なんと、式部塚について、現地の方のエッセイが見つかりました!
さまざまな方が式部塚についてブログに書かれていますが、こちらの現地在住のドクターのエッセイが本流だと思われますので、登城記の前にご一読いただけたらと思います。
百地泰光と式部のラブロマンスから端を発した悲劇。
ちょっと意外過ぎて、びっくりしました。
泰光が南都へ単身赴任した際に身の回りを掌る式部とねんごろになった。
泰光が伊賀へ戻り、出仕する時期になってもなかなか南都へ来ない。
いてもたってもいられなくなった式部は、なんと!伊賀へ自ら行ってしまいました。
泰光は、式部と入れ違いに南都へ出発した後で、待っていたのは泰光の正妻だった。
正妻は、これが愛人かと認めたものの、歓待し、その間に家来に命じて穴を掘らせた。
正妻は、このあたりを案内すると言い、式部を誘い出し、その穴にさしかかると式部を突き落とし生き埋めにした![]()
それを知った泰光は、そこに樒を植えて塚を造り、出家した。
類話に、徳川家康の正妻 築山殿も、家康が密かに通じて子供を産ませた女を、築山殿が縄で縛りあげて打ち付けたという記述を読んだことがあります。
ほかの類話で、愛知県豊川市赤坂宿の飯盛女と都からの単身赴任国司とのラブストーリーかつ悲劇もあります。
現代版では、美しい外国人女学生が、海外単身赴任の男性と懇ろになり妊娠したが、男性は何も責任をとらないまま一人日本へ帰国。
外国人女性は、男を捜すために後を追って日本へ行き、日本で出産。
女の子を産んだ。
さまざまな仕事をして、ようやく人づてに男の情報を得て、その住所へ行って観察すると、男には3人の子供と奥さんがおり、大きな家に住んでいた。
外国人女性は、悲しいやら悔しいやら。
日本の男性は信じられないと、仕事と育児に専念した。
必死で一人娘を育て、K市のマンションの最上階を購入し日本に住み続けている。
娘は、成人して独立した。
うーん。
森鴎外『舞姫』にも、こんな不埒な経緯が文学的に描かれていたような。
そういえば、埼玉県へ行った時、戦地へ単身赴任していた大将の元へ、都の正妻がわざわざ心配して行ったら離縁されたという離縁橋があったわ。
うーん。
磯田道史氏の、
「人がすることは時代が変わっても変わらない」
ということを、また実証する登城となり申した![]()
ちなみに、式部塚は直に撮影しませんでした。
私、今回は密かにお清め塩を持参していったほどなので![]()
蛇足
これ、類話になるかどうかわかりませんが。
過日、三河の職場から、再三、
「もどってきてくれ」
的な文書やメールが届きました。
長い人生を振り返ってみると、「戻ってきてくれ」と言われて戻っても、やっぱり戻らなければ良かった!と後悔することばかりでしたねぇ。
人生の中で、それが3回くらいあったかな?
4回めは、さすがにありませんよ。
後を追っては、いけません。
ロクなことが無い。






