大蔵館跡 (嵐山町)
5月15日 菅谷館跡を目指して、大野東松山線を走っていました
ナビ役の私が、スマホの地図で見つけたのが、この大蔵館跡。
(カーナビちゃんを信用していないので)
む?
これって、土塁じゃない?
「車を停めて~!」
停車するやいなや、すぐに車から飛び出して周囲を観察(左右確認はしました)
やっぱり、土塁よ!
ん?
あの石碑は?
大蔵神社?
いや、これ、虎口でしょ?
それとも、土塁を神社入口として切った?
大蔵神社
大蔵館跡 説明板が見つかりました!
源義賢の居館?
調べたら、異母兄弟の源義朝の長男源義平に、ここで討たれたと。
源義朝といったら源頼朝のパパで、愛知県知多半島の野間で、お風呂に入っていたときに不意討ちにあって、「せめて一太刀でもあれば」と絶命した?
源義朝最期の地 野間大坊HP
源頼朝 この方は、名古屋市熱田区で生まれたのよ。
大蔵館跡 説明板
大蔵館は、源氏の棟梁六条判官源為義の次子、東宮帯刀先生源義賢の居館で、都幾川をのぞむ台地上にあった。(中略)
(義賢は、ここで異母兄弟の義朝の長男(甥)悪源太義平に討たれた。)
「義賢の次子で、当時2歳の駒王丸は、畠山重能に助けられ、斎藤別当実盛により木曽の中原兼遠に預けられた。これが、後の旭将軍木曽義仲である。」
埼玉県指定記念物 史跡
大蔵館跡 説明板
大蔵館跡全体図があります。
このあたり一帯が、ぐるりと土塁に囲まれていたんですね。
虎口は、東にあるようで、ここは虎口ではないようです。
やっぱり、神社入口として土塁を切ったのね。
この居館あたりは、盛り上がっていたようです。
神社の東側
(後で調べたら、右端の竹やぶの中に土塁がくっきりと残っていたようです。時間がなくて確認できず。残念)
城域です。
左側が大野東松山線側(交通量多い)
右側が神社
常夜灯奥の盛り上がりは土塁
土塁が続いています。
ここが居館跡
滑り台の奥に土塁
土塁に囲まれています。
あった!
こんなところにいらしたのね![ちゅー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/046.png)
![ちゅー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/046.png)
史蹟 大蔵館跡 石碑
土塁?
一段高い位置に館跡があるようです。
本来なら、手前側に土塁があったのに、工事で削っちゃったんですね。
説明板の中に、「鎌倉街道」という言葉が出てきました。
ピンときたのは、知立市と愛知県刈谷市にある鎌倉街道。
刈谷市に「やま平」といううなぎの名店がありますが、そのお店の目の前に鎌倉街道が通っています。
とても細い道です。
昔は自動車が走っていなかったので、街道なんて人が通れればいいわけですから。
大蔵館跡から愛知県が結びついて、ちょっと興奮してしまいました。