどの有名コンガ奏者を見尽くし半年が経った。その誰もが素晴らしく上手い。しかし、自分がこの人と思う人はいない。困ったと、思っていた頃 無名ではあるがキューバ人のコンガ奏者のライブを、何気なく行ったら、これが感動もの! ライブ会場のドアを開けた途端、飛び込んできたのは

    美しい太鼓の響きびっくりマーク

 

 そして、手の動きはまるでさざなみのように全く力みがなく柔らかい。太鼓は力いっぱい叩くものと思っていたから。これにはびっくり!しかも、バンド全員はもちろん マイクを通しているが、彼はマイクなしでコンガを叩いている。

   もう、魂が打たれた感!? 

   一瞬で、この人の弟子になると決めたメラメラ

 

ライブ終了後、早速 楽屋に行って、直接 談判だ。

 ”私はあなたからコンガを習いたい。お願いします。”

 ”そうか 君はコンガを習ったりやったことがあるのか?”

 ”いや 全然 ありません。全くの初心者です。”

と、言うと、彼から電話番号が書いてある紙を渡された。

   

    これが自分のコンガの師 

  ROBERTO   BORRERO氏との出会いだった。

 

  その時、もちろん少しでも叩ける経験者の方がいいだろうと、思っていた。すでにしっかりできてる上にさらにうまくなる為に日本からはるばるニューヨークくんだりまできて、一流プレイヤーに習うのが常識というものだ。

 やったこともなく、全くできない私がいきなりである。ショボーン

と、その時はそう思っていたが、その何十年後、自分が教える立場になって初めてその意味がわかった。

 

 基本、土台に混ぜ物は偽物はダメと言うことなのだ。その人の核、軸になるものは一番大切と言うこと!

 そして、私はこれからブロンクスの先生の家に週一回通う日々が始まるのであった。