車一台分しか上れないような細いクネクネ道を上って光明山へ。


目的は、光明城跡へ。


全く知識がないままだったので、ちょっと疑心暗鬼に。


周りを見渡すと、青々とした、たたなずく稜線富士山富士山富士山が遠くに見えますショック!コワ~イ!!


こんな高いところにお城があったのショック!!?


標高539mの現地に着き、案内板を読んでみたところ、行基が開山したお寺(光明寺)跡にお城を建てたようです。


山上なのに、りっぱな石垣がありました。


行基の時代に石垣があったかどうかはわかりませんが。(立派な石垣はなかったでしょうね。)


石垣の組み方がかなりきちんとしていた部分もあったし、野面積みの石垣もありました。

調べてみたら、この城を、武田から家康が奪還した、とあります。

なので、その時代から築かれた石垣なのでしょう。

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写真は、デジカメにたくさん撮ったんですが、これは携帯の画像です。


携帯からアップしていますので、ちょっと写真資料不足ですね。


時間があったら、デジカメからアップしたいと思いますが、どんどん山城行きを決行して、アタマと筋肉を鍛えている今。

アップが「面倒ねぇ・・」なんて思ったら続かないので、いつかアップしますにひひ


滅多に行けない場所・・・というか、我が家はこれが最後かな。


まだまだ水窪の高根城も見に行きたいので、愛車ちゃんに頑張ってもらわないと。


もう、おじいさん愛車なのに、ほんとによく走ります。




それに、行基の仕事といったら、ほんとに驚嘆してしまいますね!!



先日、岐阜県海津郡の「行基寺」に行ったときも、車一台しか通れないようなクネクネ山道を登って、ようやく辿り着いた「行基寺」。


正門を入ると、野面積みの石垣が見えて、まるで城址みたいでした。


眺望は素晴らしく、濃尾平野が眼科に広がって、世俗の憂さを忘れてしまいそうになりました。


呈茶もあるようなので、春あたりに訪れたら気持ちいいかもしれませんね。



行基について調べてみたら、弘法大師よりも前の時代、ヤマトタケルノミコトよりも後の時代。


行基は百済の渡来人の血筋で、人気があり、1000人ほども行基を慕った人を連れて旅を続け、こうした施設(寺)と造っていたとか。

人気があり・・・という言い方をしてしまうと、まるで「ヨン様」みたいな人物に見えてしまいますね。


いや、実際ヨン様のような存在だったのでしょう。


昔から、日本人は、韓国が大好きなのね。


私は、ヨン様のことは、ちょっと疎いんですが・・・。



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