ンジリ国際空港に到着。雨季にも関わらず、いきなり、この日は35度の熱さ。灼熱の太陽が頭上で燃えている。約8ヶ月振りのキンシャサだ。

 

空港から大通りを抜け、街に入って行く。人と車とバイクでごった返しのデコボコ道は大渋滞。相変わらずのゴミバケツをひっくり返したような街だ。今回はカビラ大統領が任期をとうに過ぎているのにそのまま居座り選挙をしないということに対し抗議デモが大きく発展して暴動を数回繰り返してる。戦車は出るわ発砲はするわ多数の死者は出るわ。争いがひどくなっている。

”お前 何も今行くことはない。落ち着いて治安回復したら行けばいい。今はいくな。”

と何人の日本在住のコンゴ人に言われたことか。しかもアメリカ人はとっくの昔に国外に逃げている。大使館やJICA関係者などの少ない日本人も国外避難の命令が出された。でも治安なんていつも悪いし、いつ落ち着くかなんてわからない。なので、暴動の合間をぬって行くと決断決行。後は現地の奴らが守ってくれると信じて。

 

Lemba terminusに向かう。見慣れた懐かしい風景に喜んでつい写真をポロっと撮ったらポリスに捕まった。狙われていたようだな。またしてもかと自分の不覚に反省するももう遅い。当然、そのままLembaの警察署に連行だ。電話が鳴る。”keiko どこにいる?” ”lembaの警察署。””なにー!?とにかく すぐ行くから待ってろ。” ごめんなさい。久しぶりの再会が警察署からとは、、。

結局、lembaでは ジュピターは大スターで、ここはジュピターの友達だからと無事、解放された。賄賂払わなかったのは後にも先にもこの一回限りだ。ジュピターのうちに行くと新しく描き直された壁の絵と裏に出来た小さなスタジが、今年、新しく再出発の意思が伺える。キンシャサ第一日目はこんな感じのスタートとなった。

 

 Jupiter&okwess の新しいスタジオでこれから始まる世界ツアーに向けてのリハーサルが行われている。外で音楽聞いてこんな感じでみんな踊ってる!

プロレスラーの取材をしていると、毎日がまるでキンシャサゲットツアーしてるみたいになってくる。この地区の名前なんだっけ?誰かわかる人?っていないかー。ここもかなり奥の方まで歩いて行ったな。でも確かにこのようにゴミだらけで汚いのだがアメリカやヨーロッパの都会のゲットーのような陰湿なムードは感じられない。カメラマンには ゲットー専門のコーディネーターですかと聞かれるしまつ。いやいやコーディネータでもなくゲットー専門ではないがただ気がつくとどこに行ってもゲットーにいるみたいな!?

 

キンシャサのおもしろいのはこんな汚く貧しい所でもセンスのいいお洒落をしてキラッとしてる若者が多いことだ。さすがフランコフォン お洒落はヨーロッパじこみかというところか。しかし、キンシャサの街は大使館や企業が立ち並ぶいい地区以外はほとんどがゴミだらけである。特に不燃物、ビニール袋は土に帰らないのでどうしてもこうやって土をビニール袋は合体して道は盛り上がって行く。ひどい場合は発酵して煙を出している所もある。これが河に流され海に行き着き、汚染されるという問題も引き起こしている。昔はバナナの葉っぱかなんかだったのにビニール袋になったおけげで問題だ起きる。こういう場合はビニール袋を処理する技術とか道に捨てないとかそういうことも一緒に進めていかないと、こうなってしまう。

 ここは今の世界の状況のひな形のようだとも思う。私利私欲に走り続けた結果が今の世の中だ。ここまでこないとわからないのかと、、、。

 ”他者や社会の汚れを批判ばかりしてても始まらない。新しいスタイルや、生き方を示し実行することだ。キンシャサの彼らのように過酷な状況の中でもお洒落して自分をイキイキさせ、正気を失った世の中に息吹を吹きこむのじゃー。”

 

 kinshasaの平均月収は3千円くらいと言われている。(桁違いの金持ちも沢山いる) お隣のコンゴのブラザビルでも3万円らしいが。それでも仕事があればマシな方だ。だから外人が歩けば、超むかつくが(苦笑)金くれ合戦が止まないのもわかる。私も昔、コロンビアで全財産盗まれ、所持金ゼロになり、小屋を作り、自給自足生活をしていた時期があるから。今ではいい経験したと思っている。話を戻そう。 

ウランがあってもレアメタルがあっても、豊富な資源があって、それらを売っても 毎日の停電や断水、毎日 腹を減らしているのは何故だ!

 

 よく思うんだ。例えば日本で原発反対運動をする。(もちろん 私も反対だ) しかし、スマホ パソコン 自動販売機に 自動改札、、etc みんな その電気の恩恵を受けている。今までも今もその恩恵を受けながら 反対だけはする。問題は原発だけじゃない。いろんな問題に対し反対ばかりしてる人達 、言ってる事は正論と思うし、反対運動が悪いと言ってるのでもない。しかし、例えば、そのせいで経済が回らなくなって、給料が減ったり、物価が上がった 自分の生活が苦しくなったとする。なったらなったで、社会が悪いと文句んを言う。昔の日本のように、あるいはここキンシャサのように、そんな生活が耐えられるか。これは極論だが。社会や政府、人の悪い所ばっか探してそこだけを取り上げ、いつも腹を立てている。

病気も悪い患部だけみるだけでなく、体 心も含め、全体を見て、根本の原因を見ないと解決にはならないのでは? と私は思う。今 世界は 地球は深い病にかかっているように見える。

 

 キンシャサばかりでなく、日本も含め 世の中は闇だ。その闇の中で光りを灯さなければ ずっと闇の中のままだ。一人一人が灯りとなれば ちょっとは社会も明るくなるのでは?と、キンシャサの街でみんなを見てて思ったり、、。

2017.4.24