もう随分、前のことだが、ニューヨークからサルサ界の大御所、Tito Puente(ティンバレス)とCeria Cruz(歌手)のバンドが、斑尾ジャズフェスティバル出演した。その時、サルサに詳しいスペイン語の通訳を探しているという事で私にその仕事がやってきたのだ。まさに奇跡だ!
スペイン語はプロの通訳の人には全然叶わないが、サルサに関してはまかさんかい!
その頃、日本の一般市民には、サルサって、なんのこっちゃ?の時代であったのだ。
最初の仕事は飛行場にお迎えに行って、彼らをホテルまで連れて行くと言うことだった。
そして、空港から出てくる彼らを見た途端、
えぇぇぇっーー!! バックバンドの人達、ほとんど知り合いじゃん。
”あれー、ケイコじゃないか。こんな所で何してるんだ。”
と彼らも私もびっくりの再会だった。ニューヨークでライブ行きまくっていたので多くのミュージシャン達と知り合うことができたのだ。
”彼女はコンガをニューヨークで学んでいて、でもって、ブロンクスだろうがどこだろうが危険顧みず、夜な夜な一人で来るんだよ。踊りもうまいよなー。”
とか、言いながら、ホテルに着くまで、車の中でメンバー達が TitoとCeriaに、そう 紹介してくれた。
”お前が通訳ってか!? それより なんかやれよ。”
”そうだ。お前、シェケレ(チェケレ)できるんだよな。”
えっ、そんな簡単なノリで言われても できる訳ないじゃんって思っていたが、とりあえず持って行くことにした。
当日、インタビューやら、色々の通訳としての仕事も終わって、さーゆっくり、本番のコンサートを楽しもうと
広い会場の芝生に寝そべりながら、待っていた。
ステージでは演奏が始まった。さすが すごすぎるーと見ていたら、途中、いきなり Tito puenteがマイクで
”Keikoはいるか、シェケレを持って、今すぐステージに上がってこい。”
ええー!?私のこと?まさかー! 何度もKeikoと呼ぶ声を聞いて、確かに私だよなーと、急いで楽屋からシェケレを持ってステージに上がった。ぶっつけ本番だ。
いきなりアフロクーバのリズムが始まった。2、3曲続いて終わると、Tito Puenteはステージ上で
”うちのバンドのメンバー keiko―“
と、紹介してくれた。
次の日の夜、ジャムセッションと言うことで、Tito puenteバンドは トランペッターのマルタをゲストに迎えた。もちろん ラテンジャズだ。何曲か彼がトランペットを吹いた後、ピアノの上にあった クラーベを手に持って叩こうとした瞬間、Titoが、手に持っているクラーベを彼の手からとって、もとの場所に置いた。つまり 叩くなと言うことだ。
クラーベはサルサの基本のリズムを打つ。2本の木の棒?を2.3のリズムで叩くといたってシンプルに見えるが、実は奥が深い。クラーベの音質ももちろんだが そのリズムでバンド全体をリードしていく。
どんな楽器をやる人もまず このクラーベのリズムを習得しないと楽器は触らせてくれない。それを習得するのに3年はかかると言っていた。(まあ アフリカ人もラテン人も大袈裟やからなー🤣 まあそれくらい重要と言うことだ)
私がシェケレを振っていると、Titoが隣に来て、”これだ。これだ。ケイコ”と、言わんばかりにガンガン 彼の迫力があるイキイキとしたリズムが押し寄せてくる。そのパワーはすごい。そのリズムのグルーブは私を包むようで、その中に入ると自分もどんどんできるようになる。共鳴と同じだ。一つのものがある音を出すとその振動でもう一つのものも同じように振動する。そんな感じかな?
その人の発するエネルギーの大きさとかオーラみたいな 見えないエネルギーが、とにかくすごいのだ。
そう言うものは師と弟子のように、人との対面で身体的なものを通してでしか学べないように思う。
そして、フェスのライブ以外に東京の赤坂だっけのライブハウスで、最後の演奏をした。その日、Tito puenteは、
私を呼び出し、大切な話があると言う。いきなり 彼は着ている白いシャツの前ボタンを外し、バッと開けた。
”ケイコ、これがなんだか知っているな。”
そう 彼の首に何重もあるビーズのサンテリアの首飾りがかかっていた。そうか、Puenteはサンテリアだったのかー
”いいかーよーく聞けよ。シェケレはサンテリアでは重要な役目をしている。神々を呼んだり話したりする。それをしっかり心に刻んでおけ。わかったか。
”シンプルなものほどディープなのだ。”