そろそろカリブ海の話も飽きてきただろうから、ここは、ガーンと飛んで、パリ フランスでのことであります。
あと、今までの記事を読んでくれたあなた、ひょっとして

 “アフリカは貧しいけど、心は豊か。子供達のあの笑顔に癒

 される。ここにはお金より大切な何かがあった、、、。” 

てなヒューマンドキュメンタリー的な思いを私が持ってるなんて思ってないでしょうね。チュー ここは、はっきり言う!  

 ”世の中、金!金が一番じゃーびっくりマーク” と、言うお話です。

 

 アフリカはコンゴへ、”Papa Wemba&Viva La Musica"

の1ヶ月半の怒涛のようなコンサートツアーから、パリに戻った時のことだ。戻ってきた直後は、元気、りんりんだったのに、3日後、急に熱が出てきた。暑い国からいきなり2月の寒いパリに戻ってきたのだから、風邪でもひいたかくらいに思っていたが、高熱を出したことのない私が38度近くになり、ついには意識朦朧でフラフラになってきた。見るに見かねた友達が、医者を呼んでくれやってきた。

 ”これはマラリヤに違いない。しかも かなり進行している”

と、即、救急車を呼んだ。待っている間、医者は部屋に貼ってあるPapa wembaのポスターを見て、

 ”そうか 君はパパとこのメンバーでキンシャサから戻った

 ところか。日本人がいるなんて珍しいなー。すごいなー。”

と、余裕の笑顔でニコニコしていた。私も内心、”おーこの白人医者がpapa wembaのこと知っているんだ。すごなー”と嬉しかったニコニコ (フランス人の好きなところは何事にも深刻になりすぎないところだ。)

 そして、私を運ぶ救急車は、サクレクール寺院を回り、モンマルトルの石畳を猛スピードでサイレンと共に走り抜けた。こんな観光地、日本人が救急車で回るなんて私ぐらいに違いないな。フッフッフと思っていたら、着いたー。そこは、18区にある L'hopital Bichat  なぜかそこはポリスや頭のおかしな患者がうろついていて(ひょっとして、すでに幻覚が見えていたのかもしれない?)おーさすが過激な18区と思っていたら、”すごい沢山の虫(原虫)がいる”と言う声が聞こえたのが最後、完全に意識がプツンと切れた。それから8日間、生死の間を彷徨っていたらしい。意識が切れた時はすでに心臓がストップして、蘇生病室(集中治療室?)に運び込まれ、私の体には人工呼吸器やら心臓動かす装置?やら点滴やら なんやらかんやらいろんな線や管が張り巡らされた。それから約2週間は、意識が全くない言わば植物人間、いやマラリヤ人間?

マラリヤはマラリヤ原虫が蚊を媒体として、人間の赤血球に入る。普通、この原虫が28%で人は死ぬらしい。私は48%!半分じゃんびっくり危篤状態で死ぬ確率は98%(なんか 中途半端な数字やな)で、日本にいる母がこの連絡を受け 飛んできてくれた。(おかーさん ごめんなさーい。ありがとう。えーん

 しかし、私はこの繋がれた線や管を片っ端から剥がし、もがき、その度に警報機を慣らし、看護士がやってくるのを繰り返していた。時々、うっすらと意識が戻る時がある。警報機の音がうるさい。何か飲みたくても、声が出ない、体が動かない。ギャアーえーん! しかし、私はその間、ずっといろんな所に旅をしていた。そして、私の右隣の病室にはスキーで骨折したジャマイカ人がいて、左隣の病室には動物園から逃げ出した時に体を負傷した大きなゴリラが入院していた。夜になるとここで働く男女の看護士達は楽しくサルサを踊っていた。そして廊下では 私が水をくれ〜 アイスクリームをくれ〜と言っているのに意地悪な医者は今は無理だと言ってくれないので、沢山の猿達が外から応援に駆けつけ、彼女に水やアイスクリームを与えろデモをやってくれていた。また、ある日、2階の会場でTito Puenteのバンドのコンサートがあり、私も共演 頼まれたので、今から練習しないといけないので、スティックを貸してくれと言った

  ”あーあれね。残念だが、あのコンサートはキャンセルに

  なったらしいよ。”

と、告げられショックだった。(実際、私はTito puenteのバンドで2夜だけメンバーとして共演した。歌手はSeria Cluz。これはほんとの話しニヤリ

そんなかんだで、脳波のテストが行われた。(らしい)

”異常なし、変わらず問題ない”と出た。(らしい)

友人達曰く、以前から異常だから 前と変わらず異常だから問題ないんだろって。口笛 

 

 よくテレビのドラマのシーンで見る、死にかけてるところ 医者が心臓マッサージするやつ、あれをどこかのタイミングでやられたのだけは覚えているが、いつなのかわからない。

 その時、私の場合、三途の河ではなく、緑が美しいジャングルの中の運河を渡っていた。その気持ちよさと言ったらない、これぞ天国と言うほど気持ちがよく安らかなのだ。その運河をボートで渡っていると、遠くから声が聞こえる”レスピレ〜〜” (息を吸ってー吐いてー)ふと気がつくと男の人が自分の胸元を手のひらで強く押しながら、そう叫んでいる。なんだこれはー。うるさいなーと思いながら、再び緑のジャングルの海へ〜気持ちいい〜。最高じゃ〜。なんか海の水がカルピスのように白いよ〜。と、また”レスピレ〜~”の声が聞こえる。そんなことを3回程繰り返され、3回目にハッとここ現実に戻った。

 ”はっキョロキョロ ここはどこ? 私は誰? ところであなたは

  一体誰?”

こうして、私は、生き返ったのであった。めでたし、めでたし、なんて終わるはずはない。考えてみたら、私はヨーロッパ、アメリカはもちろん カリブ海諸国、南米、アフリカなど随分遠いところまで行った。その数は60カ国を超える。それに飽き足らず?ついにはあの世の一歩手前まで行ってしまった。そう、あの世に行くのは死ぬまで取っておこう。昇天

 

 ある日、院長先生がやってきて、奇跡的な回復力、素晴らし!とお褒めの言葉をいただいた。

 ”なら、先生、一等賞とったんだから、賞金とかなんかちょ

 うだい。ジュース1ダースでもいいから なんかくれー!”

 その日のうちに担当の医者と看護士は私を担架に乗せると、院長先生が、”まだ早すぎる” と言うのも聞かず、集中治療室から個室のある病棟へ移された。オイ オーイ、、って。えー 

 こうして蘇生病室から普通の個室に移された(追い出されたのかもしれないな?)のはいいが、だんだん意識が戻ってくると、本領発揮で文句タレのうるさい患者となっていく。いやあっちの病室からしてうるさかったか。

まずは病院食が気に入らない。最初の日からこれだ。今日のメニューは”鶏肉のバター焼きもどきとマッシュポテトのなんちゃらソースがけにめっちゃ甘いヨーグルト”って、さすがフランス、病院食までフランス料理かーってびっくり まあ当然と言えば当然だが。しかし、えーっ いきなりですか、これ?

 ”いやいや ながーい間 何も食べてないのに、胃もたれの

  前に普通、食べれんだろ、こんなしつこいソースとか、私

  は東洋人だ。初めはお粥とか梅干しとかそういう胃にやさ

  しいものからスタートだろが!!” 

(フランス人の嫌いなとこはこうやって何も食べてなかったからこそ、今こそ栄養をー!と言う考え方だ!😅)

しかし、この部屋に移ってからは人の出入りが割と自由になったので、見舞いに来る友人とかに食べてもらったりしていた。じゃないと見回りにくる看護士に食べてないと怒られるのだ。でもお母さんが日本から飛んで来てくれていたので、近くの私のアパートで梅干し入りお粥を作ってもってきてくれたので助かった。お母さん ありがとう飛び出すハート 

 そして、リハビリと”私はもう充分元気だデモストレーションを兼ねて、点滴をつけた棒を引きずりながら、ゆっくり、歩いて自動販売機がある所まで行って飲み物を買うのが日課だった。そこに行くと必ず隣の病室の仲良くなった陽気なコンゴ人もいるのだった。彼はバイク事故で足の両指を切断したので、車椅子でやって来ていた。毎回、そこで会うと ”お金ないんだよ。ジュース飲みたいからおごってー”

 まったくーこんな所に来てまでも、コンゴ人にたかられるのかーえー(このコンゴ人は幻覚じゃないよ リアル リアル! リアルにたかられていたから。)

 とにかく、1日でも早く退院したい私は、看護士が点滴を取り替えに来るときは、”もうこの点滴は要らない落ちる度に頭がズキンズキンする。頼むから外してくれ”と訴えるも、

 ”まだ 早い” 

 ”いやいや、本人がもう要らないと言ってるんだー。はずぜ

 ーびっくりマーク” 

もういい、こうなったら、あんたじゃ らちがあかん。院長先生とこまで行って直接談判しに行くわ。と、また点滴棒をズルズル引きずりながら一歩一歩かみしめながら、院長室に向かう。

  ”先生、この点滴外してください。もう私は元気です。な

  んなら、すぐ退院させてください。お願いします。”

  ”君、何を言ってるんだ。まだ早い、充分に体はよくなっ

  ていない。”

  ”はぁ?またまた そんなこと言って、ハハーン、わかっ

  た。そうやって、入院費を儲けようとしてるんだな。聞け

  ば あそこの個室は1日、3万円(日本円で)もすると言

  うじゃないか。とりすぎだろ、ここは高級ホテルか?

  陰謀だー。もう治ってる患者をまだ早いとか言っちゃっ 

  て、金儲けする気だな。陰謀だー!わーわームキー

  ”まったく 君は一体 何を考えているんだ。金と命と

  どっちがっちが大切だー! 

”はい、もちろんですびっくりマーク ”

 

 翌日 看護士がやってきて、”今から退院です!” と言って担架に再び私を乗せ、階段を下り、出口から、外に出した。

(フランス人の好きなところは、個人の意志を尊重してくれるとこです。爆  笑

こうして、25日間の務所暮らし、もとい、病院暮らしの幕が閉じた。おーついにシャバだー!久々の外の冷たいパリの2月の空気が身体に染みいるぜいと言う気分だった。 

 

 ここで働く医師達のおかげで私は一命をとりとめた。本当にありがとうございました。あと、陰謀者呼ばわりしてごめんさい。そんな思いで病院の門から出て、深々と頭を下げた。

  人生はドラマだびっくりマーク

 テクノロジーなんかーとか、西洋医学なんかーとか、金なんかーとか、、、もう言いません。

 

 ★この世にあるものは全てコインの表と裏があって初めて存在するように、月と太陽、善と悪、金持ちと貧乏、生と死、病気と健康、、、+とーがあって繋ぐとエネルギーが流れるように。どちらもあって成り立つ。

 争いがあるから平和のありがたみがわかる。

 不幸せがあるから幸せを感じる。

 悪者がいるからスーパーマンやドラエモンが活躍できる。

    

 世界は逆転する。つづく、、。