『女城主 井伊直虎』にあやかって。。。というか、まぁ、愛知県民なら、桶狭間の戦いが色濃くイメージが浮かぶんですが。
知多半島というところは、尾張と三河に挟まれた半島なので、どちらにつくか大変だったのではと思います。
桶狭間の戦いで、織田に討たれた今川義元の遺骸(の一部?)を、家来が持って東海市まで運び、そこに墓を建て、供養しつつ住み着いたという伝説があるらしいです。
さて、きょう、用事があり車を走らせていたとき、ふと、寄ってみたくなりました。
Google上では、車が入れそうにない場所だと思ったので、近くにある横須賀小学校の路側帯に一時停車して、急いで見てきました。
説明文が貼ってありましたが、お堂の扉を開けなければ見ることができないようになっていたので、その勇気がなく、見ないまま帰宅しました。
「東海市」「今川塚」でGoogle検索して行きました。
東海市立横須賀小学校
小学校の東側に諏訪神社があります。
神社の南側に東へ入る細い道があります。これをまっすぐ歩きます。
突き当り右手に今川集会所が!!
振り返ると、小学校が突き当りに見えます。左手が今川集会所。
元治元年9月19日 1864年?9月19日?
ありました! 今川義元の墓と刻印された墓石が!
鳥居が建てられているんですね。
鳥居の向かって右手の石には、「今川義基」と刻印されています。
常滑市 今谷要蔵 という方が、元治元年に墓石を整備したということでしょうか。
気になります。
恐る恐るお堂に近づいてみます。
今川義元墓。お堂の中には五輪の塔らしき姿が・・・
五輪の塔だと思います。上手に撮影できていませんが、、、あまりに衝撃的だったので・・・。
この東海市高横須賀町あたりは、地名のとおり、すぐ近くまで
海が迫っていた地域で、ビルを建てる際に、掘っても掘っても砂ばかりの地域だと聞いたことがあります。今では、沖まで埋め立てられ、新日鉄やIHIなどが林立していますが。
かつては、海の香がするような地域だったのではないでしょうか。
近くに「塩田」という地名がありますし、「公家」という地名もあります。
何か地元の資料か、古老の言い伝えがあれば、知りたいものです。