昨日、白壁あたり(名古屋城下)の「文化のみち」を散策しつつ、明治・大正期の名士の邸宅を見学してきました。

 

正直なところ、建物に関しては、さまざまな所で同時期の建物を見てきたので、新鮮な驚きは、あまりありませんでした。

 

それよりも、私の目に映った興味深いものは、川上貞奴と福澤桃介の屋敷 二葉館が元あった場所から北側は、急な坂となり下っていること。

 

名古屋台地の北端という位置に、このお屋敷を構えたわけです↓

 
 
 

 北側の遥か坂下から見上げた貞奴の明るい屋根とステンドグラスから洩れる華やかな灯りは、かなり目立ったことでしょう。

 
二葉館内部
洋間は、桃介の社交の場として活用されたようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
奥に和室もありました。
広島県竹原市のまちなみ保存地区の御屋敷でも、↓このような床板を見ました。
 
貞奴の和服
 
 
 
川上貞奴
お綺麗な方
芸者から女優へ
顔相だけで見れば、賢く、気強い部分のある女性だったのかな?

 

川上貞奴は、日本の女優第一号ですから、そんな女性と一緒にいた桃介は、さぞかし鼻が高かったことでしょうね(福澤諭吉の次女 が正妻なのに)

 

 
福澤桃介
 
多摩美大の校長になった福澤桃介の義弟 杉浦非水によるステンドグラス「初夏」
素晴らしい仕上がりです。
 
さて、本題。
 

名古屋台地については、ブラタモリでも取り上げていました↓

 

 

 
 

 
名古屋台地の北西端には、名古屋城天守閣が建っていました。
 
その台地の下方北側は、ぬかるんだ湿地だったと聞いたことがあります。
 
城を守るには、絶好のロケーションだったのでしょう。
 
その名古屋城のように、二葉館は建っていたわけで。
 
財力にものをいわせた、当時としては、洒落た豪華な造りの二葉館。
 
名古屋市南区の大同大学のキャンパスに貞奴について書かれた説明板が、確かあったような。
 
だって、福澤桃介は、大同特殊鋼の前身をつくった人↓