参照
 
とにかく広大な城域です。
国指定史跡を一日に3つ制覇。
ここは、最後の地。
歩くのが疲れてきました。
 
 
 

三の曲輪へ戻ります。


「兵力の違い是非なし鉢形城」
北条氏邦は、豊臣秀吉軍の前田利家を総大将とする軍に対して、最後は籠城戦まで持ち込んだようです。
(北条氏邦のお嫁さんは、大福御前。おいしそうな名前酔っ払い
 
前田さん、私の実家の近くの神社にも刀を奉納していったわ。
あちこち転戦していたのね。
今でいう出張族ね。
 
やっぱり多勢に無勢では立ち向かえない。
獅子身中の虫も潰さないといけないし。
いかに城が技巧に富んで素晴らしくとも、知性が勝っていようとも、多勢に無勢はかなわない。
なんなんだろう?
為政者のカリスマ性?
人タラシねぇ。。。
 

左:諏訪神社
中央:空堀を渡す土橋
右:虎口

 
 
 
左:三の曲輪
中央:復元四脚門
右:伝秩父曲輪
見事な石垣土塁

 

 
秩父曲輪の石垣土塁

 
あの木々の向こうは荒川が眼下にあります。
絶壁。

秩父曲輪の庭園

 

四脚門石垣土塁

復元されたものですが、整然としています。

階段状の石垣

 
石垣土塁は、群馬の金山城も見事でしたが、ここは、丸い河原の石を使っているので、雰囲気が柔らかく見えますね。
 
四阿(あずまや)
 
庭園と石積土塁 説明板
「鉢形城跡の三の曲輪の中でも最も高いところ(中略)。北条氏邦の重臣である秩父孫次郎が守った秩父曲輪といわれています」
 
眼下に荒川
対岸は寄居町
 
井戸があります。

 
石組み井戸

 
井戸近くに、角馬出。
深い空堀に守られています。
右側の空堀は、二の曲輪の空堀につながっています。

 
振り返れば二の曲輪の土塁と空堀
この空堀が角馬出につながっています。

 
石積土塁に囲まれた角馬出

 
角馬出
左側の空堀の深さは、7.4m

 
角馬出を横から見る